自然倶楽部 1988年10月号 38P-43P 掲載
遠刈田毛鈎を訪ねて
炎天下でも、ひんやりとしている渓流は、釣り師だけでなく、水遊びなどもできる広く一般的なフィールドだ。
宮城県遠刈用温泉は、蔵王国定公園の、みやざ蔵王の表登山口にあり、南蔵王温泉郷(他に小原、鎌先、青根、峨々等の各温泉がある)のなかでも、最も宿泊施設の多いことで知られ、その豊かな自然の恵みの中に、キャンプ場等レジャー施設も設けられている。 町を流れる"澄川"は渓流釣りの好ポイントとして有名で、休日ともなれば、遠く関東ナンバーの車も数多くみかける程。 今や、温泉のみならず、広くアウトドアスポーツの町として脚光を浴びてきている。
いわゆる温泉場特有の伝統工芸も盛んで、その代表格に"遠刈田こけし"があり、町中を散歩すると、こけし作りの実演を見ることができる。 その見事なこけし工人のノミさばきに、つい見とれてしまうほどだ。
この町にもかつては、猟を生業とする"マタギ"がいたという。 主なシーズンである冬場に、クマ、タヌキ、テン、キジ等を捕り、夏場には職漁師と名を変えて、澄川を逆のぼリ、不動滝を越え、峨々、青根温と各温泉に釣った魚を売り歩いて生活したのだという。
30年程前までは、現存していた"マタギ"も、このあたりが国定公園に指定されて以来、獲物の動物も規制され、今では、てっぽうぶちと呼ばれる趣味で猟をする人さえ、少なくなってしまったという。 しかし彼らが夏場に職漁をするときに利用した遺産がそのままの形で残されていた。 通称"遠刈田毛鈎"と呼ばれる毛鈎がそれである。
カディスアダルトのイミテーションを思わせる遠刈田毛鈎の横顔。 ひとたび人の手で操られれば、生命を取り戻す。 幾多の先人の知恵と川に根付いた知識から生まれた逸品である。
遠刈田毛鈎を使用する釣り師たちの中で、"名人"と呼ばれるのが、遠刈田最後のマタギ、佐藤栄蔵さんで、その佐藤さんから唯一人名人位を許されたのが、八島富三郎さんなのである。
「子供の頃がら、マタギの人さついでいって、何処をどう毛鈎を流すが、体で覚えだもんだ。 鈎巻ぐのも同じで、見で覚えだもんですよ」と語りながら、「ひとづ巻いで見せっから」と毛鈎を巻くその姿には、どこかしらマタギの魂のようなものが伝わってくる感じがする。
まず材料は、キジ、山島のオスの尻尾の羽根。 12号のセイゴ鈎、そして山吹色の絹糸。 本当はメスの尾羽根を使うと、水に入れたときに色が変わり、より効果的であるのだが、今日ではメスは保護されているため入手不可能なので、オスの羽根を使わざるをえないのである。
いわゆる"タイイングツール"(西洋式毛鈎を巻くのに用いる道具)の類いは一切使わずに、手と足と口を用いて羽根を巻き、毛鈎が仕上がっていく様は、まるで魔術でも見ているようで、まさに伝統工芸と呼ぶにふさわしいものがある。 「見でぐれ悪いんだげど、巻いでけろって人が多くて、てっぽうぶちのひとにも、羽根をもらう都合あるがら、巻いであげるんです」と語る八島さんは、なんと年間150〜l80本も巻くという。 「年取ってがらは目ェ悪ぐなって、鈎巻ぐのもやんだぐなってね…」と、ボソボソともらす。 若い頃はいったいどれぐらいの毛鈎を巻いたんだろう。
フライフィッシングで用いるカディスアダルト(トビケラの成虫のイミテーション)写真左上の遠刈田毛鈎と比較してみてほしい。
写真に向かって左側2つが、メスのキジの羽根、右側がメスの山鳥の羽根、今では貴重品となってしまった。 <注>山地で拾った、抜け羽根を利用したものです。
澄川で羽化の時期をじっと待つ幼虫
羽根をむしり取るとストークの皮が…この皮が毛鈎の翅になる。
遠刈田毛鈎の最大の特徴は、毛鈎の"翅"にあたる部分に羽毛を使っていないことである。 羽根の芯(ストークと言う)の表皮をむき、羽毛をむしり取ったときについてくる皮の部分を翅に用い、羽毛の方は鈎に巻き込むため、必然的に胴となる。 それを3重に連ねて、一つの毛鈎が完成する(イラスト参照)。 ストークの皮を使う理由として、
などが推測されるというが、いずれにしても確実に釣らなければならない職漁師の知恵が生んだ、"他に類をみない毛鈎"ということができるだろう。 「むがすの人は、よく考えだしたもんだ」と、遠く昔を見いるように八島さんは語る。
渓流釣師たちが、初めての川に入ったとき必ず調べるのが、その川に於ける川虫の生態であり、川虫の種類とその数で、「あそこはxxx虫の川だよ」などとささやかれるのである。
そのデータをたよりに、使う毛鈎のパターンを決め、攻め込むのが、毛鈎に魅せられた渓流釣師たちの常道で、川虫の割合を見るのも、"川の読み"の重要な要因なのである。
澄川を読むために、あちこちの石を裏がえしてみると俗にいうクロカワ虫(正確には、ニッポンヒゲナガカワトビケラ)がやたら多いのに気がつく。
どうやら澄川は、クロカワ虫の川らしい。 事実、"クロカワ虫の川"と読んでいる渓流釣り師がほとんどで、遠刈田毛鈎は、クロカワ虫の成虫に似せて作った疑似鈎と呼ぶことができるだろう。
川は、生命の源であるばかりか、偉大な知恵を生む源でもあるようだ。
毛鈎を操るとき、職漁師の険しい目つきに変貌する。 渓流は人の心さえも動かしてしまうマジシャンだ。
澄川の水面直下を、自在に泳ぎまわる遠刈田毛鈎を見ていると、フライフィッシングで使う、セッジのカディスパターンを思いだしてしまう。 セッジとはトビケラの疑似鈎のことで、遠刈田毛鈎との共通性は、互いに、トビケラのイミテーションであることに他ならない。
「むがすは、野竹を切ってきて、くるいを直しキリの柄ぱつけだ3間竿使って、糸は、"馬尾"(馬素のこと)ど言って、馬の尻尾の毛を縒って自分でつぐったもんです」と語る八島さん。
「なるべぐ伝統をそのまま伝えだいですから」と、伝統を後世に伝える責任を感じているようだ。 仕掛けは、昔ながらの方法をそのまま使い、竿が5.5mぐらいの渓流竿、道糸が馬尾のかわりに、ナイロンテグスに変わっただけのものを使用しているという。
流し方を見てみると、ポイントの向う側に毛鈎を落とし、ジグザグにポイントを横切るように流す。 トビケラが羽化し水中を泳ぐ様を模倣した、いわゆるカディスのフラッタリング釣法に酷似している。 トビケラと澄川、そして遠刈田毛鈎の関連は、その釣法にも伺えるのである。
岩影に身を隠し、淵尻を流していた八島さんの竿がしなり、次の瞬間、真夏の炎天下に23cmのイワナが宙を舞った。
食漁師と澄川が生んだ"遠刈田毛鈎"の実力の証明である。
アウトドアスポーツのメッカになりつつある遠刈田温泉の町中
(自然倶楽部 1988年10月号 38P-43P 掲載)
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