三浦剛資作品集

フライフィッシング内緒話

前書き

ここでは宮城県仙台市にお住まいの三浦剛資様が東北地方の釣りに焦点を当てて人気のあった釣雑誌「北の釣り」にお書きになった記事を掲載しています。

今回、三浦様の格別のご厚意によりお許しを頂き当Web Pageに掲載させていただくことになりました。 誠にありがとうございます。

また、この記事の掲載紙「北の釣り」関係者からも許可を得ようと、発行所のビスタリ出版、仙台支局、秋田支局、東京支局、編集長、副編集長等と連絡を付けようといろいろと手を尽くしましたが全て不首尾に終わってしまいました。もし関係者の方がご覧になっていらっしゃったらお手数でも連絡を頂ければ幸いです。 改めてweb page掲載のお願いをしたいと思います。

なお当Web Page中のリンクについては当Web Page管理者が個人的趣味で勝手に張ったものです。

目次

  1. 「古けりゃ良いとはいわないが」という話
  2. 「コンピューターで記録を整理したら」という話
  3. 「途中経過をお知らせします」という話
  4. 「白も黒も元は縞々」という話
  5. 「あるライバル」のお話
  6. 「幸福の青い卵」の話
  7. 東北を訪れたフライマン達
  8. コンピュータの記録から
  9. 0.2秒のドラマ
  10. 密漁入門
  11. フライ・フイッシヤー人ロ
  12. 番外編

[Top Page][Index][Contents][Top]


「古けりゃ良いとはいわないが」という話

私がフライフィッシングに関係するようになったのが1972年だからもう13年程になる。 もっとも物心がついた時に目の前にフライロッドがあったから、その時から数えれば30年以上になる。

店の隅に桐箱に入った竿があった。 明らかに子供の目にも他の竿とは違う竿で、気になるもののひとつであった。 祖父に聞くと、進駐軍相手にお土産に売っていた物の売れ残った分、とのことだった。

六角竿(バンブーロッドとは断じて呼んでいなかった)がまだ珍しい頃で、日本人は買わなかったが本国に帰る進駐軍には売れに売れたそうである。 残念ながらその光景は私の記憶にない。 ただ売れたのは竿だけで、リールもラインもさっぱり売れ無かったそうである。 調子についてはおして知るべしで、もし良ければ今頃世界的なバンブーロッドのメーカーが日本に残っていたろうにと思われる。

ラインはたった1本だけ残っていたのを記憶している。 芯の入った袋打ちの紐があって、もっぱらホ先の蛇口の修理に使っていた。 今にして思えばシルクのレベルラインであった。 あの当時輸入品であるはずはないので日本のどこかで作っていたのだと思われる。 親父に聞いた話では2,3度進駐軍の連中が、フライで釣りをしているのを見たことがあるそうだが、地元の人で彼等からフライを教えてもらった人はいなかったようだ。

フライ用品を扱っている店がまだ少なかった頃、同業者が北海道に集まったことがある。 その時に聞かされた話では内地では講和条約が結ばれると進駐軍が在日駐留軍と名前が変り、一部を残して本国に引き上げたが北海道では遅くまで残っていたので、彼等からキャスティングを教えてもらったり、PX(米軍キャンプの中にあって生活必需品から無修正のプレイボーイまで売っている米軍の家族しか買うことが出来ない店)からフライラインやマテリアルを買ってもらったりして、かなりの人がフライに接した様であった。 そんな背景があったから、当時の北海道の層の厚さにびっくりさせられたりしたものだった。

古い話と言えばこんな話もある。 私の店で取り扱っている英国製品日本代理店に、ある日1台のフライリールの修理依頼が来た。 調べて見ると、そのリールは1898年製で、既に生産中止になっているモデルだった。 依頼主の話を聞くと、お祖父様が当時英国勤務で、むこうの連中と付き合うため、ゴルフか乗馬、あるいはフライフィッシングをする必要から、ロンドンで買った物だった。 それが、長いことお蔵の中で眠っていたのを、孫の代になって見付け出したが、一部が破損していたため修理が出来るものならと依頼されたものだった。 おそらくその方は日本人としては、最も古くフライフィッシングに接した人だと思われる。 又、このメーカーは英国王室御用達である為、今上陸下がお若い頃ヨーロッパを御旅行された折フライフィッシングをされたという記録が残っている。 日本の宮内庁に記録があるかどうか不明だが、日本人がフライフィッシングをしたという一番古い記録だろう。 因に先程のリールは、無事修理が完了してお客様の手に戻った。 ところがこの話はさらにおまけがついていて、このメーカーからは修理完了のインボイスと共に、次のメッセージが付いて来た。

「第一次大戦の時は多少ごたごだがあって金型を一部失っているが、第二次大戦の時は防空壕に金型を避難してドイツのV1号から守ったので修理は可能である」と。

(「北の釣り」1985年8月号 No.39 P44-45 掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


「コンピューターで記録を整理したら」という話

1976年の釣りシーズンから、出掛けた時の記録を付けている、と言ってもそんなに大袈裟なことではなく、初めは釣りカレンダーに、自分と同行者の分をメモ程度に書き留めているだけだった。 ところが年を追うごとに協力者が現われ、今では毎年かなりの数の記録が取れる様になってきた。 釣れた時は帰りに、釣れなかった時は、後で報告が入って来る。

こうなって来ると色々面白いことが見えて来る。 まして同時に二つの川で釣ることは出来ないのだからこれは貴重な記録になってくる。 こちらの川では全員オデコなのに、山一つ越したあちらの川では大釣り、という結果も入ってくる。 それらの原因を探るのに、この記録はおおいに役立っている。

最初は釣れた記録だけ取っていたがしばらくしてから、釣れなかった時の記録も取り始めた。 これが後で非常に役立つ。

記録の整理には、人間がやるとどうしても主観が入るのでコンピューターを使用した。 全てのデータをコンピューターにかまわずインプットしていった。

最近、新間の記事などでよく見掛けるので、ご記憶のむきもあろうと思われるが、いわゆるデータベースを作った。 それを、コンピューターのプログラムを使って、特定の条件で検索してやると、思いもがけない結果が出てくる。

使用したコンピューターは、16ビットで、ユーザーメモリーは384Kバイト、それにフロッピーディスクが2台付いた、PC-9801である。 それと、オペレーティングシステムは、MS-D0Sを使用した。

釣りの他に、もう一つの趣味がコンピュータ、という人が最近は結構多いので、自分もやってみようという人の為に申し上げると、フロッピーデスクドライプとオペレーティングシステム、これらが揃ってさえいれば、勿論8ビットでも出来るし、この場合のオペレーティングシステムは、CP/Mを使えばよい。

但し、自分で、それもBASICでプログラムを組んで、データはカセットテープで、などというのなら絶対におやめになったほうがよい。

プログラムの虫捜しで時間を潰すより、川で虫捜しをしたほうがよっぽどよい。

尚、この原稿もコンピューターをワープロのソフトで走らせて書いている。

さて、結果については次に書くことにして、どのようなデータを記録していたかについてお話しておこう。

年月月
カレンダーに書き込むのだから、別に若労は無い。
同行者
万が一の時、アリバイを証明してもらえる。
場所
本人が確認出来ればいいが1年もすると忘れる。 思い出す程度正確に。
魚種
ヤマメ、イワナなど。
サイズ
釣り人用の物差しは記録性が無い。 逃げたのは大きめでもキープしたのは正確に。
時間
夜明程けに近い朝、殆ど昼、完全に夕方、程度に。
フライ
初めて釣れたフライはイラストも書く。 フックサイズと色は必ず。
水温
できれば天候と共に、ヤマブキが咲いていたとか。
その他
釣りに行かなかった時でも天気が大きく変った時は記録した。

