王室への献上写真の1枚。 エジンバラ公のホースドライビング競技会でのスナップで、拡大した数葉を献上した。 後日バッキンガム宮殿より丁重なる礼状を頂き恐縮した。(第6話)
1630年代に開業したロンドン最古のパブ(居酒屋)のひとつ、ザ・フラスク。 そのまま訳せば「酒びん」飲んべいが考えそうな名である。 昼下りには店から客が溢れて、このように外までいっぱい。 それに中年ウエイトレスのわい談が実に愉快でこれが又、1杯余計に飲む結果となる。(第11話)
セント・ジェームス公園のトワイライトコンサート。 主なお客は老人、退役軍人などで観光客はほとんどなし。 でも充実したひとときを味わえる好演奏です(第17話)
ヒルとよばれる丘陵地帯の南スコットランド。 次々とあらわれる雲は変化しながら流れ去る。 時間を失念してしまいそうなのどかさが広がる。(第20話)
英国鉄道ご自慢のHST125式のヂーゼル列車。 時刻表にはその名が残っている車両の看板は無い現在のフライング・スコッツマン号。 (第24話)
セント・ジェームス・パッセージの突き当たりにある釣具屋で100余年ここで商売をしている。 もともとこの付近には御用達企業が集まっていて、公爵や伯爵などが買い物しやすい地区である。 客もネクタイ、店員もネクタイといった案配の格式だらけが充満している。(第30話)
フラットと呼ばれるロンドンの長屋。 整然とならんだ煙突が面白い。 日本のようにVHF帯のTVではなくUHFのために、テレビのアンテナなど、この煙突にくくりつけている家が多いのだが、この辺はTV局が近い為かほとんど室内アンテナで用が足りるのですっきりしている。(第31話)
近衛連隊の衛兵で女王直属。 ボタンの配列でわかるそうで、連邦連隊の衛兵よりも、クイーン好みかハンサムボーイの比率が高いのだそうです。(第33話)
北イングランドのアーニックの野外マーケット。 7月というのにセーター、外套の人がショッピングしていて、今は夏かと自問自答する。(第34話)
洋の東西を問わず釣り人の話は同じで、釣りそこなった魚の大きさ。 ロンドン市内の私有地の池での風景。(第36話)
日本でクラブというと、銀座や北浜の高級バーがまず浮かんでしまうのが普通であり、どぎもを抜かれる程の軍資金が必要である。 金が全てであるからそのかわり階級制度とか、人格には無関係で、どちらかといえば助平の度合あたりが女共の物さしの基準であって、誰でも楽しめる。 英国でもこの手のクラブもないわけではないが、実に多種多様のクラブが存在しており、それぞれの規約、階級、慣行が有り、慣れないと戸惑うことが多い。
まずクラブであるから、当然メンバー制度が確立されているが、条件などがことのほか複雑で、正会員には中々なれないものと思ってよい。 ゴルフクラブなどでも日本人の在住者が申込んでも、やれ推薦者が適当でないとの断りにはじまり、うまく入会をはたすには数年がかかる。 わが日本人の平均的な商社などの滞在期間は3〜4年で交代となるので、会員になったとたんに帰国のケースが多く、泣く泣く資格を放棄せざるを得ない。 勿論、会員になれば一生なのが普通であるが、その為には年会費を帰国後もきちんと納めることが必要で、商社マンの悲しさで、再度の赴任の予想などたつ訳がないので継続しないのがほとんどである。
これが英国人の例となると別で、あるクラブの入会を認められると、たとえ海外に赴任しても、生涯会費を納めてメンバーの権利を留保する。 まず、そのメンバーである事でひとつの階級の位置づけとなるからだ。 さらに本人の死後は息子をメンバーとして継続できるし、新会員などの推薦や審査の権利を持つことにつながる。 クラブ員になった以上は、クラブの維持に責任を分かちあう事が最優先課題で、これを形に表わす手段は自分が利用できなくても会費を納め、再び訪れる日を待つ心意気がいるのである。
同好の志の集りでクラブを形成するのが一般的であるが、どうも英国では、クラブとは男の避難場所であるケースが多い。 洋の東西を問わず女共から一時逃げ出したいと思う野郎共がどこにもいるが、英国のクラブを訪れるとその感を強くする。
ロンドンのクラブの一つに釣りに縁がふかいフライ・フィッシャーズ・クラブがある。 すでに200年余りの歴史を誇り、英国内とアメリカ在住の会員で運営されている。 ロンドンでも超一流の場所で、日本大使館にも近いところで毎日会員で賑わう。 二つの食堂、図書館、宿泊施設、談話室、床屋、くつ磨きなど、男のための設備は全て整っているのであるが、女性のためのものはほとんど見られない。 そのうえ大食堂は女性厳禁で立ち入りを認めない。 女性連れの時は、会員でも小食堂を利用することになる。
もう一つ重要なことは酒類の飲料時間である。 英国では法律により、酒場やレストランでは酒類の販売時間が決められていて、いつでも飲めるわけではない。 時間枠を過ぎるとパブからも追出される。 ところがクラブの会員であれば、クラブのバーではいつでも飲めるし、男同志であればなんの気兼ねもないし、飲酒も自由なのである。 勿論、このためにクラブとしての価値もあがろうというものだ。
男がクラブで自衛を決めこむなら、女性はどうかというと、女3人なんとかで、これもまた集ることが好きで、飲んで食べての会合が、ごまんと存在する。 この方はどちらかというと、会費もやすく割カン的な事が多いようで、クラブのように施設をもたないで安直である。 「何とかソサエティー」と名付けるのが一般的で、要は婦人会なのである。 やたら慈善業に類することをタイトルにかかげて、アフターヌーンティーを楽しんでいる。
話が前後するが、クラブがいろいろな形で形成され育った背景には、昔からの複雑な法と、取締まる官憲がいろいろな判断を下しすぎた結果、市民が自衛策として推進したもので、中には理由が判らないクラブもある。 最近でもロンドンでストリップショーを見せるクラブは大半がクラブであり、ギャンブルの出来るカジノなどもそうだ。 夜のとばりとともに、紳士淑女が繰り出す所の多くは会員証が必要で、クラブ員であればその楽しみも倍加する。
それではクラブに所属しない人はどうするかというと、これがいろいろあり、日本からの旅行者でもこの仲間入りが可能だ。 ほとんどのクラブは資金不足で売り上げを伸ばしたいので、臨時会員を受け入れるからだ。 パスポートを提示すれば日本人なら少額の臨時会費を払えばほとんどパスとなる。 金払いの好いカモはウエルカムなのが現実のクラブの顔でもある。
クラブ好きの英国人らしく、エリザベス女王の御用達の業者が集るクラブなどもあり、王族の人々も数10のクラブメンバーになっている。 社交のためには必須の条件なのであるが、こうなると会費だけでも大変ではと、人ごとながら心配になる。 世界の航空会社では個人客クラスをビジネスクラスと呼ぶが、英国航空だけはクラブクラスという。 ここにもクラブ趣向がのぞく。
日本人とドイツ人は行列の嫌いな人種といわれるが、逆に英国の人々は実に行列の好きな国民である。 この習性は、ある意味では階級制度と戦争がもたらしたものとも考えられるが、同時に最も民主主義の原点でもある。 つまり早いものが優先なのである。 日本ではディズニーランドあたりでしか見られない行列柵がいたるところにあり、また、この行列柵の無いところでも、あたかも柵が存在するかのごとく整然と並んで待つ人々に出会うと、妙に感心してしまう。
まず、外国からロンドンのヒースロー空港に着く。 検査は省略してパスポート検査場に入ると、まず最初の行列に出会う。 行列柵は3種で、自国民、英国連邦国民及びEC諸国民、そして其の他大勢組とふりわける。 米国、日本、中近東やアフリカなどと雑多の其の他大勢組の行列は左右に屈折して続くのである。 やっとの思いで行列の先端にたどりつくと、なんと行列コントローラーがいて、審査官への配分作業をしていて、自分勝手に任意の所には行けないようになっている。
英国の主要国内路線には125(ワンツーファイブと呼ぶ)型列車が運行しており、最高速度は200km/時と新幹線並みのスピードで都市間輪送をおこなっている。 ディーゼル客車としては世界一を誇るが、その揺れかたもすごい。 各列車には食堂車とビュッフェが連結されているが、食堂車の方は値段が高いせいもあってもっぱら一等車の旅客用で、ビュッフェの人気が高い。 その為か営業開始とともに客が行列を作り始めて、10分もすると隣の車両まで延々と行列が伸びる。
ウエイターが1人、コックが1人の体制で、トースト、サンドイッチまで作るので時間がかかる事おびただしい。 列車の揺れも手伝って、通路での行列をしながら、座っている旅客とぶつかりあって幾度かのエクスキューズミーを連呼しながら順番を待つ間に列車はロンドンからさらに遠のくのである。 缶ビール1本を手にするのに半時間といった不運にでくわす事もざらだ。
戦争中、とある紳士が行列に出会い、何かの配給であろうと思い列に加わった。 列の先端までたどり付くと、何と妊産婦へのギネスビールの特配であった。 その際、くだんの紳士は配給係と交渉し1杯のビールの獲得に成功。 係は行列した努力を評価したのは勿論だが、くだんの紳士の一言は実にまとを射たものであった。 「……妊婦ではないが予は妊婦を作る種をやどしておる」と。
ギネスの公認記録によれば、ロンドンのセルフリッジ百貨店のセールの為に、302時間40分待った人がいる。 行列の権化というべきか、そんなに待って何を買い求めたかの記録はない。
銀行、航空会社、乗り物、スーパー、公衆便所、キオスク、マクドナルド、サラダバー等々、人が集る所必ず行列が見られるのがイギリスで、日本人から見ると、なぜこんな所まで行列が必要なのか疑問におもうことが多々ある。 しかし、英国の人々にとっては、この形が最高の手段であるとの判断と理解のもとに、今日も黙々と行列に加わるのを日課としての生活を楽しむ。
さて、行列とは何人からなのか。 定義付けをしてみると、英国の多くの人の意見として3人だといわれる。 1人では列は存在しないし、2人はカップルという大前提にたって並びに等しい。 したがって、間が存在する3人から行列は構成されるという。 各種の団体割引も3人からが多い。
形にならない行列が存在するのがロンドンや地方に点在する英国の伝統パブである。 1杯の酒を求めて、時間がくると手近のパブに集るのが英国生活パターンである。 カウンターに横並びの客に対して、中にいるバーテンダーがものの見事にドアを押して入ってきた客の順番をコンピューターの如き正確さで選びだす。 酒を求める側も彼らへの判断力を勘案して、自分の番が来るまでの間、隣客と天気の悪口などで待つのがここでの作法なのだ。
小雨のケンジントン・ハイ・ストリート、ロンドン名物のダブルデッカーバスがゆきかう。 昔ほど厳格ではないが、2階席は座席数だけしか載せないし、1階席は5人までの立席乗車が認められている。 黄昏を前にして、どのバスも満席に近いのかバスストップを通過してしまう。 行列がどんどん伸びてゆき、傘をもたない人々には気の毒なほどで、早くバスがくればと人ごとながら気になる。 やっと来たバスに一部の人が乗り、車掌があと1人OKだという。 ところが、次の行列客はふたり組、その次は家族づれであった。 そうこうしている間に、列の後から1人の若者が割り込み乗車を試みた。 それを見た行列客の多くが、この行為を非難しはじめ若者をバスから引きずり下し、ちょっとしたこぜりあいとなった。 その間にバスの方はあきれて行ってしまったのであるが、行列に対する人々の考え方を垣間みた気がした。
最近このモラルが崩れつつあるのは残念である。
日本のように1民族1国家ではとても想像出来ないような考え方と風習が、合衆国やいくつかの民族が連帯して形成された国家では存在し、それぞれのものをかたくなに守ろうとする為に、外から一見すると奇妙に思うことがある。 英国は正式にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、及び北アイルランド連合王国であり、四つの国から成り立っている。
元首は現在エリザベス2世であり、連合王国を統括しているが、イングランドの元首でもある。 スコットランドはフィリップ殿下がその長であり、ウェールズは歴代の皇太子が当っているのは周知の事だ。 つまり元首が二重に存在するように見えるのであるが、こうしておかないと国家の統制がとれない程の物議を醸し出す要因が存在するのである。
国家銀行券、つまりお札はポンド通貨をイングランド銀行が発行しているが、日本でいえば日銀にあたり、当然この国ではこれらのお金が通用して当り前である。 ところが今でもスコットランドでは、イングランド銀行券は外国紙幣とおなじ感覚で、独自にスコットランド銀行発行の通貨があり、流通している。 国際的にみれば外貨であり換算レートなどは無い。 つまり、同一価値であるが、スコットランド人からすればイングランドの紙幣を自国通貨として認めがたいのである。
イングランド紙幣はスコットランドでも通用し、買物などが出来る。 受取った方はさっさと自分の銀行に入金して、使う時はスコットランド紙幣で引出す。 ところが逆となると少々面倒である。 一方のイングランド側では、そんなへそまがりの通貨など受とれませんと全て拒否される。 旅行者などでスコットランドに出かけて、釣銭を現地紙幣で受取り、ロンドンに戻って使おうとしても、まず、不可能に近い。 我々から見れば英国はひとつでも、現地ではその違いに驚ろかされる。 ロンドンにあるスコットランド・ロイヤル銀行で両替するのが唯一の手段で、日本に持ちかえってからではまず、日本の銀行でも断られるか、取り立てで相当の日数は覚悟せねばならない。 それ以外の方法としては、英国国鉄の食堂車で使い、釣銭をイングランド通貨で頼むしかない。
スコットランドが通貨でイングランドに対抗しているのにくらベ、ウェールズでは未だに言語で抵抗している。 つまり英語を拒否して、昔ながらのウェルシュ語をつかっているし、一部では学校でも一切英語を使用しない、させないというものだ。 したがって、店の看板から公衆便所の表示まで英語とウェルシュ語で書かれており、一瞬どこに迷いこんだのかと思ったりすることがしばしばある。 それも隣接している隣国?なのだから言語共通の点や類似があるかと考えがちだが、まったく異なっているのだから、単なる方言といったたぐいではないので困る。
ウェールズやスコットランドではイングランドを国境の外(アウトオブボーダー)と呼称し、当然の事としてる。 いうなれば、本州に住む人々が北海道や九州を国外と呼ぶ感じて、日本人には無い感覚である。 勿論北海道は例外で当地の人の中には本州を内地ということがあるが。
そんな感覚の連合王国であるが、これがいざ本当のアウトオブボーダーでいさかいがあると、実に奇妙に一致団結し、事にあたる。 特に国家の威信にかかわる問題ともなるとすごい。 例えばフォークランド紛争がそうで、一丸となってアルゼンチンと戦い、取り戻している。
一件落着後は、またぞろ頑固と意地っぱりが頭をもたげた。 サッチャー首相が持ちだしたフォークランドの恒久領地としての為の空港拡張予算ではスコットランドやウェールズが断固反対を唱えた。 そのあげく、スコットランドからの野次は、やるならイングランドでどうぞときたから、イングランドがいきまいた。 ウェールズでは僻地に滑走路を作る金があるなら、老人年金を増やせと首相にかみついた。 そもそも中央政府がイングランド優先政策をとっていると信じて疑わないスコッッやウェルシュにしてみれば、まずは何にでも反対してから考えるというルールがあるようで、多民族国家とはこんなものかと考えさせられる。 日本人から見れば、英国人全部をイングリッシュといってしまうが、これは一種の禁句で、ブリティッシュと呼称するのが無難である。
夏の終りのスコットランド。 エジンバラて開催される軍楽隊の一大ぺージェントであるミリタリー・タトーには国内をはじめ、カナダ、オーストラリア、香港などの連邦国からも参加する。 スコットランドの真夏の夜を飾るこの行事には、世界各地からの観光客で賑わい、切符の取得には相当早くから予約をしないと入手出来ないし、エジンバラのホテルも満室となる。 各地からの吹奏楽バンドの演奏がくりひろげられて、興奮の度合も高くなってきて、観客がさて、次のバンドの紹介を待っていると、会場いっぱいにアナウンスが告げられた。
