小平高久インタビュー

CLUB OF HARDY JAPAN設立15周年記念行事のアンケートに答えて

1997年8月1日

小平 高久

目次

  1. CLUB OF HARDY JAPAN設立15周年にあたって
  2. フライフィッシングを始めたきっかけは何ですか?楽しい思い出があったらお聞かせください。
  3. 本場のフライキャスティングに接したときどのような印象を持ちましたか?
  4. 本場のフライキャスティングを学んでご自分のフライフィッシングのスタイルは変わりましたか?変わったのであればどのように変化しましたか?
  5. シューティングヘッドなど小平さんのスタイルと異なるキャスティングも流行していますが、どうお考えですか?
  6. 自分の一番好きな釣りのシーンはどういうものですか?(例えばチョークストリームでのドライフライなど)
  7. 今までで最も印象に残った釣りシーンはどういうものですか?
  8. 魚を釣ること以外にフライフィッシングを通じてどんなことを考えていますか?(ハックルのことなど)
  9. これからの人生でどうやってフライフィッシングを楽しんでいきたいと思いますか?

CLUB OF HARDY JAPAN設立15周年にあたって

クラブ設立15周年おめでとうございます。

本来私もこちらのクラブに入れさせて頂くというのが筋なのですが、HARDYのインストラクターをやっていた関係もあり、こういったお付き合いをさせていただいております。 15年もの長い間クラブを続けてこられたということは非常に素晴らしいことであり皆様の御努力の賜と思っております。 また、私としてもとても心強いものがあります。

最近になってイギリスのHARDY社自体が世界的なクラブを作ったということを聞きますと間違いなくこのクラブの先進性が認められることと思います。

このような素晴らしいクラブがますます発展していくことを心から祈っております。

フライフィッシングを始めたきっかけは何ですか?楽しい思い出があったらお聞かせください。

フライに出合ったのは修行で京橋の「つるや」に入ったときのことでした。 ですが、当時「つるや」でフライの道具は商品として既に扱っていたのですが、フライの説明をできる人はいませんでした。 フライ人口は何百人という時代でしたので、しっかりとした指導者が求められるし必要だと思ったのでしっかりと覚えなければと思いました。 勿論それ以上に自分自身がフライに興味があったという理由もありました。

当時日本に入っていたのはHARDYCORTLANDだけでした。 他にABU, GARCIA, SHAKESPEAREとか FARLOWは輸入されていましたが、自分がフライを始めたら「つるや」でORVISを、その後LEONARDなど世界中からいろいろなものが続々と入って来るようになりました。 この頃は1ドル=360円、現在の3.5倍というレートだったこともあり、フライの道具はかなり高価な商品でした。

また、フライラインはちょうどシルクラインの規格(太さが基準)からAFTMA規格(30feet=約9mの重さが基準)へ移行している時代で、未だ浸透しきっていない時代でした。 老舗のHARDYもAFTMA規格に合わせた表示に切り替わりつつある時代でした。

当時私が「つるや」に入った時代はCORTLANDのラインも記号指定でアルファベットで表示されていました。 現在のAFTMA規格の表示方法である「DT」「WF」「ST」「L」というものが、シルクラインの時代の古い表記ではアルファベットで「HEF」とか「HDH」などと書いてありました。 古い表記では、初めと終わりの記号が同じものがダブルテーパー(DT)になります。 先頭の太さが2番、真中の太さが5番、終わりの太さが2番だということで「HDH」がAFTMA規格の「DT5」に対応していたわけです。

その後、次々と入荷してくるフライラインが皆「DT」とか「WF」と表示されるようになってきた時代、それが自分がフライを覚えた時代だったのです。

その「つるや」はHARDYCORTLANDを主体に売っていましたが、なにぶん高価過ぎてなかなか売れるものではなかったので、他のもっと安価な商品を売っていました。 国産品では喜楽の物を置いていましたが、芸者印のシルクラインは話では聞いたことはありましたが、実施には見たことはありませんでした。 オリムピックはHARDYの模造品リールを作っていたぐらいでした。 また、ダイワも同じくリールを作っていましたが、ただ単に形を真似て作れば売れるからといって売っていただけで、しっかりした考え方を持っていたものではありませんでした。