(「北の釣り」1985年8月号 No.39 P45-46 掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


「途中経過をお知らせします」という話

今年1985年でカレンダーは10冊目になった。 この間、データを提供してくれた人は数知れず、と言いたいが、そこはコンピューター、一発で答を出してしまう。 「5月5日現在、延2215件。」初めの3年程は年間20件程度のデータしか入ってこなかったが、4年目頃から増え始め、最近は年間300件以上のデータが入ってくるようになった。 この頃では皆さんなれたもので、自分のデータを報告すると同時に他人のデータもしっかり聞いて帰るようになった。

ただあくまでも GIVE and TAKE を守らないと、データを提供してくれなくなるので、これは守っている。 したがって、記事の中で、コンピューターが出した答をそのまま載せることが出来ず、一部を伏せている部分もあるので、御了承願いたい。

さて、いつが一番釣れるか、などというのはやぼな話なので、別の角度から見てみよう。

フライマンの中には、イブニングライズを得意とする人と、モーニングライズを得意とする人と分れるようであるが、オレは朝が弱い、と言うのは別にして、実際どちらが有利かデータを追って見た。

休日祭日をさけて平日だけのデータで分析してみると、魚が自然の状態になるので、特にはっきりしてくる。 その結果、面白い答が出た。 太平洋側と日本海側とで違うのである。 言い直せば、川が西から東に流れるか、或いは東から西に流れるかで、結果が逆さになってしまったのだ。

昔大阪に住んでいたことがある。 ここにいると東西南北の感覚が東北地方と違ってくる。 一番北はどこまで行ったことがありますか、と聞くと舞鶴とか北陸とかいい出すし、東はと聞くと東京とか名古屋といいだす。 同じことを仙台で聞くと、北は北海道だし南は東京だったり沖縄だったりする。 日本が弓形に曲がっているからなのだが、今でも大阪に行くと話がずれる時がある。

さて、東北地方のほぼ真中を奥羽山脈が南北に走り、川はそれぞれほぼ西と東に流れる。 山の東側つまり仙台側では、モーニングライズの時間が長く、午前11時頃まで続くが、イブニングライズは、山影に日が落ちなければ始まらない。 だから時期によっては僅か30分程で終ってしまう。 ところが日本海側、特に山形県の庄内地方の川では午後3時頃から始まって、季節によっては8時すぎまで、えんえんと続くことがある。 初めは、時期的な特異現象かと思ったが、1件だけではなく次々にデータが入ってくるとそうとばかりいえなくなってきた。 最近では、はっきりと結果がでてきて、なぜこうなるかを考えなければならなくなってきた。

一つの考えだが魚は流れに対して頭を上流に向けている。 これは東に流れている川では、夕方に逆光になるから、目の前にフライが落ちても、たぶん見えないか或いは非常に見えにくい状態になる。 日が落ちて、魚の目がなれてこないと、フライを見付けることが出来ないのではないかと思う。 ところが、西に流れている川では順光になる。

この、時間の関係と最高の季節とが加わると、5人でライズした回数が300回以上、フッキングさせた魚が100匹以上などという信じられないことが起きる。

ところが、くやしいことにこの時、私は釣り場に行っていなかった。

ひたすら、この連中が帰ってくるのを晩飯のおあずけをくいながら待っていた。 待つこと数時間帰ってきたのは10時近くで私と顔を合せるなり得々と結果をしゃべり始めた。 その後なんどかこの場所に通ったがこの時程の大釣りは経験していない。 日本海中部地震があった昭58年のある日の出来事である。

(「北の釣り」1985年8月号 No.39 P46掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


「白も黒も元は縞々」という話

フライフィッシングをやり始めて暫くすると、多くの人が手掛けるのがフライタイイングである。 理由は色々あるが、1番の理由は経済的なというのが多い。

初めに揃えるマテリアルはたいていが茶色のハックル、そして次に必ず欲しくなるのが、白と黒の縞々模様のあの有名なグリズリー。 最近はカラーで写真が出ているからだれでもわかるが、英語の辞書と首っ引きでフライを巻いていた頃はブルーダンと共にわからないカラーのひとつだっだ。 灰色グマがなぜハックルになるのか不思議だったしネズミ色がなぜブルーダンというのかも不思議だった。

グリズリーと言う呼び方は世界的にフライマンにしか通用しない呼びかたで、養鶏家にはプリモスロックと言わないとわかってもらえない。

このプリモスロックを子供の頃飼っていたことがある。 当時はこの鳥が最高のハックルになるとは思ってもいなかったし、うちのニワトリはよそのと色が違うとしか思わなかった。 この鳥は白色レグホンと違って、自分で卵を温めるので雛を取ることができた。 生まれた時は白と黒の大きなまだらで、暫くするとウブ毛が生え変って、だんだん縞模様になってくる。 雄は子供の背丈程あり、気性は非常に荒かった。 そんなことがあったので初めてグリズリーを見た時は一目でわかった。

さて、1枚目のグリズリーが残り少なくなって、2枚目を買う頃になると、ハックルを見る目が変って来てグリズリーにも種類があることに気がつく。 縞の幅が狭いのとか、全体がぼけているとかなどである。 そして色の濃い目のグリズリーはブラウンと、薄いのはジンジャーとミックスすることを覚える。

数多くのハックルを見て気がつくのは、1枚として同じ物が無いことである。 さらに次に欲しくなるのがブルーダンやブラックそれにホワイトである。

ところでこれらのハックルが全て同じ親から生まれてくるということを御存じだろうか。 特にホワイトもブラックも同じ親だといえば、まるで黒を白といいくるめるような話になってしまう。 勿論まるっきり同じ親から生まれるわけでは無くてどちらも親はグリズリーを品種改良した鳥だ、といいたいのである。

グリズリーのあの縞は当然遺伝によるものだが、時々遺伝子の突然変異が出る。 縞にする遺伝子が欠落すると白と黒が入りまじってブルーダンになるのが出たりするし、縞を作るのが強くなったり弱くなったりすると、黒になったり白になったりしてしまう。 単純には言えないが、現在ではかなりわかって来ている。 だからグリズリーから作ったホワイトをよく見ると、かすかに縞が見えるし、はなはだしいのは、白とダンが入りまじって、その名もスプラッシュドホワイト(泥がはねた白)というのまである。

さて、グリズリーなら全てハックルに使えるかというと、これはとんでもない話で、現在ハックルとして売られているのは、1羽残らず只フライを巻く為にだけ品種改良され、かつ選別され、飼育された雄鳥ばかりである。

このグリズリーにとりつかれ、自分で品種改良を始めた人がいる。 10年程前から手掛けて、これまで既に1000羽以上の雛をかえしてきている。

先日仙台でフライキャスティングスクールをした時に来られた、デモンストレーターの小平高久氏である。 この話も殆ど彼から聞かせてもらった話である。 今も100羽以上の鳥を飼っていて長期間留守に出来ない生活をしている。 やっと親が出来たら犬にかみ殺されたり、イタチに食われたり、すいぶん苦労したがまだ納得できる物は数が少ないそうである。

(「北の釣り」1985年9月号 No.40 P74-75掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


「あるライバル」のお話

この世の中、学校でも会社でも、仕事でも遊びでも、何にでもライバルは存在する。

当然、釣りの世界でもいないわけが無い。 このお話はそんなライバルどうしのお話である。

MさんとKさんの2人のフライマンがいる。

この2人は何かにつけて対照的である。 Mさんは痩せていて、川ではポイントからポイントへとよく歩くタイプ。 Kさんは肥っていて、ひとつのポイントをじっくりとせめるタイプ。 年はどちらも30代、釣歴はどちらも10年以上。 釣り方は違っていても、2人共名人と呼んでも異論は無い。