「次の外国からの参加バンドはイングランド王室近衛兵音楽隊です………」。
早飯となんとかを良しとする日本人や、ファーストフードをいやがらない米国人から見ると、英国にかぎった訳ではないが、欧州の人々は食事に時間をかけると思う。 ロンドンなどの大都会では、ハンバーガーやスパゲッティレストランが増えつつあるが、これらの客の大部分は、アメリカや日本からの観光客が利用しているわけで、混雑しているからといって英国人に是認されているのではない。 サンドイッチの生れた国なのにいまだにこの食物の評価がいまいちなのである。
最近では訪英回数もふえたので当然ながら友人、知人も増え、彼らとの会食する機会も増えた。 だが、相当の親しみの間係であっても、英国では自宅に招特しての会食は少ない。 ホテルやレストランでの会食がその大半をしめる。 フランスのタイヤ会社の発行するレストランガイドのたぐいは英国でも数種発行されており、客を接待する際などおおいに役立っている。
招特する側ではまず、テーブルの予約からスタートして準備にはいる。 時間が来て同行し、ドアを開けるとまずはバーに直行するのが順序だ。 適当に飲み物を決め注文し、まずは一献するやいなや「アーユーオーライ?」と聞かれる。 つまりその水割りの味についての良し悪しで、つまらん事を聞くわいと思う。 軽く1杯の後にテーブルヘと案内されるが、ロンドンなどの都会は別として、田舎のレストランなどでは、割り当てられるテーブルの位置で招待者がその町でどの程度の階級であるかをほぼ知ることが出来て面白い。 美しい前庭が望める窓に面した席とか、マントルピースの対面位置などのテーブルであれば、招待者はその町では上級であると信じてもよい。 また、その店をひいきにしており、既に多回数のチップを納めている証拠というものだ。 逆に入口近くや暖炉のそばのテーブルに案内された場合は、残念ながらその店や町で不人気な人と判断してあまり間違いない。 暖炉の前でオニオンスープの熱いのを汗をふきふき流し込むのは、どんなに美味でも御馳走ではないではないか。
テーブルに座ると、どでかいメニュー本文と本日の料理長のおすすめメニューが英語の教科書のごとく目の前におかれる。 上客のところには店のウェイター頭かマダムが脇に立ってお天気のあいさつに始まって、おすすめメニューの説明が延々とつづく。 短期滞在者の小生にとってはメニューを解読するだけでも重労働なのに、脇でペチャクチャやられたのでは、さっぱり選定作業がはかどらない。 なんとかスターターにはじまって、アントレ(メインディシュ)を決めて注文すると、そこでまた「アーユーオーライ?」とくる。 注文を聞き了わったんだからさっさと引っ込めばいいのに、マダムのお喋りはどこの誰がサーモンのでかいのを釣ったなどと御機嫌をとりむすぶのに忙しく、こちらは只々呆然で庭の木でも眺めるしか手がない。
メニュー選定を了えてホッとする間もなく、次にワインの指定がある。 普段、ワイン付横メシなど無縁なので、どこの何というワインが良いのか皆目判らない。 蛇足ながら、英国人は世界一きき酒の名人といわれているので、英国人と会食の時は彼らに一任するのが無難である。 適当に頼んでオーダーとなるが、またもや、「アーユーオーライ?」と来た。 いいも悪いもわからねェんだよ俺は。
頼んだスターターの小海老のカクテルをひと口食べたとみるや、かんぱつをいれずに「アーユーオーライ?」が飛んできた。 おいしいと答えると自分が料理したみたいな笑みを浮かべて、ラブリーなどとのたまう。 こちらも同様にまずそうなスープの加減を聞くと、ベリーグッド、ただし塩がおおすぎるときた。 冗談じゃない、塩辛いスープなんて飲めたもんじやないのに。
前菜の皿かたしにきたマダムの会話がひとしきりあって、やっとアントレのステーキが届く。 上等のスコッチビーフだそうで楽しみである。 LPレコードぐらいある皿にステーキが鎮座し、野菜をその上にところせましと盛り上げる。 そんなにじゃがいも食えないからと遠慮すれば又々「アーユーオーライ?」である。 やっと盛り付けが終って食べ始めると再び「アーユーオーライ?」ときた。 都バスの運転手の車庫入れじゃあるまいし、オーライの連続でいささか返事が面倒になってきたので、正直に味、焼き加減などを言ったら、聞いた方がけげんな顔をした。
食事の最初から最後まで、それこそペリエ水にまで「アーユーオーライ?」が付いてくるのが英国式の接待であることに気付くのには時間がかかる。
いつぞや、皿かたしにきたウェーター頭が同じ質問をしてきたので、美味であったがノコギリがあれば最高だ、といったら、二度と我々のテーブルには姿を見せなかった。 聞く方も儀礼だけで、答える側も儀礼に乗っとり、まずくても美味「デリシャス」と応じてこそ伝統的な英国式食事とみたが、いかがなものか。
年間400万人の日本人旅行者が世界せましとばかりにかけめぐる。 日本人を除いて、アジアの民でこんなに世界を見聞している民族は少ないと思うし、聞いたこともない。
ところが世界のいたる所に中国人が生活しており、この数は世界では日本人旅行者全部以上であり、中国社会を各地に形成しているのは見事である。 日本食に最も溶け込み類似点も多い中国料理のおかげで、横メシにうんざりした日本人旅行者や海外居住邦人が、世界各地でこの恩恵に浴している事も事実で、中華街を発見してホッとしたなどとよく聞きおよぶ。
最近、よくロンドンの中華料理は、その中でも世界一と聞くが、では、横浜の中華街との違いはどこなのか。 サンフランシスコのチャイナタウンを筆頭に、世界の大都市には必ず中華街がある。 英国ではロンドンのソーホー地区にその一角を保有する。 英国連邦は中国との接点である香港を植民地として永年統括してきており、香港と英国間は両国民とも同一パスポートである。 香港政府は、第2次世界大戦後、政策のひとつとして中国本土からの難民をうけいれる方針をとっている。
巷間、香港での話であるが、中共政府はこの香港の受入政策を利用して、難民にみせかけて数多くのスパイを西側に送りだす事に成功しているともいわれる。 つまり、難民は当然の事ながら無国籍であり、何の保証も約束されてはいないのである。 そこで、香港政府では、難民を受入後、一定期間、収容所に居住させ、期間終了後には香港国籍を有するパスポートを与えており、香港以外の国への出国も可能にしているのである。
つまり、中共のスパイ工作員であっても難民をよそおい、香港に潜入してくれば、後日、西側国民として大手を振っていられる訳で、この話は事実のようだ。 007の御ひざもとのロンドンでも、このために毎年多数の香港パスポートの人々が入国する。
香港の公用語は、英語と広東語となっているが、その大半は広東語しか喋れない中国人である。 この為に、英国に移り住んでも彼らの頼る先は中華街であり、民族意識の強い中国人が何なく受入れてしまう。 このような事情は、スパイの潜入にとって役立っており、英国政府でも中華街については、人口数、不当帯在者などの実態がつかめていないといわれる。
日本で食べる中華料理は、中国人にいわせると中国風日本料理だと断言する。 つまり、香料とか調味材料が異質で、安易に日本にしかない材料を調合してしまう為だとか、さらに、風土がもつ自然の味は島国と大陸ではおのずから違いがあり、かくし味に差がでるのだという。
アメリカ各地の中華街の味はというと、これはまるでアメリカンチャイナと呼んでもいいもので、別の国の料理だと云える。 中華街には、中国人だけでなくフィリピン、ベトナムなど雑多の国民が居住しており、長い間に異質な味を造りあげてしまっている。 その上、食物検疫法による野菜などの輪入制限、中共との非貿易などの為に中華料理の材料の枯渇もあげられる。
ところがロンドンでは、食物検疫の面から見ても輪入制限は極端に少ない。 野菜などについても欧州各地をはじめ、アフリカケニアなどから毎日市場に入荷してくる。 アフリカ各地に移民している中国人農家などが栽培する中国野菜も潤沢にロンドンに供給されており、本場の味作りに役立っている。 アフリカの土壌が中国と似ていることと相まって、いまやアフリカは野菜作りがさかんとも聞く。
中国人と共に多くの移民を送りだしているインド商人がさらにロンドンの中華料理の材料運びに役立っている。 海燕の巣やフカのひれなど、香港の市場を通らずに直接ロンドンに持ち込んでくる。 勿論、多勢の中国料理のコックなどもロンドン中華街では香港などから採用して、店毎に自慢料理を競いあう昨今で、今日では香港や北京とまったく変らない味をロンドンでは楽しむことができる。
ロンドンの中華料理で遺う点といえば、盛り付ける器にずいぶん違いがある。
これは中国や日本では、器をつかってテーブルの上で取り合うが、これが英国人には苦手である。 スープなどもひとり用単位でサービスされるのが普通で、大どんぶりをデンと中央には置かない。 香港では、テーブルクロスがよごれる程、客は味に満足した証拠とされるが、ロンドンにおいては誰もこの作法をしない。
ロンドンの中華料理店に行って、大声でしやべりながら食事していれば、まず日本人か英国にきて間もない香港人あたりとみてl00%当り。 さらに分析すれば、テーブルクロスがきれいならわが同胞、汚なければ中国人と思われたし。
英国人の友人と一夕、ソーホーの劇場にでかける約束をし、軽食を中華料理と決めた。 お互いに好みで、美味の店を云ったら、期せずして同じ店。 英国人も味には中々のものと再評価した。
日本の皇室をもってすると、君主自身が国民の前に年中姿を見せていることは余り考えられないので、英国での国民とロイヤルファミリーの関係を知るとびっくりしたり、とまどったりしてしまう。 新聞に毎日のようにダイアナ妃のニュースがあって当然だし、女王だって毎週のウィンザー通いの往復などで、実に気さくに国民の前に姿をお見せになるし、国民は絶対に王室をけなさない。
女王の夫君のフィリップ殿下との出会いはスコットランドでの事で、気軽に声をかけられて只々驚いた。
エジンバラ公といわれるように、殿下はスコットランドの長であり、様々な行事の名誉総裁などをされている。 その中のひとつで、毎年行われる馬車の操縦を競うコンテストに殿下が出場された。 4頭の馬がひく女王の馬車を駆使されるもので、会場でも早くから一番人気で、友人から是非写真を撮ってほしいと希望があり、準備にかかっていた時だ。
遠まきにいるお付き以外誰も見えないので、隣の方がエジンバラ公だなんて思っていなかった。 どこから来たのかなどの質問や、日本人と知るや、先の訪日が楽しかったなどのお言葉を賜った。 まさに感激とはこの事で、英国人でも直接のお話の機会はあまりないよ、とうらやましがられた。
出来上がった写真は比較的よく仕上がって友人に喜ばれたので、殿下にも差し上げようと思いつき、手紙を添えて後日バッキンガム宮殿に送った。
ひと月程経ったある日、差出し人が書いてない航空郵便が我が家に配達され、開封したところ、何とエジンバラ公からの礼状であった。 この話は日本航空に頼まれて、「Winds」誌に後に掲載されたが、以後、英国では友人達からロイヤルフォトグラファーのあだ名をいただく事になった。
仕事の関係先であるアーニックの町は、スコットランドとの境に近いイングランド。 ノーザンバーランド県にあり、領主として11世のノーザンバーランド公が健在である。 英国で3番目の規模をもつ城を所有され、アーニックの町の名所でもあり、夏期には一般公開されている。 公爵は女王陸下のもとで、国賓などの主客接待員などを兼任されている要職にあり、公爵の中でも上位に属する。
ある深秋の夜、アーニック市長主催によるパーティーがアーニック城であって、たまたま帯在していた小生も招待された。 宴たけなわの頃、公爵夫人が臨席され、ダンスの輪に加わった。 ダンスが出来ない悲しさで、ジントニックなどやっていると市長に肩をたたかれた。 公爵夫人が小生を接見するのでついてこいというのだ。
ご挨拶申し上げると逆に、英国製品の輪出に努力していただき感謝している、と御礼を云われて何とも恐縮した。 その上市長が小生のカメラで記念写真をとってくれるとのことで、遠慮せずにカメラに収まったが、こんな例はあまりない名誉なことである。
アーニックの隣町にラズベリーという所があり、町はずれのクラッグサイト地区に、銘銃の発明で知られるアームストロング卿が残した館がある。 卿は大変な日本びいきの人だったようで、館の中の一室を日本の間と冠名されている程。 徳川家ともおつきあいが深く、浮世絵、陶器など日本品が数多く収集され保存してある。 大正年間に、今の天皇陛下が皇太子として訪英された際、館に一週間も滞在され、卿から心温まるもてなしを受けた。 当時、北海に面した古城などの観光、フライ釣り、ドライブなどを堪能されている。
天皇陸下が今日でも、最も楽しい思い出と言われる有名な旅である。
今の明仁皇太子殿下が、英国女王の載冠式に御出列のためにウィルソン号で米国経由で訪英された。 ところが、第二次世界大戦後の英国では、ことのほか対日感情が悪く、不穏の状態であった。 戴冠式の期間は、何とか日本大使館ですごされたが、ロンドンのホテルからは総スカンを食うありさまで、帯在の館に欠く始末であったといわれる。 この時、再び皇太子殿下を温かく迎え入れてくれたのがアームストロング卿で、親子二代で天皇家がお世話になっている場所でわる。
小糠雨がふるクラッグサイトの館は、今ではナショナルトラストの管理下に置かれる主なし館となってしまっているが、往年のままの保存がなされ、一般の閲覧が可能になっている。 小生が訪れた時は、既に公開期間をすぎた冬であったが、知人の世話で特別に閲覧が許された。 この為に、公開時に入るガイドが皆無で、昔の使用人という老女が説明に当ってくれた。
大ホールまで進んでくると、老女はキョロキョロと落ち着かない。 聞くと、何時もの位置にあなたが一番興味のある写真がないとの事、間もなく発見したが、なんと、中央テーブルの真ん中に置かれてあった。 日本人の小生が訪問する事を知った管理部の誰かの好意であったのだろう。 「明仁」と署名された若き日の皇太子の一葉の白黒写真で、当時のご苦労を察して胸があつくなった。 ガイドをしてくれた老女が、当時皇太子のお世話に当ったそうで、帰り際に小冊子と、よろしくの伝言を明仁殿下宛にと託されて当惑したが、帰日後、ぶしつけ乍ら手紙を添えて東宮御所に届けた。 英国での王室との親近感が無遠慮にさせたのかもしれない。 忘れかけていた頃、宮内庁侍従から自宅に電話がきた。 殿下からの御礼と侍従の怠慢を殿下から叱正されたとの報告であった。
日本の近代の風習については、皇室をはじめとして英国からの教えが数々あり、英国を訪れても違和感を持つ比率はヨーロッパより少ない。 車も大陸と違って左側通行だし、汽車旅行にしても、駅のホームそして改札口など、わが国とほぼ同じである。 しかし、滞在してゆくにしたがって、日常の小さな事が全く異っている事に気がつくと妙に当惑してしまう。
まず、どこにでもあるカレンダーだが、日本では週の1日目は日曜日になっているのが普通なのに、英国の力レンダーでは7日目になっている。 ビジネスでもデイトでもそうだが、英国では約束の日の確認の為に必ず何日の何曜日という云いかたをする。 日本人(たぶん小生だけではないと思うのだが)は、この瞬間に強く感じるのは日にちか、曜日のどちらかで、習慣的に憶ぼえないようだ。 この曜日が実は曲者で、例えば火曜日とおぼえこみ、カレンダーの左から3番目にメモを安易にしてしまう。 ところが、日曜日が右端の英国式カレンダーからすると、水確日にメモをしている訳で約束をすっぽかしてしまう。 この失敗を英国人に話したら、おまえがくれるカレンダーは毎年実に美しいが、同じ間違いをしてこりたので、一切メモはしないようにしていると語ってくれた。
日本の国鉄同様に、英国国鉄も赤字が膨大な税金まかないの企業であるが、旅客をバスや飛行機から取り戻す為に、色々な施策を行っている。 日本の運賃制度では、基本料金+特急料金式なので、急がない人は基本料金だけで鈍行を利用すればよい。 ところが英国では、寝合料金と予約座席指定以外は料金制度をとっていないので、鈍行も特急も同じ運賃制である。 したがって列車の運行方式も2都市を結ぶインターシティー型のタイムテーブルが採用されており、自分の目的地行の列車を選びだして利用すれば最も早く目的地に到着出来る。