その当時はどれくらいかというと、自分の月給が\24,000の時代にHARDYフライリールは\18,000ぐらい、フライラインはCORTLAND444のDTで\10,000、WFで\11,000、333のWFで\8,600、DTが\8,400というかなり高価で、しかも種類も少ないという時代でした。

そういう状況だったにもかかわらず、未知への好奇心なのか何なのか分かりませんが、来るお客様が皆かなりハマっていました。 今、日本のフライ界の主流を歩いている人達は皆「つるや」の客だったと言っても過言ではないぐらいでした。 私はそういう時代にフライを始めたのです。

本場のフライキャスティングに接したときどのような印象を持ちましたか?

J.Leon Chandler先生について

1972年秋、CORTLAND社副社長のJ.Leon Chandler先生が富士山麓の忍野でフライスクールを開きました。 日本での本格的なフライスクール開催はこれが初めてで、日本のフライの夜明けといわれています。 それまでのフライの情報はアメリカからではなく、HARDYを中心とするヨーロッパスタイルのものが主体でした。 ところが、このとき招いたJ.Leon Chandler先生からアメリカのフライというものを初めて見せてもうらうことができました。 それが、それまでいわれていたキャスティングの考え方とか扱い方などといったものが実戦的なものに切り替わった瞬間でした。

J.Leon Chandler先生のキャスティングは釣り場で通用するキャスティングであり、十分納得できる理論であったのです。 そのときが初めて本場の本物のフライに出会った瞬間でした。

そのとき受けた衝撃というのは、カルチャーショックという言葉がふさわしいと思います。 というのは、それまでのフライキャスティングというのはある程度難しいもので、イギリスからしか情報が入って来なかったために、脇を締めろとかスタイルがどうのこうのとかいって非常に堅苦しいものでした。 要するに飛んでるループの美しさよりも、飛ばすスタイルに非常にこだわっていたものだったのが、J.Leon Chandler先生のキャスティングは飛んでるループが非常に美しいものだったのです。 それを目の当たりにした瞬間、フライフィッシングの魅力はループの飛び方の魅力なのだと理解し、その魅力にとりつかれていきました。

それが本場のフライキャスティングを見た一番大きな印象なのです。

James L.Hardy先生について

翌年(1973年)春、イギリスのHARDY社のJames L.Hardy先生が箱根でフライスクールを開きました。 前年J.Leon Chandler先生という素晴らしいキャスターを見ていたのと、もともと情報があった英国スタイルだったということで、さほどインパクトは感じませんでした。

ところが、後で自分がHARDYのインストラクターの資格を貰ったときにものすごいプレッシャーを受けて、初めてJ.Leon Chandler先生のスタイルとJames L.Hardy先生のスタイル(ハーディスタイル)の違いを認識することができたました。

それはJames L.Hardy先生とJ.Leon Chandler先生のどちらが上手くてどちらが下手かとかいったようなことではなく、英国スタイルというものをしっかり崩さず世界に伝えるという使命感を持っているのがHARDYスタイルでありHARDY社だということです。 他の、自分達の才能を活かし、工夫して独自のキャスティングスタイルを売り物にしている人達とHARDYとではいろいろと違いがあります。

自分がHARDYの公認のインストラクターになったとき、"フライの基本スタイルである英国スタイルを皆さんに教える・伝える"ということが自分がやらなくてはならない仕事だと思いました。 また、ハーディスタイル、ジョニー・ローガンスタイル、レオン・チャンドラースタイルといったものをきっちりと把握した上で、今度は小平スタイルという全く新しいスタイルを作り出さなければいけないとも思いました。

HARDYのインストラクターのうちはHARDYのキャスティングを指導し、英国スタイルに馴染めない人達にはある程度オーソドックスなチャンドラースタイルで教え、そして自分に付いてくれた人達にはナチュラルスタイルと言われている小平スタイルを教える、という考えに至りました。 それが本場の一流の人達と接した結果得た一番大きな成果です。