これにTさんが加わって、5月のある日3人で遠征に出ることになった。 前日の夜遅く出発し、Tさんが車を運転することになった。

250キロ近く走って、現場に着いたのは朝の7時頃で、運転を続けたTさんは車の中で寝ることにし、MさんとKさんの2人が身仕度も早々にポイントへと入った。

MさんはKさんに「オレ下の方から攻めるよ」と言って、下流のポイントへと向かった。

Kさんはいつも通りじっくりねばるつもりだったので、最高のポイントを見つけると、腰を落ち着けた。 ゆるい流れの、底に大きな石が沈んでいる、浅い渓だった。

この日は天気がよすぎたせいか朝の冷え込みがきつく、日が高くなってもなかなかライズがなく、MさんもKさんも9時近くまで魚の姿を見ることが出来なかった。

1キロほど下流から川におりたMさんの姿がKさんの目に入ったのはそんな時だった。

「どれぼちぼちオレも場所を変えようか」とKさんは思ったが、Mさんの釣果を聞いてからにしようと思い彼の来るのを待っていた。

やがてMさんがKさんのそばに来て「どう、釣れた?」と聞いた。 Kさんは「だめ、朝からこの場所でやっているけど、時々小さなライズがあるだけだよ。場所を変わるから、やってみたら」と答えた。

Mさんは早速にロッドを振り出してフライをさんざんKさんがやっていたポイントに、そっと落した。

その第1投に、なんと47cmのイワナがフッキングした。 掛けたMさんにとっても、そばで見せつけられるはめになったKさんにとっても初めて見る大物だった。

しばらくして、Tさんも起き出してきて3人で昼頃まで、ねばりにねばったが、とうとうその日は大物1匹だけの釣果で終ってしまった。 いざ帰る段になって、魚をどうするかについて3人て議論になった。

大物を目の前で釣られて、くやしがるKさん「目障りだから焼いて食おう」

寝ていて、現場を見ていないTさん「スモークにして、帰って皆に見せてから乾杯しよう」

興奮の覚めないMさん「何が何でも絶対、剥製にする」

結局、釣った本人の意見で剥製にしてほしいと冷凍になった魚が私の店に送られて来た。

3月程して、待ちに待った剥製が出来上り、Mさんの元に届くと早速壁に飾っては、来る人ごとに自慢することとなった。 おさまらないのはKさんで、日が立つにつれてくやしさが倍加する。 ましてMさんの家に遊びに行くたびに、これみよがしの剥製を見せつけられるとなおさらである。 近くの川ではないからおいそれと行くことは出来ないが、それでもとうとう執念で39cmのイワナをものにすることが出来た。 多少小さいかと思いながらも、Mさんの剥製に対杭する為、冷凍のイワナが私の店に送られて来たのは、その年のまもなく禁漁になる頃だった。

(「北の釣り」1985年9月号 No.40 P75-76掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


「幸福の青い卵」の話

フライフィッシングで釣りをしている者にとって毛針は大事な物の一つだが、これを巻いている材料はマテリアルと呼ばれ色々な物が使われている。 鳥の羽根に加えて、狐、イタチ、モグラ、鹿、牛、等の獣毛。 さらに最近では化学的に合成された繊維も使われていて、フライを巻く為の、色取りどりの織維が発売されている。

それでも気に入ったマテリアルや色が揃わない場合には、ありとあらゆる物が使えないかと捜しまくる。 そのうち回りの物、総てがマテリアルに見え始め、ズボンを買いに入った店の試着室のカーペットをむしり取って来たり、飼っている小鳥の羽根をむしったりということになる。 そのあげく釣りに行くよりマテリアルを捜すのに血道を上げることになってしまい、釣れた実績より持っていることの方が値打がある、と言い出す本末転倒も甚だしい者まて現われることとなる。

ここまでならなくともマテリアルというのは、やはりフライマンにとっては大事なことである。

ところで、この世の中に青い卵を産むニワトリがいたらあなたは信じるだろうか。

ドライフライを巻く為に絶対必要な毛、「ハックル」はニワトリの羽根である。

おそらく昔は、そこらにいたニワトリの中からいい羽根を見つけては使っていたのだろうが、世界的にフライマンの数がふえてくるにしたがってハックルが不足してきたのと、自然にはなかなか存在しない色をほしがり始めたので、各種のニワトリをかけあわせては、ハックルを品種改良して造り出すようになった。 改良の対象は当然「羽根」である。 色、サイズ、弾力、長さ、等が対象になるが、鳴き声や肉質はまるで関係ない。 まして親鳥が産む卵の数や色など、どうでもいい話である。

ハックルになるニワトリが、グリズリーだろうが、ブラウンだろうが卵の色が取立てて奇抜な色というのは無い。 元々保護色に出来ているのだから派手な色が着くのがそもそもおかしいので、たいていは白か茶と決っている。

普段店先で見ることが出来るのは白が多いが、受験シーズンになると縁起をかつぐことから茶の卵を多く見掛ける。 近頃は円い物に印刷が簡単に出来るので、日付が入ったり養鶏場の名前が入ったりしているが、その内卵の上にコマーシャルが印刷されるのではないか、とさえ思えてくる。

ハックルは、ニワトリに品種改良を重ねて造り出した産物である。 苦労をいとわず、10年以上の歳月をかけ、只「もう1匹釣りたい」という切なる思いが今日のハックルを造りだしたといってもいいすぎではあるまい。 もしこれが「オレはあいつと違うハックルを持っている」というだけの理由でならここまではならなかっだろう。

今、養鶏業者はたいへんな競争だそうである。 有精卵を売出したり、放し飼いをセールス・ポイントにしたり、少しでも他と違う卵を売り出そうと必死である。 そんな最中に青い卵を産むニワトリが出来てきた。 このチャンスを見逃すはずがない。 業界大手のK養鶏が、マッチ・ザ・フライにライズしてきたヤマメの様に、ぜひゆずってほしいと乗り出して来た。

その後、この鳥はさらに品種改良を加えられ、今では緑の卵を産むニワトリも出来上がっている。 近いうちに我々消費者の前に、青や緑の卵が姿を現わす筈である。

もし、あなたがどこかの店の前で青い卵に出会った時、ぜひ思い出してほしい。

その卵は、あなたに「大漁」という幸福をもたらすハックルが、姿を変えているのだ、と。

(「北の釣り」1985年9月号 No.40 P76掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


東北を訪れたフライマン達

フライ・フィッシングをやろうとした時、身近にやっている人がいなければ本で得る知識が唯一のものとなる。 これが曲者である。 本を書いた本人には、まるで悪気は無いのだが、往々にして誤解を招く。

例えば、キャスティング。 どの本を読んでも、書いてあることは全て正しいのだが、絶対に分らないのがスピード。 特に、「ここで素早く竿を振り降ろし」などと書いてあればまるで親のかたきを見つけた侍のごとく、目にも止まらぬ早さで振り回す。 何かの機会にキャスティングをお見せすると、10人の内10人までが「ずいぶんゆっくり振るのですね」と言われる。

次に、どの本を見ても書いていないのが川の歩き方。

釣り場に行った時、フライ・フィッシングも渓流の釣りである以上、川の歩き方は、大事な事の一つである。

キャスティングについては、不必要なことまでくどくどと書いているくせに川の歩き方には、一言も触れていない。 最近では、彼等は書かないのではなくて、書けないのではないかと、疑い始めている。