では、運賃一種制だから簡単だと考えるのは早とちりで、駅員が覚えられない程の割引や特約切符が存在するのでややこしい。 日帰りの旅行だけでも、普通片道、普通往復、日帰り割引、ラッシュ後の日帰り割引、週未日帰り割引、家族日帰り割引、老人日帰り割引、学生日帰り割引、特定2都市間スーパーセーバー、スコットランドセーバーなどなど、実に粗雑で、一車両の旅客が全員異った切符で、違った運賃で旅する感じである。
日本では、週末ともなると、増発や行楽地向け臨時列車が運転され、平日より列車の運転本数が増える。 ところが英国では、平日を100%とすると土曜日は60%前後、日曜日は30%前後しか運転しない。 そのうえ運転所要時間が大幅にかかる。 これはフロッグマンと呼ばれる保線工夫たちが、軌道点検などを日曜日に集中して行う為の安全確保で、運転スピードをおとして運行する。
日曜日にかんしては、英国では国鉄を利用しない方が得策と国民は信じきっているから傑作だ。 つまり時刻は一応あっても守られる保証はなく、当然のごとく遅れるからである。
ある初夏の日曜日のこと、海風に会いたくてロンドンからサザンプトンまで小旅行を試みた。 インターシティーに乗れば1時間15分でサザンプトンのヨットが見られる、と朝9時半の列車を掴まえた。 例によって発車のベルも無く、ウォータール駅を出たまではよかったが、その後やたら停車の連続、そのうちジャンクションにくると、列車は普段とは別の路線にむかって走り出した。 検札にきた車掌に確認しても、この列車はサザンプトン行で、貴下は正しく乗車中である、とそっけない。 そして、とある田舎駅に着いたところ、何とディーゼル機関車の連結を始めた。
ロンドンとサザンプトン区間は電化されており、全て電車が運行しており、現に乗車中の車両も電車のはずなのにと思っていると、今度は非電化路線に迂回運転を始める始末。 何とサザンプトンに着いたのが午後1時15分前であったが、乗客からの文句もなく、みんな黙々と下車していったのにたまげた。
つまり東京から横浜に行くのに、東京、立川、八王子、橋本、茅ヶ崎、藤沢を経由して行ったみたいなもので、東京駅の掲示板にはいつもの通りに、新橋、品川経由と書いてあったら日本ではどうなる事か。
2都市間を結ぶ思想のインターシティー感覚では、途中どこを通ろうと勝手でしょ。
日本の銀行は、大蔵省のバカ役人が、いずれ天下りや老後の非難場所とする意向からか、ガンジガラメの制約のもとに営業しており、営業店舗数なども制限が加えられていて、国民の便利さは二の次である。 ところがロンドンだけでなく、英国の大都市では、角を曲がると銀行の支店にでくわす程のバンク王国である。 警察の派出所ぐらいの違物が多く、いかにも市民の金庫といった感じで気軽に利用できそう。 その上、CDは全部24時間利用可能で、あまり治安の良くなさそうな場所の銀行CDをみていると、人ごとながら盗難にあわねばよいがと感じる。
日本では商店は夜シャッターを下し、灯火を消すが、英国ではシャッターを下さず、道路に面したウインドは明るく照らす。 犯罪があれば、通行人や警察の発見が早いからとのことで、シャッターが下りていては、室内で起きている被害が外から判りにくいとの生活の知恵からである。
いつの頃か、クレジットカードが旅行者にとって便利で、現金と比べて盗難などにあっても安全度が高いとの事で普及しだした。 小生もロンドンのヒルトンホテルで盗難の被害にあってからは、クレジットカードの愛用者になり今日にいたっている。 ホテルでは確かに便利至極で、チェックインの際にカードを提示すれば、まずはその国の言葉を理解出来なくても投宿出来る。
ホテルで盗難にあっても、連中は何の保証もしてくれないし、その上、セキュリティーなどと称するでくの棒が治安を守っているというが、あれはホテルに被害がおきないように守っているのであって、間違っても泊り客の保安の為ではないと考えなければいけない。 小生の経験では、なんとホテル側では警察にも報告しなかった。 つたない外国語で現地の公安に出向き被害状況を話し、保険での保証の為の書類を入手するのに、ずいぶん時間を無駄にせねばならなかった。
日本では宮内庁の御用達、そして英国では王室御用達といった按配で、商人と取引先の間で昔から掛売の制度が普及しており、デパートなどでも、顧客にたいしてはお帳場制と呼ばれるシステムがあり、羽振りがよければ現金など持ちあるく必要がなかった。
また、集金制度が日本には定着しており、江戸時代から広く普及し、単にプラスティックに登録ざれた数字により信用度を評価する制度とは相手を信頼する度合が大いに異なる。
急激に普及しだしたクレジットカードのため、日本ではホテル、レストラン、商店、デパート、そして最近ではペンションや民宿までプラスティックマネーで支払いが出来るようになり、カード会社の宣伝では、カードがないと海外旅行が出来ないように信じ込まされる。
クレジットカード文化は、ご存知のとおりアメリカがその発祥の地で、サンフランシスコなどではヒッピーの露天マーケットまで1枚のプラスティックで支払いがOKだ。 あの国でカードがなかったら生活に事欠くに相違ないが、では英国ではどうだろうか。
勿論、ロンドンのホテルやデパート、レストランなどではほとんどのカードを受けいれ。 したがって、ロンドンだけで仕事が済むビジネスマンやエグゼクティブには便利だが、この国では一旦郊外にでると、風光明媚な田舎風ホテルや各地の町や村の1番の宿ではプラスティックマネーは拒絶にあう。 宿によっては案内に「当ホテルは、お客様にお支払い頂く代金めいっぱいのサービスをするのでクレジットカードはお断りします。」などと、堂々と表示しており、現金優先である。
当然乍ら、クレジットカードはカード会社がなにがしかの手数料を天引するので、実質の収入が目減りする。 それだけではなく、英国では付加価値税(VAT)の制度があり、通常15%を納税する。 小さな宿屋などではその計算も大変でややこしく、その上、クレジット会社の書類に振りまわされてはかなわないという。 さらに、地方のこれらの宿屋では、信用さえあればつけ売りを悦んでうける。 会社の接特などにも利用してもらい思恵を得る事の方が有効か無効かを心配しながら引き受けるカードよりも数倍安全と信じている。
そんな訳で、京都の古い宿屋とおなじで、いちげんの客などは、けんもほろろに断られたりするが、紹介があったり、得意先の接特客などにはなんとも丁重に応対してくれ、帰りがけにサインも要求しないところが英国では多く存在する。
一般市民だってあまりカードは重要でなく、現金が第一で、出かける時も忘れてる。 だいいち、憩いの場所であるパブなどではカードなんか相手にされない。 ポケットに穴があきそうな重い10ペンスを、もったいなさそうにカウンターの上に並べて払うのがブリティッシュというもんだ。
以外に思うかもしれないが、英国人は全て、お金は重いのがベストという思考があって、50ペンスや10ぺンスのあの重さが好きだ。 近年、使用が開始された新20ペンスと1ポンドコインは、不評さくさくで、釣銭で貰うのをいやがる。 こんな思想からしてペラペラのプラスティックマネーには、一種の拒絶反応をもっているように思える。 世の中、金が一番と思いしらされる。
アメリカンエキスプレス、VISAそしてACCESSが英国では代表するクレジットカードであり、いずれの会社もメンバー勧誘に競争がはげしい。 ところが大都市をのぞいては、カードホルダーが少なく、日本や米国のように普及していない。
さらに、不良力ードが内外から多く持ち込まれるロンドンなどでは、少額の買物でもキャッシャーがクレジット会社に連絡をとり、照会、承認の手統きをする。 その為に、例によって出来ている行列がさらに長くなるなど、クレジットカード本来の目的である決済の簡略化、スピードが逆行をはじめており、さらに不人気に拍車をかけている。
ロールスロイスを自家用車とする人に、日本製のクレジットカードと同じサイズの計算器を贈った。 カードと共にご利用下さいと言葉を添えて。 その返事いわく、……クレジットカードを使ったことがないので共に持って歩けぬが、計算器は毎日ポケットに入れて愛用します…と。
ロンドンの低階層住民は、いずれの大都市も同じように、中心部に隣接しているドーナッツ地域がその大半をしめる。 ニューヨークでいえば、南ブロンクスやブルックリン地区であり、ロンドンではテームズの南にあたるクロイドンとホーランドパークから西側のハマースミス地区をさす。 これらの地区には在来の居住者以外に、外国からの移民や出稼ぎの人々が雑居しており、どこの旅行会社もガイドが注意するようにとアドバイスする所である。
ロンドンでその名を世界に知らしめた若者の風俗に、パンクと呼ばれるものがある。 鋲などで飾りつけたレザーブルゾンとレザーパンツ、髪の毛は脱色またはカラー着色をしてモヒカンスタイルに調髪し、ブーツできめたのが男で、どこまで縫ってあるのかとても理解できない布を纏い、乳房がみえそうな期特をもたせる上衣にズボラなパンタロンか、男性とそろいのレザーできめているのが女の子。 へアーたるや、それぞれの頭の上ではサーカス小屋が営業中、といった風情だ。
英国では、ここ10年にわたって失業率が増加しており、最近の失業率は10数パーセントに及ぶといわれる。
ロンドンの国会議事堂の反対側のテームズ川をはさんでのビルに、只今の失業率が表示されているが、こんな国はあまりよそにはない。 勿論、失業保険の制度もあり、職を失っているものはこの恩恵に浴す事ができるが、若者にとって、職が無い為にこの制度も無駄だ。
中高年層も職さがしに必死だから、若者に職をゆずりたがらないし、自己を守るのが精一杯の現状がますます人々を利己主義に変えてしまっているのが現状なのだ。
そんな中だから、若者のうっぷんや生気をはらしてやる手段として、彼等の行動に対して市民は、以外と寛容であるとともに無頓着である点が、パンクファッションやパンクロックなどを生み出した原因でもある。
生れつき階級制度という社会の枠にはめられて、17歳の義務教育を終えるとともに、親元から独立して核家族化してゆく英国では、成長した子供達は自由なのである。
ひとつの例として、田合から出て来ても職にありつけず、ロンドンなどの都会では、これらの青少年のゆきつくところとなると自然にきまってくる。
性風俗についても欧米の今日は、日本とは大さく異なる。 セックスと若者の成長は堅いきずなでむすばれており、パンクの世界にもインスタントカップルが出来上がるのは時間の問題である。 小暴力や金のある者から巻き上げるシステムが自然に存在し、そんな中で又、助けあうのもパンクの世界で生きて行く約束ごとなのだ。 異常セックスの傾倒者たちとパンクは全く異質と考えてよく、日常の市民社会ではあまり弊害にもなっていないようで、我々旅行者などにもバスの乗り降りなどの際や、道を尋ねたりすると驚くほどの親切を示す。
はじめてボーイジョージを知ったのは、ハマースミスのオデオンでの事で、もう何年も前のことだ。 最近のような派手な化粧ではなかったと思うが、そのときはパンクロックを見に来た女の子と信じていたが、あとでロック歌手で男性だと聞かされて、ただそうかと思っただけだった。
ロンドンにいると、あの手の性傾倒者は多くおり、中にはどうしても男性とは思えない人もいるので、別に珍しくはない。 ただ、ボーイジョージの場合、自分から男性と名のり、舞台でも普段の生活でも、あの化粧とスタイルで通しているのが珍しいともいえる。
英国は過去においても、ビートルズを生み、デビットボーイ、ボーイジョージなどが育っているように、音楽、特にロックの分野においては近年、傑出すべき場所である。 ビートルズが誕生後の数年間は、大人から全て攻撃されたが、若者には狂気めいた程の人気となり世界中を席巻した。
ビートルズの時代がおわり、多くの彼らの作品が名曲として評価され、今ではオーケストラまでが演奏するようになって、ロックのビートの中に示されている旋律の繊細な調べや曲の流れに、英国古来のメロディーを感じるのは何故だろうか。
リバプールで生れ育ったビートルズの生家付近には移民の多くが住んでいる。 アフロキューバンのリズムや英領各地からの民には、独特のリズム感があり、ロックのリズムに結びつく。 ロンドンのハマースミス地区も同じようにアフリカや中南米各国の移民が多住する。
こう考えてみると、これらの地区で作られるパンクロックは我々が感じる騒音ではなく、住民にとっては生活のリズム音であり、音楽なのだ。 勿論、現在が混入された合成音楽ではあるが、一脈通ずるものがあり、深夜まで続く演奏会も許容できるのだ。 また、ボーイジョージの化粧は、白人と彼らの障壁をのぞく手段でもあり、同時に彼の存在価値をしめすテクニックではなかろうか。
日本の肉屋の前に立って、食肉を買おうとしたとさ、目の前にあるものは既に包丁がいれられたもので、ステーキなどで希望のサイズを買う時以外、ドでかい肉塊を見ることは少ない。 鶏肉屋では鶏を1羽のままおいてあることが多いが、これとて既に羽根はきれいにとられており、すぐに台所で料理が可能なのが普通である。
普段こんな風景の中で生活していると、ロンドンの肉屋の前に立つと卒倒しかける。 まるで半頭分ぐらいはあると思われる牛肉がところせましと置かれ、その隣には各種の肉類が配置されている。 小錦の腕ぐらいあるハムやソーセージあたりはさほど驚かないが、ウインド側を中心にぶらさげてある小動物となると、まず、日本人なら食欲が減退するか目をそむけたくなる。 うさぎ、雷鳥、きじなどのたぐいが、羽根や毛をつけたままで陳列され売られているからだ。 さらに蛙の足、各種の臓物、舌などが客を待っているが、日本の肉屋ではほとんど感じない血の匂いが充満しているようで、繊細な神経の持主ならいたたまれない。
ロンドンには世界の料理店が競いあう街があり、世界各地から人々が集まり、いろいろな味を楽しむことができる。 最高クラスの料理店にゆくと、時折、このロンドンの肉屋が出張して来たのかと間違えるような飾りつけが入口にしてあり、ビックリする。 つまり兎や野鳥などがドデンと置かれ、当店ではこの新鮮な材料で本日のメニューを作っています、という訳である。
日本では活魚料理店などで鯛や海老などがいけすに入れられ、注文とともに取りだして活造りにして供される。 特に生き造りなどは、まだ海老や鯛が生きており、ピクピク動いたりしているのを食するのだから残酷ではある。 ある外人さんをこの手の料理屋に招待したところ、見ていて震えだしてしまい、食事もそこそこに逃げ帰ってしまった事があり、日本人の残酷さをみた思いがしたといわれて当惑した事件があったが、英国で食肉屋のディスプレーを見る限りにおいては彼らの残忍性も相当なものだと思う。
日本人が目の下1尺の鯛を見た時の食欲と同じものを彼らは2尺の兎に感ずるのであろう、と納得するには随分と時間がかかったが、いまだに食べる気はない。
ただ理解に苦しむ点は、英国国民が世界でも有数の動物愛護国民であることで、犬や猫の愛玩ぶりは世界中でも有名である。 日本の捕鯨にまっさきに反対のノロシを揚げた国でもある。 ところが上流社会では、多くの犬や馬をかって狐狩りや野鳥、猟と動物殺しに懸命なのである。 この矛盾点については誰が答えてくれるのかを私は知らない。
10年前の日本航空ヨーロッパ行きと英国航空ヨーロッパ行きの機内では、空気の匂いがずいぶん違っていて、日本航空の機内のほうが臭くなかった。 ところが近年JALでもBAでも同じ臭さが充満してきて、ロンドンやサンフランシスコの町中にいるようだ。
自説ながら、人の匂い、つまり体臭の違いがそれぞれにあり、欧州人は四ッ足を主として食する為に、消化された匂いは皮膚経由で排出される。 その為に大便の量はアジア人種より少量で糞臭は弱い。 これに対して米食を主体とし、魚類をたんぱく源とする日本人などは皮膚分泌が少なく、排便量が多く匂いが強いとの考えを持っている。
この為に、欧米にとっての香水やオーデコロンの発達は人々の生活の為の消臭剤として不可欠のものであり、機内の空気をにごすまでの匂いとなっていたと思われる。