Johnnie W.Logan先生について

Johnnie W.Logan(ジョニー・ローガン)は本物の教えるプロ、レッスンプロという印象を受けました。 また僕等のことはとても認めてくださり、誉めてくれました。 とにかく英国へ来ないか、自分がHARDYのインストラクターやっているから後継になってくれないか、最後にスクールを辞めた後には英国にはキャスティングトーナメントがあり自分がプロモートするから何人か連れて来ないか、と。 今でいうゴルフのトーナメントみたいなものがあるので、プロモートするから来ないかと、そういうふうに何時も誘ってくれました。 そういう意味では最高に気持の良い人でした。

Ian Blagburn先生について

Ian Blagburn(イアン・ブラグバーン)は英国スタイルの非常に完成されたものを持っている人で、天才という言葉が当てはまる人だと思います。 なぜかというと、キャスティングの中にダイナミックさと繊細さの両方を兼ね備えた上で、HARDYという大きな看板を背負っている人だからです。 飛ばすことを目的にキャスティングフォームを真似るならば、Ian Blagburnのフォームを真似るのが一番良いと思います。

Johnnie W.LoganのシングルハンドキャストとIan Blagburnのツーハンドキャストは全く同じタイミング同じフォームで飛ばしているんですが、これはキャスティングを知った人達には、ある程度飛ばさなくてはいけないということを知っていて、そのために何をしなくてはいけないかというと、とにかく人前で飛ばしてみせなくてはいけないのです。 飛ばすために失敗無く、しかも美しく飛ばすためにはどうするかというと、飛ばす部分とラインをコントロールする部分に分けているのです。 その分けるということを的確にできるのがJohnnie W.LoganでありIan Blagburnです。 Johnnie W.Loganはシングルハンドキャストで飛ばす部分とラインをコントロールする部分を分けています、Ian Blagburnはツーハンドキャストで飛ばす部分とコントロールする部分を使い分けていて、その凄さが印象に残っています。 それが彼から感じた印象です。

Johnnie W.LoganIan Blagburnがあのようなキャスティングを実際の釣り場でしているとは思えませんが、英国スタイルというのはハーディスタイルのことなのだということを十分に世界に伝えることができる人達でした。

著名なキャスター達について

また、米国からアン・ストローベル、ジム・グリーン、メル・クリーガーとかいろいろな人達が来たのを見ていますが、それらの人達はレッスンプロ・キャスティングのプロだけあって、自分のキャスティングをしっかりと持っていると感じました。 また、最近一番有名なスティーブ・レイジェフのキャスティングを見ても我々に影響を与えるだけの十分な実力があると思いますが、はじめに見たJ.Leon Chandler先生とかJames L.Hardy先生のキャスティングがいまだに自分の中に残っています。

本場のフライキャスティングを学んでご自分のフライフィッシングのスタイルは変わりましたか?変わったのであればどのように変化しましたか?

ドライフライの問題です。

特にJames L.Hardy先生の講習会で"ドライフライにはアクションを付けてはいけない"と非常に強く言われたわけですが、どうしてドライフライにアクションを付けてはいけないのか?

例えば日本の渓流の早い流れの中でドライフライをやっていくとどうしてもアクションが付くし、ドラッグがかかったりするのですが、そういうこともいけないのかと聞きますとと、そういうこともいけないのだと言うのです。 そこでJames L.Hardy先生の話を聞いているとドライフライというものは自然の釣り場の中で行う釣りなのですが、そこでは自分達がルールを守っているのだと。 そのルールとは何かというと、アクションを付けてはいけないのだと。 どうしてなのかは、昔から言われていて理由は分からないのだということでした。

これを他のスポーツに置き換えてみると、例えばサッカーというのはルールで手を使ってはいけないと決まっています。 ボールを相手のゴールに相手よりも一回でも多く入れれば勝ちなので、それを目的にするのであれば手を使ってはいけない理由などは無いはずです。 しかし、ルールを破って手を使ってしまったら、サッカーではなくラグビーという別のスポーツになってしまうのではないのでしょうか。 サッカーといっている限り、そのスポーツはルールに則って手を使ってはいけないのではないかと思います。

ドライフライというのもアクションを付けてはいけないルールの釣りなのではないかと思います。 それ以来フライフィッシングで、少なくとも浮いている毛針を使っているときには全くアクションを付けないようにしています。 これは本物のフライというものを見せて貰ったときから最低限守って来たことです。

シューティングヘッドなど小平さんのスタイルと異なるキャスティングも流行していますが、どうお考えですか?