この辺のことは、餌釣りやテンカラ(和式毛針)をしている人で、ベテランと呼ぶに相応しい人は、当然心得ていて釣り場で出合った時は、「流石」と思わせてくれる。

ところが、本で読んだ知識だけで他の釣りの経験がまったく無く、フライ・フィッシングが初めての釣りという人は、ここいらがまるで経験不足である。 本には書いていないが多少ウエーディングについて述べている程度では、本を読んだ本人が重要性を全然理解することが出来ない。 それどころか、自分の読んだ本が全てだと思い込み始めたら、事の重大さに気づくまで、かなりの期間を必要とする場合が、この件に限らず、多々ある。

それに加えて、ラインを遠くに飛ばせると思うから益々歩き方がぞんざいになる。 さらに、本を書く人までが、キャスティングを強調するあまり、どうしても表現が大袈裟になるきらいがある。

フライ・フィッシングと云えども最終目標は魚を釣ることである。 ましてや魚が釣れなくともラインを振っていれさえすれば満足する、とまでいいだせば、これほど釣り具を作っている連中をバカにした表現はないだろう。 人の一生を費やして竿を作り、ハックルを改良し、針を作るのは、物好きなブランド好みの連中の為ではけっしてないのだから。

さて、日本のフライ・フィッシングが本当に盛んになったのは、ここ数年以内であることを考えれば経験不足なのも無理からぬことかもしれない。 それも、書いた連中がまだまだ経験不足の時代に書いた本が、現在でも店頭に並べられていると考えれば合点がいく。

その点、アメリカやイギリスのフライ・フィッシングは、歴史があるので50年以上の経験者が大勢いる。 そんな連中と初めて会った時は、こちらも無我夢中なのでキャステイングを見るのがやっとでも、2度、3度と会う内に、だんだんと要点が分ってくる。 しかも、かれらはけっして派手なことはして見せない。

見せかけだけの、めったに釣り場で使うことの無いキャスティングをして初心者を惑わす様なことは、絶対にやらない。 そのため、見る目が無いと「本当に彼等は世界を回っているのか」と思ってしまうのは、1人や2人では無いはずである。

ところが、こちらが現場の経験を積んでゆくにつれ、彼等の実力が見えて来る。 キャスティングの技術だけではなしに、釣りに対するポリシーなども分って来る。 そして、「なるほど、この人達は、世界に通用する技術を持っている」と、感心させられる様になる。

そんな連中が時々東北を訪れては我々に手解きをしてくれている。

初めて、東北の地を訪れたのは、レオン・チャンドラーである。

彼は、単なるデモンストレーターやトーナメント・キャスターと違いアメリカの文化を世界に広める目的で、アメリカの商務省から委託された、民間大使の肩書を持っていた。

その為、西側諸国のみならず、フライマンとしては唯一東側(共産国)でフライ・フィッシングのデモンストレーションをした人として知られている。

当時、何かにつけて、日本はフライ・フィッシングをする場所が無いと言われていた。

釣りの本を読んでも、フライ・フィッシンクの場所は、湖か大きな川に限られていた。

そこで、思い切って彼を渓流に連れて行った。

「近くに川があってヤマメがいる。それをフライで釣りたいから技術を教えて貰いたい」と、思ったからである。 現場がそばにある我々にとっては、当り前の話である。

現場に着いた彼は、辺りを見回し一度後ろを確認しただけで、すかさず「ヤブ」を背にしてロッドを振り始めた。 ラインは一度もヤブにからむことなく延びていった。 そして、彼が「このあたりを見ていろ」と言った場所で、正確にリーダーの先端が延びきった次の瞬間、まるで本物の虫が水面に落ちる様に、フワリと毛針が着水した。

おもわず、その場に居合わした一同から「ほー」と、溜息がもれる。 当時我々が、最も苦手としていたヤブを背にしてのキャスティングを、まっぱじめに始めたのである。

この日彼は「無理に遠くに飛ばすな、静かにポイントに近づけ、プレゼンテーションはソフトに、正確に」と、丸一日、何度も繰り返した。

そして、アメリカで一番釣り人が多いロッキー山脈の西側で、ポピュラーな釣り場は、川幅も狭く、流れも強く、ヤブ川も多いが、けっして不適当な場所では無い。 しかも、釣れる魚の平均サイズは8インチから10インチである、と教えてくれた。

したがって、日本の川が、フライ・フィッシングをするのに不適当である理由は無い、と言った。 さらに、アチラの本には、大きな魚の写真がずいぶん載っているではないか、と言うと実に明快な答が返って来た。 「珍しいから金を出して本を買う。 自分が釣ったのより小さければ、わざわざ金は出さないだろ」と。

今でも、時々フライ・フィッシングは、湖か大きな川でしか出来ないと思っている人に出合うが、この時点で、彼から明確な答を得ていたのである。

1978年のことである。

レオン・チャンドラーに関してはこの時、もう一つ感心させられたことがあった。

まだ、新幹線が出来る前だったので仙台空港まで迎えに行った。 そして、仙台に向かって走りだし、名取川の2キロ程手前で「まもなく、川がある」と、彼が言いだした。

勿論、仙台に来るのは初めてだし、こちらも予備知識を、彼に与える暇はなかった。 おそらく回りの景色からさっしたのだろうが、大した観察力だと感心させられた。

その後、何度か来日しているが、1984年に再び東北を訪れ、彼は酒田でキャスティングを見せてくれた。 このとき、事情があって、私は酒田に行けなかったのだが、帰りにわざわざ仙台まで回って表敬訪問してくれたのには恐縮した。

(「北の釣り」1985年10/11月号 No.41 P42-43掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


コンピュータの記録から

1976年からフライ・フィッシングに行った時の記録を取っていてその記録を、コンピュータにインプットして、データ・ベースを作ったことは、前回書いたが、今回はその中から、思い出に残っていることを公開しよう。

人間の記憶と言うのは実にあいまいなもので、記録を付けた直後は鮮明でも数週間かするとかなり薄らいて来る。 まして数年もたつと、すっかり忘れていて、記録を見てやっと思い出す有様で、たとえ記憶に残っていても、意外に不確かなものが多い。 ところが、時として強烈に記憶に残り、忘れることが出来ない思い出と言うのもある。

釣りの場合は二つに分けられる様だ。 一つは、生まれて初めて魚を釣った時。 これは、その後同じことを繰り返して行く内に感激が薄くなり、不確かなものとなる。

そんな状態の所に、今まで経験したことの無いことが起きると、たちまち、強烈なカルチャーショックを伴って、頭の中に焼付られることとなる。 これが二つ目。

よく、釣り人がしゃべるときは、両手を縛ってしゃべらせろ、と言うがこれは時と共に釣った魚が大きくなるからで、日本で魚拓が発達したのはここらが原因かもしれない。

それはさておき、一度強烈な経験をすると、もう一度簡単に出会えるのではないか、と思ってしまったり、あるいは逆に体験したことを誇張して記憶してしまうのが人間である。 そのためとんでもない思い違いをしたり、幻を追い掛けたりする場合がある。

こんな時、コンピュータは非情である。 記録を探して見ると、毎年起こっているが、例の少ないことを、初めて体験したものだから、オーバーに言い立てていることなどは、たちどころに判明してしまう。 それでも、10年も記録を取り続けてせっかくのチャンスを、みすみす見逃していたり、ここ2,3年の内では、かなり珍しいこと、などが分る。

よく日本では、スーパー・ハッチは無いなどと、平気で言い出したり、本に書いたりしている人がいるが、それはとんてもないことである。

まちがいなく、ここ東北地方でも起きている。 だだ、確実に言えることは、ほとんどの人が見るチャンスに巡り会えないだろう、ということである。 小さいハッチなら、時期になれば毎日どこかで、夕方に始まるので、この頃イブニング・ライズを狙いに行った人なら誰でも出会えるが、スーパー・ハッチは一つの場所では年に1回、それも僅か15分程の出来事では、目撃するのは難しいことといえる。