これに反して日本では、便所が臭いという大問題があり、ナフタリンなどのトイレット用消臭剤が昔から使われているが、オーデコロンなどはたべもの商売では敬遠され、また平均的日本人は体臭も弱く、必要ではなかったのであろう。
ところが最近では、包丁の無い家庭があるほどファーストフードの普及、食生活の肉食化で、欧米とほとんど変化のない時代となった。 そうしたら、とたんに日本航空の機内でも新幹線の車内ても、あのヨーロッパの町かどで感ずる匂いがうまれだして、いまや充満している。 ちなみに、同機内のトイレは昔ほど「お後の臭害」に悩まされない。
銀座のマキシム、六本木のローマレストランなどでは、時々あのロンドンで見た小動物ドデンの盛り付けをするそうだ。 いつの間に日本人が受け入れたのか理解できないでいる昨今である。
大都会ロンドンをはじめ英国中にあるパブといわれる居酒屋は、町の人々の憩いの場であり、また、社交場でもある。 英国国内法により、パブの営業時間は厳しく制限されており、おおむね午前11時から午後2時30分、そして午後17時30分から午後23時の間が商売できる。 勿論日曜日には若干の早仕舞が普通で、例によってスコットランド、イングランド、ウェールズとさらに変動がある。
英国の飲み屋だからウィスキーが主流と思うのは間違いで、全国で3000とも5000ともいわれる地酒ならぬ地ビールが人気第1位であり、種類も、ビターと呼ばれる黒ビールの類から、日本のビールに似たラーガーなどで有名なギネスなどが人気がある。 これらは全て純生が主流で、瓶詰めは輪入物などが多い。 これ以外に、サイダーと呼ばれる種類の飲料があり、有アルコールでリンゴ酒などもこの仲間に入る。 その次に愛飲されるのがジンである。 トニックやライムなどとあわせて飲む。 ウィスキーはこの次くらいて、それも一番安いホワイトラベルやティーチャーなどが多い。
水割りを頼んでも、こちらから云わないと氷を入れてはくれない。 日本では、コーヒーのメニューにアメリカンというのがあるが、一番簡単な水割り氷たっぷりの注文の仕方は、ここ数年<ウィスキーの水割りアメリカン>と頼んでいるが、これがもっとも間違えられないで届く。
パブには、入口の扉が2ヵ所あるのが普通で、客の方がそのどちらかを選ぶ。 勿論空港のパブなどにはこのスタイルはないが、片側をサルーンバーと呼び、反対側を単にバーという。 これには実は厳然とした約束事があって、中流階級やホワイトカラー族が利用するサルーンバーとブルーカラーや労働階級が楽しむバーが併設されている意味を持っている。
サルーンバーには椅子などが多く、カーペットも敷かれ、場所によってはウェイトレスがいたりするが、バーの側は、板張りのフロアーかコンクリートのままで椅子も少なく、ダーツゲームや、最近では小型のスロットルマシンなどが置いてあったりして雰囲気まで異なる。 そして酒類の販売価格であるが、全てに対してバーの価格の方がサルーンバーよりいささか安いのがきまりであって、どちらで飲むかについては客側の判断となる。 さらに招待客を連れている時はサルーンを利用し、1人の時はバーを利用するといった飲み方は、最も笑いの種となリ軽蔑される。 したがって、市民であっても旅人であっても、自分の利用するパブてのランクを自己申請することと相成る。
ウィスキーやジンなどの酒は、ほとんどの日本人は43度86プルーフと信じている筈であるが、英国では実は、35度70プルーフに規制されている。 本場のスコットランドでも同じ法が適用されており、特例を除いて43度はおめにかかれない。
この為に、アメリカンで水割りにされると、なんとも薄めで、確かに酔いのまわりが遅い。 10数時間の空の旅で、1万メートルの空の酒の酔いとあまり違うのに吃驚する筈だ。
特にスコットランド人は、ウィスキーを水割りにするとあまり良い顔をしないが、35度だと、モルトウィスキーなどは確かに生一本が旨いのも確かだ。
英国は4月から9月までは黄昏が長く、日没は午後10時。 逆に冬場は午後4時には夜のとばりが降りる。 この為に夏冬を問わずパブが繁盛する訳で、昼はビジネスマンの昼会の場であり、宵にはひと時の語りあいの席となる。
評判のパブとなると、とても全部の客が入りきれないので、通り道まで人で溢れる。 わずかのカウンターの中の連中は、これの注文を聞きながら飲み物のサービスレンジを操作する。 勿論、冗談のひとつもいいながらの作業だ。
何回か通い慣れると、バーテンダーの方でこちらの好きなものを覚えてくれて、黙っていても目の前に出してくれる。 そのうえ、パブに限ってチップの心配がいらない点が、チップ無用の国からの旅行者にとって福音だ。
イングランドの南のクライストチャーチのパブに着いたときは午後2時すぎ。 1杯のラーガーとミートパイを頼んで、空いている椅子に腰かけて味わっていると、店内を1人の店員がベルを鳴らしながら閉店を告げて回った。 ラーガーを飲みおわるまではと思っていると、立てといわれて椅子を持っていかれた。 規則に厳しいパブの一面がここにはあったが、北イングランドのパブではオヤジと話がはずみ、午後11時の閉店なのに灯りを消して、数人と一緒に2時過ぎまて談義に花を咲かせたこともある。
酒好きの国と国民にふれた思いが深い旅であった。
英国人は、平均で日本人の約7〜8倍のビールを年間に消費するが、ミルクについても相当な量を飲む人種で、英国人は他のヨーロッパの人々と比べてもミルク臭い。 実際若い女性とすれちがう時など、そこはかとなくミルクの匂いが感じられる。
有名な英国の飲物である紅茶はインドからの渡来物であるが、今では英国のものとして知られている。 ブレンドの技術の優れた技術は、英国紅茶として定着してすでに長い歴史を持つまてに至っているのは周知の事である。
日本で喫茶店などの主流はレモンティーであって、ミルクティーについては特にオーダーの際にいわないとレモンティーが当然のようにサービスされる。 これが英国ではティーといえばミルクと紅茶の組み合わせであって、それも日本式に、おちょこに半分ぐらいの量のミルクとは訳が違う。
英国での紅茶の本格的な分量とは、あつあつの紅茶と同量のホットミルク、そして同量の熱湯の3つのポットで供されるのが普通。 各自の好みに合わせて調合する。 熱湯は紅茶が濃すぎた時に薄める為で、たっぷりとミルクを入れる。 さらに、お茶につき物のビスケットにも高比率のミルクが含有されている。 日本などにくらべると脂肪率も高く、ミルクとして換算すると10枚のビスケットに牛乳瓶1本分ぐらいの濃度をもつものもある。
英国では朝食にも紅茶を飲む、と多くの人が思っているが、実はコーヒーの方が多いのが普通であるが、この朝メシの前にベッドの中で目ざましとして紅茶を飲む。
そして10時と3時のティータイム、特に正式には3時のお茶をアフターヌーン・ティーと呼んで、キュウリのサンドイッチなどを添えて楽しむ。 さらに昼食や夕食などでデザートを頼むと、ケーキ、パイ、フルーツサラダに至るまでなみなみとミルクをかけて出される。 つまり全部牛乳漬けになる。
フォートナム・メイスンとかハロッズ百貨店の食品売り場などでは勿論だが、町かどのスーパーマーケットでも最低20種類以上のミルクがデイリーフードとして並んでいるのは壮観で、低脂肪のものから未脱脂の製品、乳児用からダイエット専用ミルク、パッケージもさまざまでその上、保存可能期間が半年近いものまである。
毎年、英国の中心、シェークスピアの生地として知られるストラットフォード・アポン・エイボンの郊外で、ロイヤルショーと呼ぶ催物がある。 正式には英国農業まつりとでも云った方が正しいのであるが、酪農器具、農業機器、農作物などが展示販売され、各種の行事が行われている。
ロイヤルショーと名がついている様に、期間中の1日、女王陸下を始めとして王室一家もおいでになる。
英国は全土の81%が耕作可能の土地を持つきわめて恵まれた国土を有する。 高い山などは少なく、これもスコットランドやウェールズ地方に限られており、イングランドはどこまでも丘陵が続くグリーンスリーブスである。 この為に多くの国土を酪農に利用して家畜の放牧が行われている。 結果としてミルクも際限なく生産されている訳である。
酪農というと日本人が想像するのは、まず北欧4ヵ国。 次にはオランダとスイスといった所で、イギリスをあげる人は少ない。 たとえばチーズであるが、英国産のチーズはその種類の多さや生産量から見ても、北欧とひけをとらないミルク王国なのでわる。
立憲君主国は日本でもそうだが、王室や皇室が存在しており、国家予算として維持の費用が支払われる。 金銭による予算は勿論のことであるが、税金の免除や特典を与えられている。
英国王室には現在285万英ポンド相当額が王室費用として計上されているほか、500万英ポンド相当額の王室所有7城の維持費、さらに総予算950万英ポンドの範囲において王室専用航空機、専用列車、王室用ヨット(勘違いされるといけないので記すが、総トン数が万クラスの超豪華客船の事であって、日本人が考えるヨットとは程遠い)の管理費がある。
英国王室はこれらの政府予算の他に、膨大な土地をはじめとして財産を保有しており、これらの賃貸による収入がある。 下世話な話だが、女王陸下が所有する競争馬も多く、競馬の収入も別途にある。
年貢時代の名残りかもしれないが、これらの予算の他に、実は英国王室に次の2点が現存していて面自い。 1000リットルのミルクと1トンのオートミルがそれで、必ず国家予算組の際に合わせて計上されるのである。
ヨーロッパに出かけて誰でもが興味を持つものの一つに露天市場がある。 英国の首都ロンドンでもこの青空市場が各地にあり賑わっている。 これらの市場は、まずヒッピーやパンクの連中のもの。 多少インチキ臭い名画や似顔絵かきと絵葉書の写し書きに類する絵画、日用雑貨品と食品、そして骨董品を中心としたアンティックマーケットが主流といえる。
まず、ヒッピーやパンクの品々については、その手の人には興味があろうが、一般には用がない。 絵画のたぐいはアメリカ人向けで、日本人や地元の人々にはあまり必要ではない。 それに比べるとアンティックマーケットは、いつも地元の人をふくめて実に熱狂的でその上、おいそれと買わないのでごったがえす。
日本でも京都の東寺の市がよく知られているが、売られている商品を見るとロンドンの方が格段と種類が多いし楽しめる。 上物になると何万ポンドという宝石に始まって、キリとなるとまるでゴミ函から持ってきた様なマッチの空箱までがところ狭しと並べられる。
江戸落語の「道具屋」で売られているたぐいの物も揃っていて、故事来歴が東洋と西洋を置きかえただけなのも面自い。
つまり、骨董屋の親父に質問すると、事細かにクレオパトラの従者が使用していた、だちょうの羽根風扇や、ヘンリー3世の薬箱などが出てくる。 洋銀の製品ともなると、純度、製造年、製造地などが刻印されており、いつの時代のものかを判別出来る様になっているが、露天の親父の手にかかると、ひとつの灰皿が色々な人の所有品になったりして、時間のたつのが気がつかぬ程だ。
数10年前のものと思われる日本の深川製陶の皿などは庶民の骨董として珍重されていて、市場に必ず並べられている。 皿の絵などが適当にかすれていて、なんとなく時代を感じさせるものであれば25〜30ポンドの値がつく。 戦前にはよく歳末になると近所の酒屋あたりでくれた徳利で、底に三河屋などと書いてあるものが100ポンドて売られていたのに驚いたりもする。
英国のトワイニング紅茶といえば、日本でもよく知られた銘柄で、商品の中で陶器製のポットに入っているものがある。 随分前の事だが、さる友人からこのポットを土産にと頂いた事があった。 貰ってみたもののたかが紅茶の入れ物であり、勿論紅茶も入っていない。 なんとも馬鹿にされた気持でしぶしぶ持ちかえった。
後日、当人からポットについて、実はあのポットはトワイニング社がある年ほとんど製造出来なかったために、骨董市場においてはトワイニングの限定ポットとして評価され、アンティーク価格が設定されており、普通のポットとちがうという事であった。 たかが紅茶ポットされど紅茶ポットという訳で、英国のもっている骨董にたいしての評価の目を知ったのである。
日本では古物商組合を中心として、業者間で取引するのが通常で、一般のひとがセリに参加出来ないのが普通であるが、英国ではこのセリを商売とした企業があり、誰でも入札に参加が可能である。 クリスティーやサザビーなどは世界中に知られる骨董のセリを連日行っている。
先日も、天皇陛下からウインザー公に昔贈呈された日本の飾りダンスが2億円あまりで落札されたが、これも個人で入札に参加した1アメリカ人が買ったものだ。
古物だから新品より安いと考えるとえらい目にあうのも西洋の骨董で、例えばハンフリー・ボガードが着用したレインコートとコロンボ警部のコートでは、それが同じバーバリーの物であっても中古価格と価値が異なる。 つまり、作られたレーンコートの数、デザインなどを勘案してオリジナリティーを探求した上で骨董としての価値の設定がおこなわれて行くのである。 勿論、全部の骨董がそうではないが、彼らの目ききには相当の知識を持つ人もいる程だ。
過日、英国の古いリールを頼まれて知人につてを求めた。 新品が100ポンドもせずに買えるものなので法外な骨童価格など眼中に無かった。 しばらくしてから返事が来て、品物は見つかったが、本当に買ってもよいのかとの確認を求められた。 なんと驚いたことに4500ポンド。 たった1個の中古リールがである。 さらに追いうちで3日以内に返事をという。 他にも買手が待っているとの事。 比べたくはないが国産車1台と同値ではと、やむなく引き下がった。
馬車の時代から全ての作法を踏襲したと思われる点がロンドンのタクシーに現存していて、客室とドライバーの間には仕切がある。
勿論、馬車時代とは異なり、御者とて運転席という屋根付きのものであるが、日本やアメリカのタクシー運転手の様に背もたれをはさんで客にむかってタバコの火をせがんだりする事は間違ってもない。
極度に制限された運転席と荷物スペースのための助手席(当然ながら椅子は無い)のほかは全て客室にあてられた箱型キャビンで設計されたロンドンのタクシーは、過去30年にわたり変更されていない。 前後に向かいあう5座席で、シルクハットを着用したまま坐れる高さだ。 暖房器の調整ボタン、客室ライトなどは乗客が操作し快適にすごす様になっている。 ガラスの仕切りにより、ほとんど客室の声は運転手には届かないし、こちらからガラスをあけて話しかけない限り目的地に向ってひた走る。 無論、運転手も好き勝手に鼻歌を歌うのもいるし、競馬中離のラジオを楽しむのもいるが、客室には届かない。
日本のタクシーは乗り込んでから行き先を云うが、英国ではこれをやると一種の不法侵入となり、理由の類如何を問わずまずタクシーから断られる。 つまり客の立場とは運転手との輪送契約の締結後に成立する訳で、運転手の了承の後でないと無断侵入となる。 この辺も馬車時代の作法が生きていて、まずタクシーを掴まえたら行き先を告げて、OKがでてから乗車する。 これは単に運転手との約束ではなく、労働協約とか乗車拒否権利の履行などが彼らにある為で、遠距離の乗客ほど嫌われる。 つまり彼らの商売の範囲をこえてのサービスは他地域の同業者の迷惑となり、又、営業妨害ともなりかねないからである。
ロンドンのタクシーで有名な事は、住所を云えば、門前まで確実に送り届けてくれるといわれるが、確かに自分の営業範囲についてはその通りだ。 しかし営業地域外となると、逆にかいもく知らずが多いのも事実だ。
これは営業範囲については厳格なテストがあり、タクシードライバーのライセンスを取得するのに平均でも3年以上の教習が必要で大人の大試練と云える。 取得すれば今度は車両の購入などが待っており、資金的にもある程度ゆとりがないとタクシー運転手にはなれない。
平均してロンドンのタクシードライバーは中流の収入を得ており、生活も中流といわれ、どこかの国に見られる様な雲助ドライバーが居ない。
ここ10年来ロンドンのタクシードライバーはユダヤ人が増えてきている。 金儲けにかけては世界でも有数の民族であるが、同族意識が強い彼らは個人タクシー中心できたタクシー業界を会社組織化したり、無線を装備したラジオキャブなどを誕生させて次第に巨大産業にしつつある。