フライキャスティングというものを最後まで詰めていくと、毛針をより遠くへ飛ばすことなのではないかと思います。 そして、毛針をより遠くまで飛ばす手法のひとつとしてST(シューティングヘッド)を使うことは正しい選択であるような気がします。 そして、より遠くへ飛ばす道具を作ろうといっていろいろと工夫されて来た結果STが作られたわけで、大変な努力の賜であると思います。

フライキャスティングで実際の釣り場でフライをより遠くへ飛ばす必要があるのかというと、そういう状況もあるし、思いどうりに飛ばすという場合もあります。

広い川でより遠くへ飛ばしてダイナミックな釣りをするときにはSTというのは非常に効果が上がります。 事実、STにランンニングラインを付けると自分達の想像も付かなかったような飛距離が出ます。 例えば普通の人達が20ヤード平均で飛ばせるとすると、1.5倍の35ヤード位が平均して出るのではないでしょうか。

一方、思いどうりに飛ばしたいという場合にSTを使うと、安定性に欠ける部分があります。 自分の意志と別に直進性はあっても、その場面に応じた寄り付きというか、適応性にちょっと欠けるような気がします。

STは飛ばすことが割合い容易だということでそのような場面に応じて使い分ければ良いと思います。 扱い方としてはWFの扱いとほぼ同じように扱えば扱えるということで、殆どの人達はWFを使っていますが、STはその場で必要になったら替えスプールに巻いてあるものを取り出して使うというような程度なんです。

自分の一番好きな釣りのシーンはどういうものですか?(例えばチョークストリームでのドライフライなど)

魚をひとつの個体として見たときに小細工をして釣るのではなくて、魚対毛針というひとつの視線に対する見えない糸というか、毛針を投げることにより魚が毛針を見、人間がそれを見ているという、そういうひとつの見えない糸で毛針を中心に展開をしていくというそこにフライの面白さ、例えば他の釣りはどうか分からないけれど、フライは特にドライフライ感覚とか視覚とかそういうことではなく..... 自分は特にドライフライが好きなのは掛けるためというよりは楽しむという面ではドライフライが好きです。 どうしてかというと、目で見て判断できる、要するに勘とか読むとかではなくて、あくまでも視線とか視覚というところで全部処理ができる。 そういう釣りだから私は止水での釣りが好きなのです。

ところで以前イギリスで鮭釣りをしたことがあるのですが、鮭釣りで合わせをしてはいけないと言われました。 アタリがあったら合わせをするということは非常に大事な動作なのだということを殆んどの日本人は知っていると思います。 それが、イギリスの鮭釣りではその合わせをしてはいけないのだというその理由が良く分からりませんでした。 そういう合わせをしない釣りが楽しみだという人がいれば、そこに行ってその鮭釣りが好きになるのが分かるような気がします。

ただ最近、合わせについて友人が言うには、50cmクラスのニジマスが良く出る川があるらしいのですが、その川で合わせをするとやりとりの途中で口が切れてしまって魚を逃してしまうらしいのです。 どうやって釣っているかというと、ナチュラルドリフトでフライを自然に流し、魚が出ても合わせもせず、ただひたすら吸い込むのを待っているいるとくわえさせるというそういうことがあった。 その50cmのニジマスは重さは正確には量っていませんが、異常な程重いと。 だから、その口が自分の重さで針の当たっている部分が切れてしまう。 そうすると鮭釣りが合わせをしてはいけないという一番大きな理由は、どうもその辺にあるような気がします。 これは何年か後、またはっきりした理由が解ったら発表したいと思いますが、そういうふうに僕がハマッているのは止水で魚釣りができるから止水のドライフライが好きだということになります。 そこら辺は自分がフライが形成された部分の違いという部分が出てくるような気がします。

今までで最も印象に残った釣りシーンはどういうものですか?