この千載一遇ともいえるスーパー・ハッチを、フライ・フィッシングをやり始めた11年程前、目撃した事がある。

5月の末のある日、イプニング・ライズを狙うべくポイントに入っていた。 前々日まで、あれ程釣れた魚が、この日はまるで釣れず、いくらフライを変えてもポイントを移ってもライズが無かった。 そして、日が暮れかかった頃、一斉にあちこちの水面から、カゲロウがハッチを始めた。 あっ、と思う間もなく、あたり一面、雪が舞う様にカゲロウに取り囲まれ、やがて集団のまま移動して行った。 その間僅か15分位の出来事だった。 たったこれだけのことだが、毎年この頃を境に、何かが変った様だと、5年程たってから気がついた。

その後、毎年この時期に報告されて来るデータから、かなり大きな変化があることが、記録を調ベて行く内に、浮かび上がって来た。

一つは、それまで釣れていたのが渕か、あるいは流れのゆるやかな瀬だったのが、かなり急な、瀬のポイントでもライズをするようになった。

二つ目はこの日を境に、釣れるフライ・パターンが、すいぶん変ってしまっていた。

このスーパーハッチを目撃した時は、まだまだ経験不足で、あまり感激はなかったのだが、後で又とないチャンスだったと知ってから、もっと詳しく観察しておくべきだったと後悔している。

正確な発生日を予想出来ないのでその後、再びスーパー・ハッチに出会う機会に、残念ながら恵まれていない。 ただ毎年この時期を境にして釣れる状況が大きく変わるので、今では逆にフライ・パターンが変わったことと、魚が瀬に出ることでスーパー・ハッチがあったことを推測している。

又、このことが原因で、毎年多くの人の協力を頂いて、正確な記録を残していこうと、思い立った。 今後データが蓄積されるにつれて、アメリカのカンパラ・ハッチの様に予報を出せるかもしれない。

この時期に釣り場に入った人は、僅か数日の差で、釣り場の印象を大きく変えてしまう。 ある人は、あそこのポイントは「物凄く魚が濃い」と言うし、別の人は同じポイントを「全然釣れない」と言いだす。 大釣りを体験した人は、翌年同じ場所にやって来て、スーパー・ハッチが終った直後の、まるで釣れないポイントに入って「去年までは釣れたのだが、ここも魚がへった」とぼやきだす。 はたで、事情を知っていて、だまって見ていると誠に面白いのだが今後誰かが、スーパー・ハッチに出合うチャンスがあった時のために、今回公開することにした。

このスーパー・ハッチが下流では毎年秋に起こる。 毎回のことではないが、カゲロウの屍骸が国道4号線に掛かっている橋の上に降り積りスリップ事故の原因になるので、道路管理事務所から掃除に出た、という新間記事が、過去10年の間、私の記録では2度あった。

(「北の釣り」1985年10/11月号 No.41 P43-44掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


0.2秒のドラマ

暑かった今年の夏も終りに近づいた8月のある日、東北自動車道を南へと走っていた。

佐野、藤岡インターで下車し今度は国道50号線を高崎へ、ここから、18号線に入り妙義山と横川名物「峠の釜めし」を左手に眺めて碓氷峠を越える。

バイパス出口で150円を払って、軽井沢で一休み。 小諸、上田を通り千曲川と信越本線それに国道18号線が一まとめになった所に目指す目的地があった。

仙台から片道9時間の旅であった。

NHKの人気番組ウルトラアイで毛鈎でアマゴを釣るのを放送した。 内容が内容だったので、御覧になった人も多いと思うが、番組の中で、名人は次々に釣っているのに、アナウンサーは、魚が飛びついては来るのだが中々釣ることが出来ず、とうとう釣堀でアマゴが何秒間毛鈎をくわえているかを測定したら、「僅か0.2秒という結果が出ました」と、言っていた。 アマゴに非常に近い仲間のヤマメでも、同じ結果になることは当然で、フライ・フィッシングをやり初めた頃は、手も足も出ず、イワナかニジマスを狙っていたのが、数年もたつとヤマメの魅力に取りつかれ、逆に「イワナはのろくて」などと言いだす。

さて番組の中で測定された0.2秒という時間は、毛鈎に似せて作ったセンサーを、アマゴがくわえている時間を計ったもので「アマゴが、くわえて餌ではないと判断し、吐き出すまでの時間です」と、説明していた。 そう時間の違いは無いと思って、そうしたのだろうが、ここで疑問を感じなかっただろうか。

もし本物の虫だったら何秒後に飲み込むのだろうか、そして本当の毛鈎でも同じなのだろうかという疑問である。 この疑問は我々に大いに関係があるので気にかかるところである。

フライ・フィッシングをしている人なら、かなりの人が経験していると思うが、釣り易い毛鈎と、釣りにくい毛鈎がある。

ほかならない、くわえている時間の差である。 くわえている時間がほんの僅かでも長ければ、多少合せが遅れたり、リーダーが曲がっていたり、一瞬毛鈎を見失っても、魚を合せることは可能である。 勿論、時期、場所、時刻、魚のスレ具合等で大きく違って来るがそれでも差があるという事実ば拒めない。 ところが残念ながらこの違いを測定するのは不可能である。

しかし、はっきりした事実があればなぜそうなのかを考えることは出来る。

はっきりした事実、それは毛鈎が魚に飲み込まれた、という事実である。 フライ・フィッシングの経験者ならわかると思うが、ニンフやウェットならいざ知らず、ドライ・フライで向こう合せは殆ど無理なことである。

例外的に、毛鈎が沈んだ時偶然に起きることがあっても、浮いている状態では、まず不可能なはずである。

ところが、この事実が報告されて来た。 1件や2件の報告なら珍しいですむのだが、7件もデータが集まってくると首を傾げざるをえなくなる。

見方に依ってはたった7件のデータである。 しかし共通部分がかなりあった。

サイズはけっして小さくない。

10番から14番である。 全ての報告が一瞬合せが遅れたといって来ている。 そして全ての毛鈎がハックルに共通性を持っていた。

したがって、たった7件のデータと無視するわけにいかないのである。 しかも報告が入って来たのは、ここ2年の内なので、今後益々報告が入ってくる可能性が大きいのである。

ハックルというと、カラーによる分け方と、鳥の種類による分け方があるが、後者の場合随分大雑把な分け方がなされている。

よく使われているのが、レギュラーとスーパー。 多少鳥の種類が分った人が使うのがインディアンとドメスティック。

どちらも、かなり大雑把な分け方である。

ニワトリの種類は、約2000種類ある。 この内登録されているものだけでも、200種類をゆうに超えている。 現在日本に入って来ているハックルだけで、インディアン、バンタム、フィリッピニアン、ゲーム、チャイニーズ、コーチン等々、ニワトリの種類でハックルを分けるなら、最低でもこれくらいには分けてほしい。

さて、9時間も掛けて長野まで出掛けたのは他ならない問題のハックルを作っている本人、小平高久氏に会うためである。 駐車場に車を入れると、本人より先にニワトリが出迎えてくれた。

ゴールデン・ジンジャー、ストローダン、ダンバジャー、毛鈎に関心のある人なら、喉から手の出る程ほしい鳥が、なにげなしに餌をついばんでいる。

挨拶も早々に鳥小屋へと向かう。 中に入ると一斉に騒ぎ出す声と臭いとで一瞬足が止まる。 懐中電灯で照らすと光の中にグリズリーが浮かび上がる。 隣の金綱の中から、金色のコーチンバンタムが首を覗かせている。 彼の話によれば、この小屋は純粋種が入っていてそれぞれを掛け合せることで、狙った色を作っているそうである。 所謂F1、一代雑種を作り出している。 正にバイオテクノロジーそのものである。