ロンドンのタクシーには実にユニークな特権を,警視庁が与えている。 目の前から乗り込み、目的地の目前で下車出来るのがタクシーの定義だから、ごく一部の場所以外何処でも停車及び短時間の駐車が認められている。 であるから、道路の真ん中でタクシーを止めても警官から咎められることは無い。 また、一方通行道路を除外してどこでもUターンをすることが可能。 したがって、タクシーの車両はほとんど車体の2倍のスペースがあればUターン出来る様に前輪が設計されており、簡単に小回りしてしまう。 ロンドンでは逆方向に流している空車でも簡単に呼び止めることが出来る訳だ。
タクシーは黒一色ときまっていたが、最近は赤、白、紺、緑など、さまざまな配色のタクシーが増えてきている。 また、車内の補助席の裏にひっそりと出ていた広告が、最近では運転席の仕切板にまで進出してきており、さらには外側車体にまで見られる。 ロンドンのバスの広告は有名だが、タクシーも動く広告塔になりつつある。 ユダヤ商法の順当手段とも言えよう。
ごぞんじの通りユダヤ人にはクリスマスは無い。 彼らの新年は別の時期で9月未頃にある。 毎年この日になるとロンドンの街のタクシーが半減してしまい、とてもタクシーを拾えない。 最近では市民も承知してきて、ユダヤの休日をタクシーホリディーなどと呼称する程だ。 逆に本当のクリスマスにはユダヤ軍団のタクシーはフルに稼働する。 クリスマス前夜からクリスマスの翌日の休日ボクシングディーの間は、タクシー料金は倍額となるからだ。 その上、ロンドン交通局の運営となる2階建てバスも地下鉄も休んでしまうから客ばかり増える。 結果として、2倍の儲けのほかに、チップ収入も多額にのぼるのを彼らは承知の上だ。
いずれにせよ、ロンドンのタクシーは便利で信頼がおけ、市民の足となっているが、市民だけではなく、国会議員にとっても重要な足だ。 日本の様に高額な歳費の無い英国下院議員は、その中でも大顧客で、議会の終了と共にビックベンの脇の通用門のタクシー呼び込みランプが一斉に点灯する。 流しのタクシーはこの合図で議事堂に参集して、議員諸公を夜の町へ送り届けるのである。
普段チップの習慣のない極東のはずれに暮らしている人間にとって、国が発行する貨幣にたいして、あまリサイズなどには関心を持たないでいるが、英国の様にチップを切り離しては生活出来ない国民は、貨幣のサイズは大変重要な事柄である。
近年世界通貨の価値変動がはげしいので、チップの金額は変ってきているのであるが、英国においてのチップコインは、長い間2シリング貨であった。
これは十進法に改定されてからは10ペンスになったが、チップコインとして引続き愛用されている。
サイズは東京オリンピックの時に日本政府が発行した1000円コインとほぼ同じで、アメリカではケネディーコイン(50セント貨)がこれにあたるサイズと同じである。 日本人から見るとなんとも重いものが、現在の価値にして英10ペンスは日本円の30円弱に相当する。
渡英して、ホテルのドアボーイに1枚、べルボーイに1枚などと、1日に最低10枚程度の10ペンスコインがポケットを出たり入ったりする。
英国政府では、近年、新しい20ペンスと1ポンドの貨幣を発行したが、これが国民から総スカンにあっている。 20ペンスが小型軽量化し、1ポンドは新たにデザインしたもので、サイフに入れても軽いし、ハンディーなのでポケットの中でもかさばらないのだが。
ところが、市民としては別の理由からどうしても受け入れられぬのである。 新20ペンスは軽すぎて、チップとして接受する際に有難味がうすれるというのだ。
受けとる側でも手の平に載った瞬間に、その金額を感知する必要があり、いちいち手のなかを一瞥してからサンキューを発するのはプロの威信にかかわる問題なのである。
差し出す側にたって考察すれば、わずかなチップをわたすのに、手の中で確認してからなどは紳士としての態度にきずが付く。 さりげなく渡す技術こそ一流紳士の作法などというキザ精神からポケットの中に手を入れてコインをさぐり出す。 ところが20ペンスは小さすぎて、ポケットの奥に鎮座してしまい、スマートさに支障をきたすのである。
英国で背広を買いもとめると、その仕上げのすばらしさに、やはり本場はと思ったのは昔のことで、近年では輪入物が氾濫しており、ある程度の金額をださないと日本の既成服よりひどいものもある。 勿論、有名ブランド物は格段の差があるが、紳士物に関して最大のびっくりは、ズボンの両側のポケットが安物をふくめて実に丈夫に出来ていて、日本製品とは段違いである事だ。
ちょっとしたものでも、ポケットの袋の部分については二重縫いをほどこしてあり、その上、千鳥がけがしてある。 さらに、ほかの部分のポケットにくらべて大さく出来ており、ポケットの中で手が動かせる様になっている。 つまり、チップ収納ポケットなのである。
日本語に懐手という言葉があるが、西洋ではズボンのポケットに手を入れるのはチップの準備なのである。 重い10ペンスコインを20枚程度入れても、壊れたり、ほころびたりしないズボンのポケットが、検査標準といわれるマーク&スペンサーの製品管理も、実はチップに由来していると思うと何ともおかしい。
ジーパンも同じで、小型ながら英国製で海水パンツのポケットまで同思考である。 紳士が片手で自慢の鬚をなでながら、ホテルの門の前で反対の手でボーイに渡すチップコインをさがしている姿を想像したら、威厳があるほどユーモラスてある。
ポケットが丈夫である為か、掴みやすい10ペンス貨になごりおしいのかは知らぬが、さらに当分の間、英国では重たいコインをポケットに、の生活が続く。 さらに驚ろかされることは、いまだに2シリング貨幣が健在で市中に流通している。 既にペンス制度になって10年余も経過しているのに、堂々と旧貨幣が使われているところを見ると、単にチップコインとしてよりも、国民に深く染み込んだ貨幣なのであろう。
ポンド通貨の凋落はひどい状況にあるが、英国政府は1ポンド紙幣から1ポンド貨幣への転換を聞始している。 ところが20ペンスの不評を知っているので、あまり軽量にせずに重みを持たせた。 結果として、貨幣が厚くなったり溝をつけたり、文字を彫りこんだりの労作となった。
はたまた、市民のパブでの話題として、新1ポンドにブーイングが登場してくる。 なんとその大半はコインが大きいとの文句だ。 重い10ペンスについてはなにも言わないのに、それより小さい1ポンドは気にいらないのである。
英国人のユーモアなのか、小言好きなのかは判断できないが、それ以外の理由に、新1ポンド貨は落しやすい、ネジ廻しにも使えない役立たず、ころがり易い等等、他国の人間が聞くと、英国人とはなんとものすごい冗談を言う国民と感じてしまう。
がまんくらべといっても家庭内のことや子供同志のことではなく、英国を斜視していると、国中で我慢くらべをしている感があって興味深い。 サッチャー政権がまずその基本で、並居る野党をけちらしながら、与党とは妥協でもなく全党一致でもなく、がまん比べの状態で党首の立場にある。
政治の党首が女性なら、この国の王も女性であるエリザベス2世が君臨中である。 表面的には女王陸下の内閣であるが、実質権限においては首相の管理下である。
女の世界には、古今東西自分が一番、のプライドがあり、白雪姫に登場してくる魔女は女性の本心の代弁といわれる。女王陛下と女首相の間にも、この辺の微妙なおしゃれについての競合があり、女王の本心は女首相を好んではいないという。
何かにつけてサッチャー首相と女王が同席する行事は多いが、タ刊紙面を中心として、このおしゃれ競争の顛末を面白おかしく報じるし、これがロンドン子のパブでの話題に拍車をかける。 さらに美人の誉れ高いアウトローレディのダイアナ妃が、このがまんくらべに近年参画してきて女王陸下の根くらべにさら拍車がかかってきた。 既におばあちゃんでもあるのに女の性はまだまだ若さと美貌の中におわす女王にとって我慢以外のなにものでもない。
前にも述べたが、英国の失業率は先進国では異常なまでの高率でここ数年推移してきている。 しかし求人広告などは、よく新聞や口入屋(英国には政府の職業安定所は無きにひとしい)に見られる状熊だし、政府では職業訓練教育を拡充して卒業後の就職斡旋をおこなっており、人口の1割もの人々が職業がないわけではない。
つまり職の無い人々は自分に合う職業がないので職に付かないという、我々からみるとジョンブルの根くらべと思えるふしが感じられる。 階級制度からみて、自分の階級に不適当と思えば率先して職にありつこうとせず、非課税で受けとれる失業保険での生活の方を選ぶ。
社会制度の高度化は給与収入に対して高率の税を課するのは日本でも同じであるが、英国の直接源泉税も社会保険税などを含めて高く、実質の収入は失業保険手当とほとんど差がないケースもあり、問題となっている。
NUM(英全国炭坑労組)のストは中止まで丸1年、この間、政府のたび重なる交渉も不調におわり一部の炭坑夫については切り崩し作戦が成功したものの、実質的解決には至っていない。 一時はリビアのカダフィー将軍が援軍についたともいわれたNUMの闘争には、不暁不屈の根くらべとみえるがいかがなものか。
日本でもそうだが、炭坑の近代化は石炭のコストや炭坑の安全管理のためにはやむをえない時代にきている。 わが国のように、深海の底から石炭を掘りだすのではなく、比較的に露天掘りなどが残る英国炭坑であっても、現況の非能率は改善せざるをえない状態なのである。
かの英国の有名紙タイムスも長期にわたるストライキをおこない、崩壊寸前になったことがある。 数年前にやっと復刊したが、いまだに当持のきなくささが残り、ことごどく煙がたつ。
英国の特徴として、ストライキの長期化は最初の主旨よりもがまん比べ、意地くらべとなるのが標準パターンなので、状況が我慢くらべに入ったなと感じる頃、実に見事に支援団体や市民の応援をかちとる事で、その為に警察との争いが激化するので困る。 本来の主張とは別の感情も刺激するさまは、IRAと英国の闘争もそうで、市民の支援参加が争いをかきたてている感がある。
1984年の早春、スコットランドを訪れた。 春とは名のみで、まだ雪が残る渓谷は旅行者にとってきつい。 カレドニアの神水……ウイスキーを片手に暖炉の火で心身を温めたいと思うのは当然の成り行きである。 ところが、わが旅籠ににはウイスキーはあったが、楽しみにしていた暖炉は炭坑ストの為に石炭が配達されず、薪がちょろちょろ燃えているだけで寒いことおびただしい。
同道してくれた友人が、これではかぜをひいてしまうと自宅に招待してくれたので、電気ヒーターのあかあかとした部屋で一夕を過ごした。 彼の説明によると、家庭の暖炉を自宅やホテルに備えている階級、つまり中流階級が我慢くらべ愛好家で、炭坑ストを支援しているのだという。 古きを大切にするのはよいのだが、暖炉で石炭を燃やして過ごすのがひとつのステータスシンボルと信じている連中には、スイッチひとつで暖かくなる石油ヒーターが嫌いなのだと。
ロンドンの規制区域などを除いて、貧乏人や下流階級が、セントラルヒーティングや電気ヒーターを導入しているが、右述の事情なども手伝って、石炭は英国の中流階級ではいまだに必須なのであり、炭坑労組を支援するのも、自分の階級やステータスシンボルの保持の為となると、これはもう我慢くらべも立派なナショナリズムではないか。
田園都市といわれるロンドンを始めとして英国の主な都市では縁が多く、旅行者にとっても心がなごむ。
近代革命とともに、住宅地域や商工業地区などの線引きがなされ、公害などもあわせて実施された。 戦争、そして大火などの被害をうけたロンドンなどもこの緑化のおかげで人災を防ぐのに役立っている。
英国の人々は、土に対する愛着を非常に強く持つ人種で、長屋などでも必ず小さな裏庭をもち、花や野菜などを作って楽しむ。 ホームパーティーなどで、庭のパセリなどをサラダに節りつけ自慢するのは主婦のお家芸である。
ロンドンなどの大都市のアパートなどでは、区割りの関係などから、裏庭を設置できないケースが多くある。 この為に、隣接する道路に面して、プライベートパークと呼ぶ空間を利用してこれにあてる。 街を散歩していて垣根を巡らした庭を見かけたらこの手のもので、1〜2ヵ所に入口があリ施錠してある。 10軒から20軒程度で共同保有するもので、全所有者の合意のもとに、花壇中心とか、テニスコートとか、テラス風などに作られていて、休憩の場として利用される。
公共の公園としては、女王陸下から借用した土地やロンドン市所有の数多くの公園が存在して、市民の憩いの場として提供されている。 日本の多くの公園の様に、24時間通り抜け出来るものは以外と少なく、多くの公園にはゲートがあり、夜間は閉鎖される。 管理事務所が必ずあり、パトロールや清掃が行われている。
通常は、早朝から日没を公開時間としているところが多い。 日本人の早飲み込みで、夜など涼みがてらの散歩や恋人とのランデブーは、日没閉園では不便だろうと考えるが、実は日没時間たるや日本とは大差があり、なんの不便もない。
北緯52度のロンドンが一番西に近い英国は、日本から見ると、カラフトの真ん中あたりになる。 冬は9時近くに陽が登り、午後4時前後にとばりが降りる。 逆に6月ともなると、午前3時半には夜があけ、午後10持まで黄昏が街を包むのである。
したがって、市民の散策には、現在の公園時間帯は生活に即している訳で何の不自由もない。 そのうえ、樹木が多いロンドンの公園では恋人同士のラブコールに絶好で、時間を問わない。
だいいち彼らにあっては、他人の目など眼中にないから、真昼間でも芝生の上でえんえんともつれあうし、誰も気にもとめない。 冬場の寒い公園は、そもそも恋人達には無用だ。
ハイドパークやリージェント公園などは日本の公園の規模にくらべて数倍から数10倍の広さを誇る。 各種の野外スポーツなども出来るし、乗馬なども楽しあるが、騒音について極端なまでに規制がひかれている。 プライベート公園を除いてトランジスタラジオやカセットテープレコーダーは使用禁止である。 蛇足ながらソニーのウオークマンの発明を日本以外で一番喜んだのはロンドン子ではあるまいか。 その証拠には、この規制にかかわらず、最近はイヤホーンの若者がロンドンの公園でもいっぱいである。 しかし、実に馬鹿馬鹿しいのであるが、既存のラジオやテープレコーダーだってイヤホーンで聞けた筈で、ウォークマンの時代まではそれに気ずかなかったロンドンの連中の思考にあきれる。
公園で唯一許されている騒音として、音楽隊の練習や兵役中の訓練がある。 兵舎なども、バッキンガム宮殿の衛兵などは市中にあり、教練場として平日一部を共用している。 観光客や通りすがりの人々は、あのバッキンガムやセントジェイムス宮殿の衛兵のかっこいい交代しか知らないが、時間があれば、この兵隊訓練の見物を勧めする。
ちょび鬚の兵隊違がずっこけたり、上官からしごかれる様は、ソーホーの芝居よりずっと変化に富み楽しいロンドン見物である。 スコットランドのキルトの兵隊が落馬してお尻丸出しなどが見られればなおさら可笑しい。
市民へのお返しとして、ロイヤルアーミー、ネービー、そしてエアホースの音楽隊の演奏が毎休日や土曜日の午後に各公園で行われる。 単に吹奏楽だけではなく、クラシックからワムのヒットまでレパートリーを持つ本格演奏で、全て無料。 お年寄りのためにデッキチェアまで用意される。
椅子といえば、公園にはベンチが付き物であるが、ロンドンの公園では人名を記したベンチが多い。 これはその公園を楽しんだ人々が死去すると、その遺族が故人をしのび、名を刻して公園に寄贈する慣習からきたもので、そのベンチがまた多くの人達にしばしの憩いを提供する心暖まる習慣だ。
軍楽隊の演奏を楽しむ人々の間を、フロックコートの紳士が道り抜けざまくしやみをして、ハンカチで鼻を拭いながら誰に云うともなしにエクスキューズミーといった。 英国紳士はかくのごとくと感心し、さて、くしゃみは騒音かいな?と自問自答した。
英国王室が保有する財産は莫大なもので、政府を始めとして、国の各分野でも借り入れて使われているが、その全てはとても掴みきれない。 バッキンガム宮殿をはじめとして、7ヵ所の王室が使用する居城、各地の公園などなど、不動産だけでも国家予算に匹敵するものを有す。