昔、いつも通っていた川で野性化したニジマスを掛けたときのことです。 魚を取り込もうとしたときに、一瞬魚の周りが乳白色に濁ってしまって魚を見失ったことがあります。 その瞬間、しまった逃げられた、と思ったのですが無事、魚はまだ針に掛かっていました。

取り込んでから、そのニジマスをよくよく見たら鱗がたくさん剥がれていました。 自分の鱗を捨てて煙幕代わりに張ってでも、生き延びよう逃げようとしたかのようでした。 そんな一途な賢明な努力で逃げようという野生の本能の素晴らしい光景を見た時に、ニジマスというか魚の本質的な部分を見ることができました。 それが、今までの釣りのなかで一番印象に残ったことです。

ニジマスという魚は餌をひたすら良く食う、何にでも食いつくということで、どちらかというと馬鹿にされるような傾向がありるように思います。 何故そのような餌の食い方をするのかというと、いざ天敵に追われたときにそのような形で我が身の一部分を身を隠す道具として使ってしまうので、削った分だけ他の魚よりも餌をたくさん捕るのではないかと思います。

そう感じたときニジマスの恐さというか、魚の持って生まれた素晴らしさというものを感じ取ることができました。

これが他の魚、たとえばブラウン、イワナ、ヤマメを釣った場合には遭遇したことはありません。 逆にいうとこれらの魚は針に掛けるのが非常に大変です。

割合釣りやすいといわれているニジマスはそのかわりに自分で煙幕を張って逃げるほうに注力している。 たまたまこの場合は相手が釣人だったからニジマスは釣られてしまいましたが、他の動物、例えば天敵の鷹とか、自分より大きな魚に追われたときにはそうして、一瞬自分の身を削って煙幕を張ることによって我が身を守っているのではないかと思います。 その我が身を守るというところが逆に餌を貪欲に食うという、要するに警戒心無く餌を食っても最後に逃げおおせれば良いといって生き延びてきた魚族なのではないのかと、そのとき一瞬に感じたのです。

これは私の間違い勘違いなのかどうかは別として、それが今まで私が経験した魚釣りのなかで最も印象深いことだったのです。

魚を釣ること以外にフライフィッシングを通じてどんなことを考えていますか?(ハックルのことなど)

フライとハックルの研究

フライというものは魚がそれを見て食いつくかどうか、釣れるか釣れないか勝負の分かれ目になるとても重要なものなので特に研究に力を入れております。 そのフライで最も力を入れてきたのがハックルです。

20年ほど前に海外に行く機会があり、その時にハックルをたくさん買って来たのですが、その中にとても良く魚が釣れる良いハックルがありました。 それはチャイニーズクックのさもないブラウンだったのですが、そのハックルを使うと魚がドライフライを飲み込んでしまうという、それまでのフライの常識を覆すようなものだったのです。 そんな状況を目の当たりにしてからハックルの研究を始めたわけです。

まず、その良いハックルと同じものを自分で作ろうということで鶏を飼い始めました。 何も知識が無い素人が鶏の交配するわけですから様々な色が出て来るわけで、その中にハニーダンみたいな変わった色のものも出てきました。 それは実際にはハニーダンではなく、ジンジャーとブルーの合わさった色なのですが、それが使ってみると非常に魚が釣れるというので仲間内ではストローと呼んでいました。 そのようにして、遺伝パターンが分からないままではありましたが、とりあえず魚がよく釣れるハックルを作ることができました。 他にもそういうものを見付け出し、作り出して楽しんでいました。

フライの指導

フライの指導というのは、HARDYの日本での輸入代理店であったアンングラーズリサーチ(注:当時)が日本国内でHARDYのキャスティングスクールを開催しており、私も協力してフライの指導に当たっていました。 そんな関係で、キャスティングスクール参加者のなかにはそれに飽き足らず、満足できない人達がいて、わざわざ遠くから(私の住む)長野まで「教えてくれ」と言って来てくれるので私もそれに応じてフライの指導をしてきました。

これからの人生でどうやってフライフィッシングを楽しんでいきたいと思いますか?

HARDYのインストラクターとして長年フライの指導をしてきたのと、"小平スタイル"というキャスティング理論を確立しましたので、その普及を行っていきたいと思います。 そのために「DWA(ダイナミック・ウエーブ・アクション・アソーシエーョン)」という組織を設立して日本のフライフィッシングの指導と普及に貢献していきたいと思っています。


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