従って雛より親の方がはるかに大事である。 親が純粋種であればこそ出来る仕事なので親鳥は数箇所に分散して、更に第二、第三の予備を用意している、とのことだった。

翌日は、彼が手塩に掛けて作ったハックルのテストである。

幾つか峠を越えて北アルプス穂高岳が見える安曇野へと向かった。

天候は晴れ。 気温33度。 雲は遥か上高地の方角に入道雲が掛かっているだけの暑い夏の真昼間。 川は、アルプスの雪が溶けて伏流水となり、この付近で地表に湧きだす典型的な盆地の川。

この水を利用してあちこちでワサビの栽培と、魚の養殖をしている。

水温は湧き水とはいっても、38日間も真夏日が続くこの頃では、けっして冷たいとはいえない。 勿論ライズのかけらもない。 フライで釣るには最悪の条件である。

彼が作ったハックルを、一番初めに認めてくれた人は、彼の仲間以外では、残念ながらフライマンでは無かった。 テンカラ(和式の毛鈎)で釣りをしている人達だった。 理由は、簡単明瞭、只一言、釣れるから。

おそらく今でも、何の話も聞かせられずに、彼のハックルを見せられたら、真先にボツにするだろう。

ひたすら堅いハックルを望んている人は、あまりの柔らかさに幻滅するだろう。 ミッジが巻けなければ、ハックルの値打は無い、と思っている人は、まるで極小の毛がついていないのを見てガッカリするだろう。 多少話を聞かされたとしても、鈎の巻方を聞かなければ、彼のハックルを、完全に使いこなすことは難しいだろう。

それ程彼のハックルは従来の物差しでは計ることが出来ない常識はずれの物だった。 もっとも一度でも、このハックルで巻いた毛鈎で魚を掛けて見ると、今までの常識が如何に作られた話だったということに気がつくのだが。

テストは14番の鈎から始めた。 二度三度流して見ては毛鈎を交換する。 何度目かの鈎で当り鈎を見つけると、同じパターンで鈎を小さくしてゆく。

18番まで交換したところで今度は逆に大きくした。 12番、10番と変えても結果は同じだった。 しかも、10番で魚が釣れ始めると18番はあたりが遠のいた。

今までまことしやかに言われていた常識が、もののみごとにひっくりかえった。

おそらく、この様な条件ならイブニングライズ迄ひたすら待つか、あるいはどうしても釣りたい人は、ティペットを7Xか8X(0.3号位)にし、フライサイズは、当然ミッジの20番、場合によっては見えにくいのを覚悟で、26番の毛鈎で釣り出すことだろう。 そして悪戦苦闘の末ようやく掛けた1匹の話を、ここ数年仲間内に話続けることだろう。 時と共に尾ヒレをつけて

今回長野まで来た目的の一つはこれで達成した。

もう一つの目的は、彼がこれまでにため込んでいる、ハックルに関する膨大なデータを、如何にして整理するかについてアドバイスすることだった。 勿論、私がアドバイスするのだから目的はコンピュータにインプットしてデータ・ベースを作ることにある。

多分、近い将来データ・ベースは完成するだろう。 その後、データ・ベースを整理することで新しい発見が出てくるかもしれない。

さて、残念ながら彼のハックルを入手することは、ここ数年極めて困難である。 彼が納得しないハックルを世に出したがらないのと、親鳥の数が少ないからである。

それでもどうしても彼のハックルが欲しければ、彼の仕事を手伝うことである。 大事なのは純粋種の親を守り続けることである。

この為の組織、ルースターズ・ネックハックル・アソシエーションに参加することである。

勿論大変なことである。 鳥小屋を作り、毎日欠かさす餌をやり野犬やへビから守らなければならない。

魚がフライをくわえている0.2秒間をドラマの幕が開いている時間とすれば、ロッドもラインもハックルも、総てドラマのための舞台装置でしかない。

10年掛けてハックルは完成した。 後はフライマン自身が創るシナリオが残されている。

(「北の釣り」1985年12月号 No.42 P84-86掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


密漁入門

昨年の9月に大手のコンピュータ関係専門の出版社から1冊の本が発売になった。 題名は「ネットワーク犯罪入門」。 内容はコンピュータを使用して、他人のデータを覗いたり盗んだりする手口の解説書である。 犯罪手口を詳細に紹介することで、逆にそれを防ぐための解説書にもなっている。

そこでこれを見習って、これから公開するのが名付けて「密漁入門」。

勿論密漁を奨めるのではない。 手口を公開することで、彼等密漁者の行動を目撃した時に、未然に防ぐかあるいは110番通報するための参考にするのが目的であるから、絶対に誤解しないでほしい。 密漁は間違い無く犯罪なのだから。

毒流し

一般的に毒流しとか、毒もみとか呼ばれているが手口も使う毒物も様々である。 近代国家では禁止されている漁法であるが、開発途上国ではかなりよく行われている。

一見簡単そうであるが、一つ間違うと人命に関わることになる。 日本では勿論禁上されているが、時々行われている密漁である。 使用する毒物であるが、日本ではサンショの葉を木綿の袋に入れて、上流の水中で袋をもみ、下流で三角網を使って浮いた魚をすくい上げるのが、一番オーソドックスな方法である。

世界的に見ても植物性の毒物で一時的に魚をマヒさせ、手で掴み捕ったり、網ですくったりするのが一番多い。 そして小さいのは逃し、大きいのも卵を生ます為逃し、適当な大きさのを必要な数だけ捕るのが、この場合のルールであり南米の奥地やバプアニューギニアなどでは魚を絶やさないように、しっかり守られている。

さて我国では「密漁にルールがあるか」とばかりに渓流を目茶滅茶にしてくれる。 毒流しの言葉にだまされて毒薬(農薬)を使うから、大きいのも小さいめも根こそぎ捕ってしまう。 あげくのはてに、自分で流した農薬で中毒を起こし命を落すバカがいたり、毒の分量を間違えて支流1本全滅させてしまう輩がいるから畏れ入る。

もし目撃した時は、下流の人の生命に関わるので直ちに警察に通報すると同時に現場を見まわし、車などが止まっている時はナンバーを控えておく。

電気

この密漁はバッテリーとイクニッション・コイルを必要とするので中進国以上の国でないと行なうことが出来ない。 方法はオートバイ用のバッテリーとイグニッション・コイルを使って数万ボルトの高庄を発生させ、魚を一時的にマヒさせ下流ですくう。

毒流しと違い影響する範囲が狭いが、フライ・フイッシングのポイントである瀬を目茶滅茶にしてしまう。 水は電気が流れ易い様に思えるが淡水は以外に電気抵抗が高いのでポイントに十分近づかないと効果が出ない。 だから、こいつらが歩きまわった後は、魚が怯えていてポイントに近づくことが出来ず釣りにくいことおびただしい。

この密漁者に出会ったら、手許のスイッチの取付け方法をよく見てほしい。 スイッチを押すと高圧電気が出るようになっているのは初犯。 前科数犯の凶悪犯は、必ず手がはなれた状態でスイッチが入り高圧電気が出るようになっている。 こうしておかないと、万一感電したとき手を握りしめてしまうので、スイッチが入りっぱなしになる。

体や、着ている物が水に濡れると感電するので、一番の弱みは雨と、川で転ぶことである。

夜とぼし

本来この密漁は、魚が光に寄りつく習性を利用して、集まったところを網などで一網打尽にするのをいい、我々に関係するのは、正確には夜突きと言う。

梅雨が明けた頃から盛んになるのは、川の水が落着くからで、8月の旧盆の頃が一番のピークとなる。 カーバイト・ランプで川底を照らし、寝ている魚をヤスで突くのが、一般に広く行われている。 カジカに限って解禁している所もあるが、たいていは禁止されている。