セントジェイムス公園の東はずれのアドミラルアーチからバッキンガムに通ずる道路、モールは、国賓の行列をはじめ、1日中通行する馬車が絶えない。 宮殿前のビクトリア女王の銅像と、これを取り巻くロータリー道路、モールの途中からペルメル通りに抜けるセントジェイムパッセージなども一般道路と同じように道路標識があり、信号機も点滅する。
ところがこれらの道路は、実は女王陸下の個人の財産であり、国民の誰でも使用できる王室所有の不動産なのである。
そもそもロンドン市は、現在では中心地の東側になってしまったが、セントポール寺院をとりまくシチーとよばれる地区をさしており、現在でもロンドン市の元標である。 現在の繁華街でもある中心地区をウエストエンドと呼称するのは、このシチーからみて南に位置するので付けられた呼び名である。
このウェストエンドからさらに西側が歴代王室の所有地であり、その面積は壮大なものだ。 しかしながら、その大部分を公園や公共物の為に王室では政府に貸している訳で、一部ではあるが賃貸料も受けとっている。
観光地としても名高いウィンザー城も、王室が一般公開しているので、旅行業者をはじめとして多くの職がなりたっている。 勿論、王室の管理部では、なにがしかの入場料金を徴収しているが、それよりも王室側がぎりぎりの線まで国民の為に立ち入りを認めているから出来る事である。
英国でも多くの爵位を持つ人々の生括は斜陽といわれ、継承した不動産などには容赦なく課税の憂き目にあう。 この為に、城の管理をナショナルトラストに委託し、自分はその城に間借りするものや、観光名所として日中入場料金を稼いで生活の足しにする。 なかには日本のTVコマーシャルにも出てくる公爵もいる程だ。
これとは反対に、個人所有物件を人に使わせたがらないのは市民の方で、以前にも述べたが、町のあちこちに点在する小公園などは必ず施錠してあり、所有者だけのものだ。 デバートの便所なども、出来るだけ客には判らないように存在するとしか思えない。
ロンドン名物の一つにバッキンガム、セントジェイムス宮殿での衛兵交代式が雨天を除き、毎日行われる。 騎馬隊、音楽隊、そして衛兵の列が兵舎である首相官邸脇から宮殿までの約1マイルをパレードするのである。 衛兵の行進はスタートしてから宮殿まで、そして完了するまでの間、女王陸下の土地以外を行進することはない。 つまり、全ては王室の不動産の中である。 国民、観光客など、このセレモニーを観覧するもの全てが、あえていうならば個人所有地に無断侵入している訳である。
日本の皇居前広場ては、商売を目的として写真を撮る事も認めないし、使用も辞さないのとは雲泥の差であり、英国王室の公開の胸襟の大きさに脱帽する。
君臨すれど統治せずの原則とはいささかずれるが、このパレードをはじめとして王室が行う行進、ましてや女王の敷地内では不文律の約東事がある。
それは、いかなる妨害も王室側は辞さないし、これを管理、取り締まるのはロンドン市である行政府と決められている。
したがって、パレードの時間が近ずくと、背高ノッポのロンドンポリスが各所に配置につき、パレード終了までのあいだ交通を遮断したり、見物客の整理にあたる。
近年観光客や通行車両の増加の為に、パレードがくる直前までこれらの流れを遮断せずに采配をふるうのはロンドンポリスの腕の見せどころといえる。
極端な話、パレード中の衛兵のほうは、道路に人がねころんでいたりしても踏みつけていくという。 また、警護中は、不動の姿勢で、語し掛けても応じない。 つまり彼らは女王の兵であり、王に対してのみ忠誠なのである。
遠くからバグパイプまじりのブラスバンドの演奏が聞こえだす頃には、道の両側は観光客であふれる。
最後のバスやタクシーなどが通行するのを見届けると同時に、黒地に白文字で書かれた看板がでる。
「私有地につき通行止め」「私有地に駐車禁止」などと。
女王陛下が国民並みに私有財産を主張する数少い例である。
英国王室御用達の業者や商人にとって、御用をつとめるのはほんの一部の仕事でしかなく、商売としては多くの上流社会の顧客がなくてはなりたたないし、この看板を利用して観光客など目当てのビジネスも大切である。 斜陽英国通貨が観光客を呼びこむのに成功して、近年はロンドンを始めとして英国中がアメリカなどからのビジターで賑わっている。
英国は古き伝統を愛しながらも、常に世界で一番新しいものを形成するユニークさでも知られるが、1975年、社会評論家のひとりであるピーター・ヨークが云い始めた階級に、スローン・レンジャーという層が出現し、以後、現在ではこの呼び方が上流知識階級として定着しつつある。
現在では、俗に云う爵位を持つ階級が斜陽化しており、絶対数を誇れない。 片やオックスフォードやケンブリッジを優秀な成績で卒業し、一流企業の職についた人々にとって、王室御用達の洋服屋が仕立てた背広を着用し、フォートナム・メースンの紅茶を取りよせタイムズを片手に、かつてネルソン提督の帽子を製作したロックのハットで出勤するのを愛する連中である。
なぜスーン・レンジャーの名がついたかというとこの階級の人々の居住地区からきており、その中心がスローン・スクエアだからで、ロンドンでは高級の下に属する地域である。
周辺は例の三浦なんとかさんが隠れ住んだフルハムロードやキングスロードがあり、ハロッズ百貨店も徒歩の距離。 その上、お互いに余り近所付き合いの好きな連中でないので、プライバシーが保たれる。 余談ながら、その辺を読んで隠れ住んだ三浦さんだとしたらなかなかのロンドン通である。
スローン・レンジャーは頑なに鉄則を守る。 おしゃれではあるが、ロンドンのシチーで通用するファッション以外は絶対に着用しない。 頑固なまでに流行を拒絶し、若者のパンク風俗などにはおくびにでも興味をしめさない。 それでいて、ハードロックなどの音楽には精通したふりなどすることがあるので、不思議といえば不思議。 選ぶ職業にしても、保険業、弁護士、銀行マンそしてハイテク企業の重役あたりがオックス、ブリッジの卒業なら普通で、スノッブな態度はますます高尚志向に拍車をかける。
最近、名付け親のピーター・ヨークの手になる公式スローン・レンジャー・ディクショナリーなるものがロンドンで刊行された。 従前、スローン・レンジャー・ハンドブック及びダイアリーなる本がでており、その第3弾である。 内容を一督してそのスノッブな気質とジョンブル精神に驚いたり敬服したりのものだ。
英国をいくつかに区分してその最初がロンドン。 女性のスローン・レンジャーのための店、男性の店、趣味やスポーツなどの店、水着や下着、骨董、帽子に靴下、スローン・レンジャーの最適な贈り物を揃えた店、寝具、インテリア、家庭用品、あかり、カーペット、画廊、そして食料品、レストラン、パブ、キャンディーショップなど全てを網羅してある。 勿論、偏見と独断のきわみであるが、リストされている店や業者がほとんど王室御用達であること、そして自分たちの居住区に近い郵使番号、又は、地区にある業者が選定されているあたり、彼らの持つ独特の利己主義が見られて面白い。
スローン・レンジャーたちは、2枚のダークカラーの背広を交互に、月曜日から金曜日まで勤めあげ、週末は郊外や田舎のカントリーハウスに行って、バードウォッチングやフライフィッシングで過ごすのが自分たちの階級の生活と信じきっている。
どんなに成功しても、自分の代での上流社会入りは不可能であることは判っており、大企業の社主や社長になる野望ももたないのが普通で、無関心を装っての毎日が続く。 群衆の中では出来るだけ目立たないように努めながら、おれの背広は隣を行くやつよりも上等のへンリーフール仕立てなのだ、とほくそ笑むのが趣味といえば趣味である。
スローン・レンジャーの増加は、はっきりいって貴重でもある。 王室御用達のクラスともなると価格も安くない。 また、オーダーメイドなどが多い為に、観光客もおいそれとは来てくれないし、売れるのはたいした額にはならない。 そんな状況下の今日では、スローン・レンジャーが御用達業者の一番の顧客である事は間違いない。
手元に時を同じくして、王室御用達の店を紹介したロイヤル・ショッピング・ガイドと言う本が届いた。 小生の関係する相手もリストされており、同時にスローン・レンジャーの御用達でもある。 御用を受け承る業者が広域なのに驚いたが、その中になんと煙突掃除や窓拭き職人まで網羅されている。 さすがのピーター・ヨークも彼らは紹介していない。
日本の演歌にはよく使われる単語として涙、港、月などがあるが、英国では、ポピラーソングでも唱歌でもよく雲が登場する。
どのの国でもよく目にしたり使われる単語は生活・背景に溶け込んでいると思われるので、英国の雲について若千の考察をしてみる事とした。
フランス絵画の印象派にみられるセザンヌ、ルノアール、モネ、そしてユトリロ、ロートレックなど、いろいろな風景画をみても、背景となる空中空間の雲についてはそれほどリアルな描写がないが、英国の画家の描く作品には、この背景となる空中空間に、さまざまなかたちや色をもつ雲があり、作品全体への影響が大きい。
コンスタブルにしろターナーにせよ彼らの作品を鑑賞する際、背景の雲をフランス絵画的にすると全く無価値になってしまう。 特にターナーの晩年の作品を見ると、彼の全能が雲のイメージの上に成りたっている感すらする。
英国でも特にイングランドとウェールズで多様な雲に出会う。
それに対してスコットランドでは、どちらかというと雲に変化が少ない。 夏場は日本同様の積乱雲などが中心で、夜11時まで暮れない空にある。 反対に冬場はほとんど太陽が出ないに等しい状況で、どんよりした雲に支配されてしまう。
イングランドとウェールズはこれにくらべて気象条件が極端に異なる。 西に大西洋があり、東に北海を持ち、さらに欧州との間にイギリス海峡があり、メキシコをみなもととする親潮の流れが東西の気象に混じりあう。
ウェールズの北の一部をのぞき、両地方には高山が存在せず丘陵地帯が続く。 この為に日本の本州の中心をつらぬくような山脈がないので分水嶺もない。 結果として東西の気象は、イングランドの空でミックスして大西洋側と北海側の気圧の変化の全てが雲となって直視できる。
西から東への気象の動きは北半球の特徴であるが、まるで気象衛星でみる雲の動きそのままを自分で見る事が出来るのはイギリスをおいてない。
上層、中層、下層の雲が風にのり、さまざまな形を作り、その間をぬって太陽がふりそそぐ。 特に中層の雲は気紛で、気流にのって太陽光を弄ぶ様は大スペクタルだ。
ただし、ロンドンはこの美しい雲に出会うのはまれで、本当の雲を見たいと思ったら郊外まで足を延ばさないと無理。 どうゆう訳か都会の雲はどこでも味気ない。
6月のイングランドは1年のハイライト、ジューンブライドと呼ばれる。 1月雪、2月氷、3月強風、4月雨、5月晴れ間、という英国のことわざのとおり、長い悪天候のあとにこの季節となる。
全てが輝きを増す素晴らしい時期で、丘陵の空でも、鱒釣り河川の上空でも思わず立ち尽くす程の雲のページェントに出会うのである。 数世紀前の宗教画やコンスタンブルの描いた干草小屋と牧童たちの絵画そのままの雲だ。
あまりの明るさに寝過ごしたと思って、べッドから飛びだし、時計を覗くと、まだ午前6時前。 窓ごしに外を見渡すと、朝の雲は駆け足だ。 偏光板にあてる光線のような朝の光が部屋をなおさら明るくしている。 午前3時55分が日の出の6月のイングランドであればの事で、朝食までまだ間がある。
ホテルのまわりを散策しながら朝刊を買いに町の本屋に寄り、そして羊の移動する丘陵に目を移すと、わずか数分前にあった平べったい感じの雲は姿を消して、積乱雲が上空一杯にひろがってゆく。 窓寄りのテーブルで、薄いカリカリのトーストを食べていると、さっきの積乱雲はもうなくなってまさに快晴、どこにも雲がない。 9時すぎに迎えの車にゆられて牧草の間を走ってゆくと、ひとつ先の丘陵の上に黒雲がちょっと顔をのぞかせている。 5分もたたないうちに英国ではシャワーと呼ぶ通り雨に遭遇した。
ハイライトは午後5時以後に始まる。 10時まで暮れない夏のイングランドでは、黄昏が長く続く。 太陽は西の水平線の上で沈むのを忘れていて斜光を放射している。 不思議なようだが、1日の内であんなに早く流れて変化しつづけた雲なのに午後7時をすぎる頃からは、ほとんどその動きをやめて休息にはいる。
太陽の光は雲の下から、まるでスポットライトのような効果を与えるので、立体感を増した中空の雲は彫刻のように輝いてそそり立つ。
英国の名曲のひとつに、流れる雲を素材にしたものがあり、ひと昔前にナイトブリッジ・ストリングスの演奏を聞いた事がある。 夕食を了えてのドライブの時、たまたま同じ演奏がカーラジオから流れて、英国の雲の美しさこそ百聞は一見である想いを強くした。
イギリスでは天気の予報と結果に、日照時間と降雨量があろ。 30分ごとに晴、曇り、そして雨があり、日本のように単純ではすまぬ。 雲間の日照をストップウォッチで計り続ける気象官が必要な国だ。
英国は航空機のなかでは嫌煙権の主張が通った中では一番遅い方で、その後、列車やバスなども禁煙席が出来た。 ところが、ひとたびこの制度が拡大しだしてから、最近では空港の待合室、廊下、ホテルのロビー、映画館までも禁煙席が設置されている。
こう書くと、映画館など当然、と日本人は思うのが普通だが、実は英国ほどタバコに対して寛容な国は昔は少なかったのである。
そもそもタバコの普及は、英国の先達がオランダの商人などと広く世界に交易の物件として取り扱ってきたもので、国民は無類のタバコ好きであった。
英国でのタバコの種類を見ても、とてもよその国はかなわない多くのブランドがあり、さらにブレンドの違いも存在する。 バーやレストランで見かけるビール会社などの灰皿の種類を勘案しただけでも、タバコ飲みの人口を把握出来る。
そんな国柄からか、日本の消防法などでは、以前より禁止されている映画館や劇場などでも堂々と喫煙出来たし、現在でも半数の座席では可能なのである。 名物の2階建バスでも2階の後半分の座席は現在でもタバコ飲みの為にある。
つい最近、ロンドンの地下鉄が全面禁煙になり、愛煙家はこれに抗議して法を犯すヤカラは沢山いる。 愛すべきロンドンのアンダーグラウンド(地下鉄)は、その歴史をひもとくと、150年余前の創業時はトンネルの中を蒸気機関車で運転されており、列車自体が煙をはいていた。 排煙装置の設備は、地下トンネルの所々を野天堀として仕上げた。 列車は地下を走るので2等には屋根がなく、雨の日などは地下鉄にのって傘をさしたそうで、愛煙家はタバコの火をどうして守ったのか聞いてみたくなる。
嫌煙の主張がはびこり出したのは、タバコの煙が肺ガンを誘発するとして騒がれだしてからの事であるが、タバコ好きの英国人に云わせると、例によって巧みなジョークで一蹴する。
タバコ飲みの論理では、この嫌煙権を野放しにしておくと、近代国家は破滅するというのである。 つまり税金を最も楽に取り立てる手段である酒とタバコが減産になれば、国家財政を圧迫しかねないという訳である。
この説には若干真実味があり、禁煙者がふえた結果なのか、英国での酒、タバコの値段が箸しく値上げされた。
タバコを例にとると、ロスマンズという名の20本入りが、本国で1ポンド35ペンスもする。 日本円に換算しても460円である。 ちなみに、社会保障が進んでいるといわれるデンマークでは同じものが約590円、日本での輪入販売の価格が290円であり、香港では265円で買える。
そうは思いたくないが、禁煙率に準じてタバコの価格も高くなっているようで興味をひく。
酒についてもロンドンで2年前に1杯160円で飲めたパブのビールが今年は340円になっていて、わずかの間に2倍にはねあがってしまっている。 それでもタバコをやめた連中には、唯一の楽しみであるビールをやめる訳にもいかず、泡の苦味で喉をうるおすのである。 勿論、政府に対しての不満や鬱憤が酒のつまみとなる訳でこれはタダ。
タバコ好きの人々のうちでも上流層ともなると、いまだに既製タバコは口にせず、自分だけの配合をしたオーダーメイドが幅を利かすからすごい。 現在では、なに屋なのか皆目見当がつきにくいダンヒルも、実はタバコの配合を得意としたタバコ屋である。
英国王室御用達は、タバコにも及んでいて、女王陸下用の特別配合タバコを納入する業者もロンドンにあり、2頭立ての馬車でバッキンガム宮殿に配達される。 殺しのライセンスホルダーである007が自分のオーダーの紙巻タバコに2本の金線を入れさせるが、こんな凝り方こそが英国の愛煙家の典型なのである。
こんな状況下でタバコの販売低下が原因なのか、単価の端数を作らない為か、実に英国気質を感じさせる事を発見した。
紙巻タバコの多くは自動販売機によってパブや駅などで簡単に入手できるが、標準の20本パックの箱に必ずしも20本は入っているとは限らない。
つまり、自動販売機の換算能力にあわせて18本入りがあったり21本入りがあって、購入の為の使用可能コインの方が優先する。 50ペンスと10ペンスしか受け付けない販売機に端数を受け入れる能力がないし、釣銭機能を持たないのでタバコの本数の方で調整するのである。
もともと20本入りで作られている紙箱に18本は問題ないのであるが21本入りとなると、時々数本が痛んでいたりするが、彼らは気にする様子もない。
ここ2〜3年、英国の友人の間でも禁煙者が増えだしてきて、ひとりで喫煙していると気まずい思いをすることがある。 もともと吸わなかった連中ではないので気にする必要はないといわれるのであるが、ロをそろえていうには、禁煙ではなく休煙中だそうで、そのうち再煙するとの事。 合理主義の連中の事なので、おそらく高すぎるタバコへの抗議禁煙らしい。
やせ我慢しながら意地を貫く連中の姿を見ながらの一服は、やけに煙が目にしみる。
日本では通常の生活の中で、現在マッチを購入して使用している家庭はまず見かけなくなっている。 銀行をはじめとして郵便局などの公共機関でさえサービスマッチを用意しており、都会で1日すごして、こまめにマッチを集めてくれば、相当のタバコ飲みでも火種に苦労することはない。
ところが英国では、事情が全く異なり、うっかりして100円ライターを忘れて外に出ると、タバコの火にも事欠く。
まず、銀行などではサービスマッチの習慣がないし、嫌煙思想の定着でタバコ飲みが減少している昨今では、手軽に火の寸借ともいかぬ。
英国ではレストランやホテルでもサービスマッチを用意しているところとなると、一流クラスだけで、中流以下のサービス企業では、まずないと思って間違いない。
したがって、パブやタバコ屋でマッチを買うハメになるのであるが、6〜7ペンスの代金を払って手にしたマッチを見て、平均的日本人なら遠い昔の故郷をおもいだす。 経木で作られた函に古色蒼然とした絵柄、ざらざらした擦り紙といった案配である。 1本つけてみると強烈な硫黄の匂いがよぎる。 連中の使い方を見ていると、擦った瞬間一度遠ざけて、硫黄の香をちらす。
マッチの側面にあるこすり板も日本でみかける物より荒く、まるで紙やすりの様で、そのかわり摩擦効果抜群である。 いっきに擦るとマッチの当った分だけ線を描く。
ある日本人に云わせると、大正時代のマッチのごとき代物だそうだ。
反面、英国のタバコ愛好家のうち、葉巻やバイプ専門の人も多いので太軸のマッチは必需品でもある。 紙マッチでは燃焼時間が短くバイプなどの火は1本では着火しない。 ライターもパイプ専用のものであればよいが、通常、炎は垂直に出るのでスムーズな着火はむずかしい。 そのうえ、英国の風土も影響していて、紙マッチはすぐにしけてしまうのだという。
紙マッチについては、それ以外に大きなトラブルが過去にあり、英国人は紙マッチをアメリカンといって蔑む風潮が見られて面白い。 さきの大戦中、そして戦後ヤンキー達が大量の紙マッチを持ちこんだ。 当然英国でも使われたが、ポケットから火事がでるケースが続発したのだ。
前にも述べたが、英国人はチップコインを必ず数個ポケットにしのばせており、コインのギザにマッチがすれて着火してしまう事で、発火しにくいマッチが工夫された時代がある。
日本でも戦後一部に見られたが、アメリカのマッチの中には、靴底でも木製の堺囲いでも、こすれば火がつくマッチがあった。 ヤンキーの兵隊達はラッキーストライクの箱の脇にマッチをさして携行していたが、葉巻やパイプの英国紳士は、マッチはいつでも取り出せる様に、利き腕側のポケットに小銭とともに携行し、ポケットファイアーとなった経緯は、習慣の上でのトラブルであった訳だ。
下半身に火がつく様な危険なマッチはその後、英国から敬遠されたのは当然であるが、マッチを着火しにくい様に工夫していく過程を想像すると、なんとなくジョンブル魂を連想させる。
さらに考察すると、マッチの利用度は英国では非常に多面にわたっている。 英国国鉄の列車のテールランプなども灯抽を使ったランプが最近まで実働していたし、家庭だけではなくホテルやレストランなどの暖炉も、今でもマッチで点火して種火をおこす。 マッチが必需品として今でも幅広く使用されている代表国のひとつと言えよう。
タダで入手出来る日本のマッチであるが、わが日本国において明治以来、最も古い物品税課税品目である事を知っている今の若者は少ないと思う。 現在でもマッチは税財源のひとつである。 なにごとによらず、英国渡来の制度を組み入れた明治政府を思うと、英国でも同様の制度が現存していると推察する。 なぜならば、英国では全てのマッチにおおよそのマッチの本数が箱に表示されており、表示のないものは販売出来ない。
貿易摩擦が各国間に大きな問題になってきている昨今であるが、英国ではマッチまで大量に輸入しており、自国生産だけではまにあわない。 勿論、価格の問題もあるが、高級ホテルなどがサービス用に用意するマッチは、ほとんど英国製品ではないといっても過言でない状況だ。
近年、英国製の紙マッチも増え出したが、ほとんどサービス用で、市販は古色蒼然たる大正マッチで、経木の小箱や紙の箱に太軸のマッチがはいった物が大半で、ホテルやレストランの格式に合った印刷やデザインがほどこされた物を見かけ、良い土産ができたとカバンの偶にほうり込むのであるが、よく見ると、本数表示の脇にJAPANと記されていてがく然とする。 ここまで日本が………と。
日本、特に首都圏に居住していると、テレビは朝の6時から深夜まで、それも数多くのチャンネルがあり、生活にとけこんでいる。 朝のニュースは時報とともにスタートして、アナウンサーは秒きざみで日本そして世界の出来事を伝えるのが普通のスタイル。 朝刊の番組表をみれば何時にどのチャンネルでどんなプログラムがあるか判るし、正確にその時刻がくればスタートする。
英国では、日本のNHKにあたる公共チャンネルとしてBBCに2つの局があり、さらにテームズとITVと呼ばれる民間放送2社があり、ロンドンを始めとしてほとんどの地域で視聴出来る。
まず、BBCであるが、BBC1は総合プログラムを中心としたもので、BBC2は教育、教養番組が主体である。 英国BBCは放送の歴史において、世界の主導とされ、情報源の広さにおいても他の追随をゆるさない程の名門であり、日本のNHKとは深いきずなを特つ閣係にある。
BBCの電波は英国だけではなく、連邦各国にも広くリレーされて東南アジアの諸国にも同時に伝達される程である。
ところが、英国のTV番組は2年程前までは朝の放送がなかった。 午前9時頃から始まる2つの番組は、いずれもオープン・ユニバーシティと呼ばれる教育番組で、ニュース番組などは正午過ぎまで皆無であった。
民間放送のITVは歴史も浅いのでさておくが、テームズ局は民間放送としてすでに10年余の歴史を持ち、コマーシャルも多い。 ところが、こちらも朝のプログラムはなく、昼からの放送であったが、BBCのモーニングショーの開始とともに、ほとんど差がない内容と構成のモーニングショーを関始、民公両放送がしのぎをげずる昨今となった。
NHKの朝のモーニングショーもよく似ているが、30分間隔でその日のニュースのへッドラインを繰り返し、その合間をインタビューや音楽でお茶をにごす。 9時追ぎにはモーニングショーは終り、昔と変わらぬ教育番組が主要チャンネルで始まる。 最近は若干進化して文字多重放送を併用しているチャンネルも見られる。
日本人から見ると何とも間の抜けたプログラム構成と思うのであるが、平均的英国人から見ると、朝からTVにしばられる様な生活様式はなく、全く関心を示さない。 亭主は朝の7時はべッドの上でコーヒーか紅茶を飲み、かみさんがベーコンエッグとカリカリトーストを作る間に朝刊を買い求めて、食事の時は新聞はやめなさいと毎日同じ小言を聞き乍ら、朝食はすますものなのである。
かたやサッチャーさんの悪ロ、配管工事のドジな仕上げのグチ、来週のパーティーの洋服選びの事など、とめどないカミさんの話題で英国の朝にTVなどの入り込む余地がありますか。
この辺の事情を各放送局は先刻承知で、視聴率などはなから計算済み。 それでは世界のトップの情報源はどう処理しているかというと、実はモーニングショーで同時に放送しているのである。
英国では文字多重放送システムが非常にすすんでいて、モーニングショーの電波にこのシステムを組みこんでいる。 視聴者側で特殊なアダプターをTVにセットしてリモコン操作により得たい情報を即座に画面に引き出せる。 世界の出来事を始めとして、飛行機のスケジュール、鉄道の予約、運行状況、株式市況、道路情報など驚く程多岐に亘るニュースが一瞬に得られるシステムが存在している。
TVをみごとなまでに個人個人に対応させている訳で、日本の様に全てが同じニュースで過ごすことは無い。 主要文字多重番組は24時間常に最新情報が投入される。
番組の構成についても実にユニークというか、フレキシブルな運用で、新聞に掲載されている番組表の通りに放送が始まるとは限らない。
ニュースが多ければ時間が延長されるのは当然の様で、新間に出ている時刻はおおよそのメドと思った方がよい。 7時のニュースが7時4分から始まったりするが、誰も不思議に思わない。
BBCの番組では、コマーシャルがない代わりに、BBCのマークと地球儀が回る。 正時に近いと地球儀に代わって時計が出てくるが、別に時報の為ではなく、今の時刻と云う訳でテロップに次の番組は間もなく始まると出るだけ。
テームズ局のコマーシャルも日本の様に5秒、15秒といった小刻みではなく、1分もあろうかと思われるCMを流す。 但し、日本の様にCMの時に放送局側で音量を上げないので日本ほど耳ざわりではないし、英国人の好みや食品の種類など判って、異国の者にとって大変参考になる。
ギャンブル好きの国民だけに週末の競馬中継がすごい。 多いときには5〜6ヶ所の馬場から多元中継で結果が逐一発表され、まるで競馬TVの感を呈す。 中継番組となると最後まで放送するのが原則なのか、珍らしくウィンブルドンに雷鳴が轟き試合は中断、1時間も延々と雨のテニスコートを写すBBCのTVを見た。 融通のなさに驚いては英国知らずというもので、彼らにはNHKの様に《名曲アルバム》などの代替番組の用意は無いのが普通というもの。
以前にも述べたが、毎時200キロで走る汽車は新幹線の特許ではなく、フランスではTCVが260キロのスピードを誇るし、ライン川にそって走るドイツ国鉄のラインゴールドなども200キロのランナーである。
英国でもディーゼル機関車で走るインターシティーl25は200キロを、ゆとりをもって運転されていてディーゼル動車では世界一である。 フランス国鉄のTGVはトンネルは皆無で、フランスの平地を走る。 新幹線にいたっては全て専用軌道で、ポイントも最新のものが採用されていて踏切などは存在しない。
ところが英国国鉄は全て在来の路線を使用していて、すでに150年の歴史を線路から踏襲し、古くなりすぎたトンネルが陥没したりする事がある幹線も存在している。 勿論、保線管理は整備されていて、現状では200キロ連転の列車が走っている訳だが、日本でいえば、東海道本線にあたる幹線に平面で交又する線路があるのには驚愕する。
両方の路線とも列車が頻発しており、200キロのスピードで運転されているのであるが、その線路に対して十字に踏み切る別の幹線があるのだ。 勿論、充分な信号制御がなされているのであるが、例えばポイントを介して渡るとか、立体交叉にするとか考えることが出来なかったのか理解に苦しんでしまう。
数年前の事だが、この現場で信号待ちをしている交叉列車を見た時はおもわず息をのんだ。 以後いつも注意してその現場を走り抜けるのを見るが、まったく改良の気配はない。
ダイエーでもイトーヨーカ堂でも中に入って特別に買物がなければ、入口に戻ってそのまま出てきても問題はないし、とがめられる事はない。 英国では田舎町のスーパーマーケットでも必ず入口にゲートまたは回転バーがあり、一度入ってしまうとそこからは出られない。 その上、買物がなくてもレジに通ずるカウンターに並び、店員に何も買わない旨を告げないと放免されない。 例によって行列好きな国で、店員も少ないので脇をすり抜ける訳にもゆかず順番待ちをせねばならない。 商品によっては磁気センサーを取付けてあり、防犯の為とはいえ、人を見たら泥棒と思え的発想にウンザリしてしまう。
多国籍人種が生活している英国では言葉のトラブル以外に生活習慣の違いが根強く、人を信用しやすい日本人から見ると、猜疑心の強い国民だとあらためて感じる。 そんな中でこの方式をいち早く採り入れた大手スーパー、マーク・アンド・スペンサーでは万引が激減したそうで、最近ではロンドン空港の免税店もこの方式のカウンターになった事を知り、現実の厳しさを知ったが。
日本には不文律の取り決めとして、冬服、夏服などがあり、真夏に近い頃にミンクの毛皮を一着に及ぶことは、六本木や原宿あたりの連中をのぞけば、まずない。
ここロンドンではその辺がまことにフリーというか、変わっているというのか、理解に苦しむシーンが展開される。 例の浪花名物女史の大屋政子さんが初めてロンドンに日本料理店を出したクリストファープレィスあたりは、当時は貧民窟街であったが、その後、整備され、近くのサウス・モルトン通りなどとともにいまでは先端のファッションストリートになった。
6月の昼さがり、この附近に30分もいると、頭のなかがサイケデリックな感覚となり、季節感が吹っ飛ぶ。 外気温24度、湿度50%、天候ジューンブライドの中でウールのコートのひと、半柚シャツに海水バンツの女、毛皮着用のレディー、丸見え乳房の横字プリントのTシャッに股さけジーンズのネェちやん、鶏頭へアーに皮ジャンバーと皮ズボンにメタル鋲つきのパンクのお兄さん、レインボーヘアーにグリーンの口紅、手足やへその廻りをわざとカギざきにした多色プリントのズボン下風ニットなどなど、2月なのか6月なのか11月なのか判らなくなるのがまともな感覚。 町中を観光して歩く10代の女の子の多くが裸足。 旅行ガイドブックなどに書いてある行儀のよいイギリスなんてどこにも見当たらぬ。
暑いと思うのだが、近衛兵やホースガードの兵隊は真夏でも汗しながらクマの毛皮の帽子を被り、ビキニで歩くネェちゃんを横目で一瞥しているのを見るが、これが英国のユーモアかとひとり合点したくなる。
夏のバーゲンがハロッズで始まると英国の夏は終盤に入り、ほとんどの企業が夏休みになる。 サビルローの仕立て屋もいっせいにセールと称するバーゲンに入り、夏服が格安とのことなので覗いてみた。 こちらの常識からすれば夏服なら当然の事ながら背抜きで、表地も通風の良いものと思っていたが、店の中には夏服と思われる様な商品は皆無である。 店員に尋ずねると目の前の洋服は全都夏服だと云う。
総裏で生地も中層ウーステッドなどで、日本でいう合着相当のものだ。 顔見知りの店員が説明してくれたのだが、本来、日本などでいう夏服はトロピカルウェアーに属し、英国でいう背広には無いものだそうだ。
英国で夏服とは、避暑地などで着用するカントリーウェアの意で、軽量でしわにならない様配慮した服をさす。 合着と名付けた明治のジャパン紳士に敬意を抱く。
ロンドンに日本料理店が登場して20年余になり、今では30〜40店がジャパニーズレストランとして商売している。 はじめの頃は、現在の様にグループ旅行が一般化する前の事で、顧客も在英商社の駐在員などが主であった。 ロンドンでも繁華街やメインストリートに面した場所は借りる事が出来ず、まず立地条件で泣かされたという。