この夜突きを、渓流でやるアホがいる。 カジカと同じ方法で、川底を水鏡(箱の一部に板ガラスを取付けパテ埋めした物)で覗きながら、ヤスでイワナを突いて行く。

当然、夜行う。 モーニング・ライズを狙おうと現場に着くとちょうど夜突きの終ったばかりのこいつらに出会ったり、あるいは川を釣り上って行くと、使い終ったカーバイトが川原に捨ててあったりして、がっかりさせられる時がある。 他の密漁と違って、やっている本人達に罪の意識が薄いので誠に困るが、これは立派な(?)密漁である。

投網

これを密漁といったら怒られるが誤解しないで読んでほしい。 現在かなりの河川でこの漁法は許可されている。 ところが、全ての魚に許可されているわけては無い。 たいていの川ではアユ、又はハヤなど非常に限定した魚種で許可されている。 しかも、捕ってはいけない魚を明記しているのでは無く、捕ってもよい魚を明記している場合が多い。 この場合どこの川であっても、ヤマメやイワナを許可している所は無い。 ところがアユを捕るつもりが、間違ってヤマメが入ってしまったという場合もあるので、川によっては魚種でなく区間と時期を決めて許可している所もある。 したがって、間違いなく渓流となる川で投網を打つのは言い逃れることが出来ない完全な密漁である。

渓流で投網を打つのなら、狙う魚は当然ヤマメかイワナである。 ところがアユやハヤと違い単に瀬で魚を追い投網を打てば入るわけではないから何か方法をとらなければならなくなる。

そこで、投網用の「ヤナ」とか「ツケバ」とか呼ばれる物を造る。 本来のヤナとは似ても似つかない物だが、川の瀬の中に流れを塞き止めるよう、高さが僅かに水面から出るように石を並べる。 初めに要になる石を置き、次にその石に寄り掛る様に石を並べて浅いプールを造る。 数日して魚が溜ったころをみはからって、投網で一網打尽にする。 はなはだしいのは石の隙間から水が漏れないように、ビニールハウス用のビニールを被せているのもある。

もし渓流でこれらの「ヤナ」あるいは「ツケバ」を見つけた時は、当然壊すべきである。 造られてすぐかあるいは日が経っているかはフライを落して見れば、すぐにわかる。 投網を打つ前なら、かなりの魚が入っているので十分楽しませてもらえる。 戴く物は戴いてから壊せばよい。 これは密漁場所を見つけた者の役得である。 壊すのは大汗かいてやる必要はない。 要になる石を見つけて蹴飛ばしておけば、後は水の流れと水圧で自然に壊れる。

ところで、アユの解禁前に堂々と投網を打っているのを見掛けることがあるが、これは密漁ではなく組合が事前に魚の成育状況を調べたり、学術調査の為に行っているのである。

ところがなんの印も無く、近づいて本人に確かめて初めて判る場合が多い。 釣り人としては、彼等の仕事が理解出来るのだから「ご苦労様」の一言も掛けたいが、高飛車に組合員の鑑札を水戸黄門の印籠のごとく見せられると「コノヤロー」と思うのは人情である。 ノボリを上げてスピーカで告知してまでやれとはいわないが、せめて一目でわかるように大きく染め抜いたゼッケンでもつけさせたらどうか。 密漁防止にも役立つと思うのだが。

(「北の釣り」1986年1月号 No.43 P84-85掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


フライ・フイッシヤー人ロ

アメリカやヨーロッパでの釣りとゆうと、すぐにフライ・フィッシングやルアー・フィッシングを思いうかべるが、実はフライ・フィッシングの釣り人口が全釣り人口に占める割合は、そんなに高いものではない。

アメリカで3ないし4%で、5%を越えたことは無いしヨーロッパで一番パーセンテージが高いイギリスでさえ6%前後である。 世界で一番パーセンテージが高いのはニュージーランドであるが、それでさえ10%を僅かに越しているにしかすぎない。 国の総人口が日本の釣り人口以下なのだからけっして多いとはいえない。

日本ではというと、残念ながら正確な数字はわからないが、やっとコンマが無くなって数字が統計に顔を出す程度と思われる。 本を見ているといかにも沢山いそうだが、日本では新しい釣りなので、只話題にされているだけなのが実状である。

ロッドやリールは日本でも作っているが、絶対に作っていないのがフライ・ラインである。 これの輸入量を調べれば、かなり正確にわかると思うのだが。

尚、フライ・ラインを日本に輸入する時の関税コードは「紐」である。 昔、初めて日本にフライ・ラインを輪入した時に、どうしても税関で釣り糸とはわかってもらえず、とうとう「紐」ということで、輸入がOKとなったいきさつがある。 それが今日まで続いている。

最近はサーモン・リバーなどとサケの上る川を特別扱いしているようだが、東北地方の川では逆にサケの上らない川を捜す方が難しい。 一般には解禁していないので知らないだけで、東北全体では北海道に引けをとらない程のサケが捕れている。 なにげなしに見ている川が実はサーモン・リバーなのである。

ちかごろは稚魚を放流する時に小学生を参加させPRしている漁協もあるが、ぜひ続けてほしい。 サケが上る川の上流は当然ヤマメやイワナがいる。 川があって魚が居て、初めて釣りが出来るのだから、東北地方にフライ・フィッシングが根づくのは、もはや時間の問題だろう。

ところで、フライ・フィッシングは特別の釣りでもなければ、やっていればエリートなのでもない。 単なる渓流における釣法の一つでしかない。 ところがそれを鼻にかけ、一部の心無い餌釣り人を見て「だから餌釣りは」などと言いだす"ガキ"を見ると無性に腹が立つ。 渓流の自然を今日まて守り続け、魚を絶やさないよう努力してきたのは彼等だし日本の「釣り文化」を作り上げて来たのも彼等なのだから。

(「北の釣り」1986年1月号 No.43 P86掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]


番外編

好評、不評は別にして、これまで連載させて戴いた内緒話も今月号でおしまいというわけで、ページを汚すのも今回限りと相成った。

そこで、こちらの舌足らずならぬ筆たらす(正確にはワープロでこの原稿を打っているからキー足らず)で話が見えない部分が多々あったので、これ幸いと最後の1回を利用して補足させて戴くことにした。 雪ウサギやネコ柳が姿を見せるまでまだまだ間のあるこの時期、こたつに入りながら「北の釣り」を10倍楽しむまではいかなくともバック・ナンバーをめくりながら、2倍楽しんでいただければ幸いである。

「途中経過を……」(8月号)

コンピュータにインプットしてあるデータの中には、釣りのデータ以外にも色々なことが、記録として残っている。 毎年決って顔を出すのは川で転んだ記録である。

雪代の頃は夏と違いヒザ程度の深さでも足元をすくわれて「アッ」と言う間に流されるし、イブニング・ライズを狙いに入った帰りに夕立に出合って暗くなってから帰って来た、などという経験者は多い。

仙台から、そう遠くない川なのだがポイントの入口と出口が切り立った崖になっていて、雪代が完全に治まってからでないと、どうしても入れない場所がある。 その間約1km程なのだが、中に入ってしまえば回りが開けた瀬になっていて、フライを振り易いので、水が引くのを、今か今かと皆待ち続ける。

やがて入れる季節になっても、まだ難所が残っている。 入口の両岸で平常水位の部分が、大きくえぐられている。 ちょうど、駅のプラットホームを狭くした様な感じである。 しかも傾斜がついているから、なれた人は水際を歩いた方が滑らないのを知っているが、初めての人はどうしても崖よりを歩いてしまう。

先に立って歩いていた時、後の方で「ボチャン」と音がした。 振り返ると同行者の姿は見えず、フライ・ロッドの先だけが水面から見えかくれしている。 やや暫くして頭が覗き無事浮いて来た。 足場が悪いので10m程下流まで泳がせから岸へ引き上げた。 ボックスに入っていた毛鈎は遥か下流まで流されたが、またローンの払い終ってない竿は、しっかりと手に握られていた。

「幸福の青い卵……」(9月号)

この記事が出た後で、「青い卵なんて気味が悪い」と数名の方からいわれたが、話をよく聞くと黄身が青くなるものと勘違いしていた。 色が付くのは卵の殻、つまり外観であって、黄身ではない又、色が付くといっても、いかにも「青」とはならない。 淡い青、或いは水色といった方がより正確かもしれない。 大きさは元々卵を目的とした鳥ではないから普段店頭で見掛ける卵よりは小ぶりである。 出来上がるハックルの色は、卵がブルーだからブルーダンとは限らない。

「東北を訪れた……」(11月号)

東北を訪れたフライマンは、レオン・チャンドラーだけでは無い。 1981年にはジム・ハーディイアン・ブラグバンが訪れているし、翌1982年にはチャールズ皇太子にフライ・フィッシングを教えたジョニー・ローガンが来ている。

これ以外にも、チャンドラーより遥か以前に、ヤンフォー・サンダーが東北を訪れている。 しかし彼の場合、フライ・キャスティングは付け足しで、どちらかといえばマルチ・タイプ(両軸)リールのキャスティング・テクニックを見せるのが主だった。 そういう意味で釣り場を前にしてフライ・フィッシングを見せてくれたのはレオン・チャンドラーが初めてだったし、彼の話のアチコチにキャスティング・テクニック以外のポリシーを感じさせてくれた。

「コンピュータの……」(11月号)

11月号が発売された4日後にNHK特集「カゲロウ大発生」が放送になった。 先に「北の釣り」を読んでから、テレビを見た人は「アレッ」と思ったに違いない。

放送の中で、カゲロウの大発生が報告されているのは、全国で9河川、阿武隈川が一番北になるといっていたが、毎年ではないにせよ、もっと北にある仙合の名取川と広瀬川でも大発生は起きている。 11月号の記事にある国道4号線の橋というのは仙台を流れる名取川の橋であるし、記事が載った新聞は仙台の「河北新報」である。

阿武隈川の福島付近では10年前から毎年9月に定期的にあったらしい。 福島を含め他の地域で毎年起きている大発生は全て「アミメカゲロウ」に依るものであるが、私が遭遇した12年前の春のハッチは、時期や場所から考えても同じカゲロウとは思えないし、福島の大発生に比べれば、遥かに小さいものだった。 それでも、この季節に起きるハッチとしては、ずいぶんと大きなハッチであったと、記憶している。 外国で、フライ・マンが対象としているスーパー・ハッチがどれ程の規模なのか不明であるが福島のハッチはスーパー・ハッチではなく異常発生ではなかろうかと感じた。

放送では、他の8河川から大発生について報告はあったが、学術的なレポートがあったのは僅かに3件しかなかったことや、全てのレポートに共通して、発生したカゲロウは雌しかいなかったこと等を紹介し、しかしながら福島で大発生したカゲロウには、調査の結果雄が半分入っていた事実を指摘していた。

ところで、今出ている水生昆虫学の本は不明な部分が実に多い。 同じ川の上流と、数百m下流で採取したカゲロウが、どう見ても同じ種類なのに、色の違いがあったりするが、この件についての記述は見つけられなかった。

非常に独善的な見方だが、どうも金にならない学問は、不明な部分が多い様である。 事実、水生昆虫学は高等学校の生物部の研究対象にはなっても、熱心な生徒が卒業したり、担当の教師が転任したりすると立消えになってしまう。 これではせっかく貴重な発見があっても世に出ることなく埋れてしまう。 たまにレポートが提出されても、一時的なものだったり卒論程度のものだったりする。 20年とか30年とかの長期にわたって観察を続けているのは、趣味でコツコツと調べ上げている人の方が多い様である。

珍しい鳥を発見するのは一般人の方が多いし、すい星を発見するのもアマチュアの天文家が多い。 勿論「XX野鳥の会」や「○○星の会」、の指導による所が大きいのだろうが、意識して毎日見ている場所に多少とも変化があれば気付くのは当然である。 只、それをどこに、どのように報告すれば良いのかが、わからないのでせっかくの発見が忘れ去られてしまうことになる。 その昔、クチジロ論争というのがあってこれに決着(=イシガキダイ)を着けたのも、カンダイの頭にコブがあるのを指摘したのも、現場で生きた魚を見ている釣り人だから出来たのだ。

「北の釣り」9月号の奇形ヤマメなどは誠に良い例で、この記事の後ずいぶん「北の釣り」に追加報告があった様である。 私の所にも同様な報告があった。 釣れたのは、1985年6月2日、場所は釜房ダム上流である。 時間は夕方、毛鈎はドライフライ。 現物は剥製にして保存してある。 釣った本人がアチコチ持ちまわって調べた所によると発眼卵にキズがついていたり、卵がかえる時の温度が高かったりすると出やすいとのことだった。 例は少ないものの、取立てて珍しい事ではないらしく、ましてや水が汚染されたことが原因による奇形ではなかった。

そこで我々釣り人の出番である。 一人ひとりのデータは小さくとも、数は圧倒的に多いのだから、それこそ「北の釣り」あたりで10年か20年程度まとめて、しかるべき研究機関に持ちこめば、追跡調査の後に水生昆虫学の本の1,2行位には影響を与えることが出来ると思うのだが。

大事なことは、先入観念を持たずに現場で自分の目で見た事実を、観察し続けることである。 本を読んだだけで、人一倍知っている様なツラをしている者には、耳が痛い話だろうが、時として本の知識が新しい発見を遅らす場合がある。 福島の大発生は誠に良い例で、もし過去3件のレポートに惑わされていたら、多分将来の水生昆虫学の本に次の様に載ってしまっただろう。

「アミメカゲロウ=中流部に生息し……秋に単性生殖し、時として大発生する」と。

過去のレポートにとらわれず地道に川を調べた結果、雄、雌、両性が生息していたのを発見したのはNHKのお手柄である。 だからといって過去にレポートが出された川もそうであるとは断定出来ない。 今後、少なくとも10年程の追跡調査が必要だろう。 協力する余地は、大いにあるのだ。

ということで私が春のスーパー・ハッチに出会った場所を内緒にしていては、内緒話がいつまでも終らないのでこの際お話すると、釜房ダム上流の北川、古関地区付近である。 私以外にこの場所で同様な経験をしたと報告があったのはたった1件、1982年5月29日の夕方の報告のみである。 参考の為前後の記録を紹介しておくと、10日前に仙台で総雨量130mmの大雨が降っている。 8日前には、十和田で雪が降ったとのニュースがテレビで流れ、東北地方は全般的に冷え込んだ。

3日前には一転して仙合で26.2度まで気温が上がり昨日同様午後には、気温が30度を越し、当日の朝このポイントに入ったフライ・マンが25cmのニジマスをドライ・フライにヒットさせている。

そして翌日は日曜日であるにもかかわらず、このポイントでヒットさせたという報告は入ってこなかった。

(おわり)

(「北の釣り」1986年2月号 No.44 P84-86掲載)


[Top Page][Index][Contents][Top]

Copyright (c) 風雲西洋毛鉤釣師帳, 2001. All rights reserved.

inserted by FC2 system