現在、にんじんグループとして成長した大屋政子女史経営の最初の店は、オックスフォード通りから北に入った貧民窟街のはずれで開店した。 セルフリッジ百貨店に近い場所であったが、オックスフォード通りから入るには、わずか1メートル弱の通路を抜けねばならず、地元の人でさえその通り名では判らなかった程である。
日本料理店として興味をもってもらう為に、初期のアメリカでも見られたと同様の、前時代的なインテリアでまとめた店であったが、苦労しても英国人の顧客を得るまでには至らなかった。 その上、ロンドンの反日感情は予想以上に厳しいという現実があった。
その後、シティーにも日本料理店をオープンして、金融機関の接待の場として、日本の銀行支店の応援などを受けて、英国人に日本の味を知ってもらう努力が続けられた。
さらに日本人在住者の便宜の為に日本食品店を開業し、カリフォルニアからの米、中国料理店から供給を受けた豆腐、日本から空輪したタクワンまで店頭に用意したそうだ。 今日では、日本の田舎の食料品店顔負けの品揃えとなり、紀文のカマボコもJALのジャンボが運びこむ。
ただ、日本料理店として定着してきたのは、やはりジャルパックなどの団体客が英国を訪れる様になってからで、一般客だけでなく、有名人や芸能人、スポーツマンなども団体客の仲間入りしていた。 彼らも言葉の障害からか、よくパック旅行を利用していた時代である。
ロンドンの繁華街にも日本料理店が増えだした頃、一部であるが、経営者が日本人ではなく、韓国人やユダヤ系の経営の店も誕生して、いくつかの日本料理店では奇妙なメニューもあった。
また、日本からの観光客を当て込んで、いち早くヒルトンホテルがロンドンでホテル内レストランとして日本料理を採用、注目を浴びた。 このヒルトンの戦術は見事に成功し、安定した日本人客を確保、グループ旅行会社の指定ホテルとしても採用された。
ロンドンの日本料理店では、早い時期から勘定書きの中にサービス料金を計上して客に請求したが、これが、チップ制度に弱い日本人旅行者に評判で、チップの苦労から解放された。 現在では、ほとんどの日本料理店でこの方式をとっており、また、通常欧米のレストランで見られる、割当テーブル担当ボーイのシステムをとらず、日本と同じ様に店員であれば誰もが注文をうけたり、マネージャークラスが全てのテーブルを廻り、オーダーを受けたり、料理の説明をしたりして、サービスの違いを英国の人々に感じさせた事が、後年大きく成功に寄与している。
どこの料理店でも最大の問題は、板前の確保にあった。 当初は日本料理店同士で、引き抜き合戦も演じられた。 材料も7000マイル離れた英国と日本では違いがあり、また、全ての材料を築地から輪送出来なかった。 アフリカからの野菜、ヨーロッパからの魚を日本の味に調理するには、本来の日本流の板前には無理も生じて当然であり、予期していた事ながら難題であった。
しかし、日本料理店として営業する以上、なにがしかの形を整える必要にせまられた。 ある経営者の弁だが、当時必要としたのは一人前の板前でもなく、半人前の板前でもなかった。 欲しかったのは四分の三人前の板前であったと。
つまり、一人前では材料が不満で料理を拒否されたり、仕事を嫌った。 逆に半人前では手も足も出なかったのである。 そんな中で、四分の三人前の板前は、入手可能材料を日本流にアレンジして、スコットランドの鮭を刺身に仕上げ、ドーバーのヒラメを薄造りにして商売を盛り上げた。
現在では日本でも供される鮭の刺身だが、昔は虫がいると云われて、刺身としては北海道の冷凍ルイベ以外日本料理では使われなかったし、本来鮭は下賎魚とされていた。 ところが、四分の三人前の板前の多くが、正式労働許可を英国政府から受けていなかった為に、一時期をすぎるとロンドンの板場からほとんど姿を消した。
しかし、彼らの残したロンドン風味日本料理は、確実に伝承されており、経営者の多くは、いまでも高い評価をし、彼らへの感謝の念を持っている。
カリフォルニアに始まり、ニューヨークで人気を得ている最近の寿司ブームを思う時、メニューに載せられたアボカロールなどを見ると、四分の三人前の板前の現在の活躍場所を知る思いだ。
ロンドンの1等地、セント・ジェームス通りに、サントリーレストランが堂々とオープンして早や5年を越える。 英国人が目をみはった値段の高さも、いまでは普通に評価され、半分以上の客は日本人ではない。 ミック・ジャガーをはじめ、芸能人、有名人で連日満員で、予約なしには食事にありつけぬ程の盛況である。
スコットランドのサーモンも、いまでは最古参メニューとして健在だが、板前さんだけは、いまではみんな一人前でないと通用しないほどに日本味が浸透した。
英国の観光ガイドブックや紹介欄でよく指摘される事のひとつに、日本は交通信号がきちんと守られる数少ない国と書かれている。 その上、日本の交差点の信号機にはミュージック付きがあるとして興味深くレポートされている。 では英国の交通信号は一体どうなのか。
まず、信号の切り換え時間であるが、日本に比べて極端に短い時間で変わる。 ロンドンなどの大都市でも、歩行者信号の青の時間はせいぜい15秒程度、自動車用でも20〜25秒程度で変わる。 その為か、歩行者は信号が変わるやいなや真剣に道路の横断にかからないと、途中で2階建てバスの攻撃を受ける結果となる。 老人などは道路の中心にある信号機の島などで、1回信号待ちをして横断する。
故郷の空という唱歌はイギリスのものだが、日本の様に悠長に交差点で信号機は演奏しない。 ロンドンは中心部をはじめ旧市内は道路が狭く、朝夕のラッシュアワーには東京に匹敵する交通渋滞をおこす。 車間も前の車とすれすれにノロノロ連転となるが、信号の切り換えが頻繁で信号機の数も少ない為か、日本の様に駐車のごとき待ち時間ではない。
東京をはじめ日本では四つ角があると信号機だが、こんな光景は英国ではまず無い。 英国の街には信号機が1台もないところも多い。 では、交通整理の手段はというと、旧式ロータリーである。 日本でも戦後しばらく各地にあったが、現在ではほとんど見かけなくなった。 それが英国では、今でも信号機より多く設置されていて、効果的に利用されている。
モーターウェイと呼ばれる高速道路が、現在では国内幹線に縦横に走っているが、欧州ではスイスとともに道路建設が一番遅れていた。 その結果整備された道路は、近代技術に支えられた立派なもので、霧の多発する地域ではナトリューム灯をはじめとして、夜間の高遠速走行の配慮がなされている。 ところがインターチェンジにきて最初にとまどうのは、その多くが立体交叉などの設備ではなく、なんとロータリーである。
ロータリーへの進入については右側からの車両が絶対優先権があり、通りすぎる迄待機が義務付けられている。 日本と同じ左側通行なので、慣れてしまえば信号を待つ間のイライラは皆無なのだが、自動車専用道路として建設され、120キロ程度で走行出来るのにインターチェンジごとに減速、減速、停止、進入を繰り返すこの方式の採用を、当然としているふしが見られて興味がわく。
一般道路でもドライブ中に数分毎にロータリーに出食す。 ところが案内標識があまり良く整備されていない田舎町では、ロータリーから出る際に、目的方向を間違える事が多い。 知る限りにおいて、英国人は我々より方向音痴らしく、どの自家用車でも必ずAAまたはRACの地図を備えている。 面白い事には、ほとんどのドライバーはUターンは不得意らしくあまり見かけない。 方向が間違えた事が判ってもそのまま次のロータリーまで行き、再び戻ってきて正しい方向をめざすのである。
考察すれば、信号機であれば方向転換には時間がかかるし、Uターンする程道巾がないが、ロータリーであれば容易に出来る。 この利点を英国では最大に応用し、また信号機による渋滞解消となっているのだとすれば、まさしく読みの深い交通工学ではあるまいか。
また、ロンドンのタクシーをはじめ、プロのドライバーは、一定地域内の地図に精通していないと営業許可が下りないのであるが、斜にかまえて考えると、客の多くが方向音痴ゆえに、そんな規則が存在するのではないかと思ったりする。
信号機の切り換えの際、赤から青に変わる時もオレンジが瞬間点灯する。 日本ではこの方式ではないので、運転手は全部ヤブニラミしながら、交叉している方の信号機に関心が集まりフライングと相成る。 警視庁や県警察と信号機業者の癒着なのか、日本では歩行者信号と名付けた交通妨害は、はなはだしいものがある。 ひとりの人が渡る為にも交通車両を一時であるが止めてしまう。
英国では、こんな歩行者の優先権を主張する信号は誰も認めないし、設置もされていない。 横断歩道にはオレンジの電灯が点滅しているだけで、人が横断している時は車両が一時停止して待つ、という基本原則をつらぬいている。 だれもが自動車も人間も平等という平常心がいきわたっている所以だ。 タ焼け小焼け1曲演奏信号機の世界に暮らしていると、英国はやはり大人の国、と自問自答してしまう。
反面、英国では信号を出来るだけ守らないふしが人々にあり、赤信号でも堂々と横断する人が絶えない。 つまり信号とは車両の整理が前提であって、車がこなければ人間が横断するのは当然という訳で、車両の往来の合間をぬって通り抜けて行く。
そんなロンドンの交差点で信号を忠実に守り、青に変わった事を確認してからのろのろと横断をはじめて、途中で信号が赤になり交差点の中で駆けだしたり、人とぶつかっている連中がいれば、わが音楽信号民族と識別出来る。
旅行者にとって、異国でふれる小さな親切は何よりの土産であり、いつまでも心に残る。 8年ほど前の事、仕事も一段落してロンドンの行きつけのホテルに投宿し、郊外の博物館に出かけた。 地理不案内もあって、タクシーで往復するつもりで流しを掴まえ、行き先を告げた。
しばらく走ってから道路脇に車を止めて運転手が話しかけてきた。 要点は、小生が住人なのか旅行者なのかとの質問。 行き先が自分の営業範囲を越える事(これはロンドンタクシーの規則で乗車拒否してよい)、行った先にはタクシーがほとんどこないので帰りはどうするのかと。 その結果、タクシーに待って貰う事にして、往復の車代もチップ込みで15ポンドで話がまとまった。
再び走りだしてから、客室と運転台を仕切る窓を開けて10ポンドと5ポンド紙幣を渡し、途中の有名な場所などの案内を乞うた。 親切な態度で色々の説明を受けながら博物館についた。 するとこの運転手は、渡した紙幣を半分に裂いてその1枚を返してくれ、約束通りここで待つが、貴殿が安心して館内を楽しむ様に札の半分を持って行けというのである。
紙幣を半分に裂き、合符にするロンドンタクシーの心意気に脱帽。 旅行者が往復の車代を渡してしまって逃げられたなどの話をよく見聞きするが、このドライバーはそんな不安をなくしてくれた。
1時間余を費やし、見学を了えて駐車場所に戻ってみると、タクシーはあるのだがドライバーが見当たらない。 庭園の池など眺めていると反対の池で手を振り、小生を呼ぶ人がおり、よく見ると、なんと我がドライバー氏である。 折り畳み椅子に坐り、なんと優雅に小振りのキャンバスに筆を走らせている。 ホテルまでの帰り道のなんとも爽やかな気分は今でも少しも薄れていない。 半分の紙幣とともに、日本から持っていった小物を彼に渡すと大変悦んでくれた。
ロンドンの夏の朝は早い。 若干の寝不足も手伝って朝の列車に乗る時刻が迫っていて、タクシーを拾いキングスクロス駅に向かった。 ところが昨夜のパブで小銭を使いはたして現金は20ポンド紙幣だけで、バラ銭若干といったところ。 なんとかドライバーが釣銭をもっていればよいが、と思いながら駅に横付けされた。
朝の事、案の条釣銭がないという。 構内の売店に行って新聞でも買い、両替をしてくるので待って欲しいと頼んだ。 ところがドライバーが日本人かと聞くので、そうだと答えると、それなら金はいらないという。 俺の弟が神戸に現在住んでいて、きっと奴も日本で助けて貰う事もあるだろうからと。
そんな訳にもいかぬので、ロンドンに戻ってから支払うので連絡先をと尋ねると、その心配無用と走り去った。 巻間いろいろな国で、とかく雲助呼ばわりされるタクシーが多い昨今だが、ロンドンではそんな経験はまだおぼえがない。
ヒースロー空港からロンドンの中心までは約24キロ。 タクシーで行くと15ポンドぐらいの料金である。 昼下がりのターミナルで荷物を受け取りタクシーの客となった。 書類の整理などにかまけているうちに目的地について料金をたずねた。 10%程度のチップを加えて支払うので、頭の計算機が作動準備体制になった。
ところがドライバーの口からでた料金は45ペンスだという。 なぜだと問うと、メーターが故障したらしく動いていない、とガックリしている。 混雑しているロンドンの白昼、時間距離併用メーターなので、18ポンドぐらいにはなっていて不思議でない。 地元人ならジョークなど言いながら適当にすますのだろうが、言葉不便の旅行者ゆえに、そのまま45ペンスともゆかぬ。 そこで15ポンドを取ってくれと出すと、一度は遠慮したが気持良く受取ってくれて、重いトランクをフラットまで運びあげてくれた。 そして2度3度と手を振りながら走り去った。 こちらも随分得をしたのに。
ラジオキャブと呼ばれる無線タクシーが走りだしてからタクシーのリレーを体験した。 ロンドンの北の郊外に出かけた時だ。 最初呼び止めたタクシーに行先を告げると、遠すぎる、と拒否された。 2台目のタクシーは行先を聞くとちょっと待てといって、無線連絡をとりだした。 そのうちOKがでてスタートしたが途中で、1台の止まっているタクシーの後ろに付けると、前に乗り換えろという。 自分の地域は此処までで、この先は前の車が案内するとの事である。 料金を払うとチップの分だけ返してよこして、あなたには不便をかけるのだからチップはいらないと。
乗り換えたタクシーのドライバーは既に無線で前の運転手から聞いているのか、行き先を自分から確認すると一路目的地に向け疾走した。 例によって、帰りの足が心配になったので待って貰う事にした。 用事がすんで再びタクシーの客となったが、タ方のラッシュ時も近ずき、道路が渋滞をはじめた。 ドライバーが、地下鉄の方が安くて早く着くので、と最寄りの駅に付けてくれた。 帰りの料金は断固受け取らなかった。
日本人相手のロンドンの土産物屋とか、繁華街の一部と駅のキオスク以外、店舗やデパートそしてスーパーマーケットまで、日曜日は全部休んでしまう英国では、一般の主婦ならともかく、サラリーマンなどは、普通真面目に働いていてはショッピングは出来ない事になる。
地方の工場などは、この為に始業を7時30分、終業時間を3時30分として、6時におわるスーパーへの買物時間を見込んでいるケースも多い。 女性も多く就労している現状から、大変合理的と云える。 しかし、ロンドンなどの大都会ともなると、就業時間を勝手に変更も出来ないので、社員同士で時間をやりくりしたり、昼食時間にショッピングを組み込んだりしている様だ。
過去の実績を調べてみて面白い事に気付いた。 英国では対人関係の面談の手段として必ず事前に約束を取り、当日秘書に確認させて会見となるのが普通であるが、月、火、水の3日間が断然多いのである。 マネージャークラスとの約束は木曜日でもなんとかなるが、偉いさんとの木、金曜日のアポイントメントを取り付ける事は至難のわざである。
感ぐるに、英国式では週明けの3日間に1週間の面談をすませ、木曜日には書類の整理などに費やして、夕方早めに仕事を切りあげてデパートなどに買物にでかけるのがノーマルスタイル。 この日に限って大手のデパートや商店は、終業時刻を夜7時か8時迄延長するからである。
金曜日ともなると、重役連中は大事がなければ秘書と連絡を取るだけで、郊外の別荘にカントリージャケットを1着、さっさと出かけてしまう。 ロールスロイスは一斉に郊外をめざすのである。 中堅幹部も仕事は上の空、ストックマーケットがはねる時刻までには夕食のテーブルの予約をすませ、ツバをつけた秘書のお尻を想像するだけとなるから、東洋の野郎との面談など論外だ。
地方から来た連中も、月火水をロンドンのホテルで過ごし、仕事を了えると脱兎のごとくロンドンをあとにする。 列車の揺れに身をまかせ、出張費の計算が終れば、あとはワインに酔いながらのご帰還である。 駅前に止めておいた車を確認して、見る度にそろそろ買換えなければと一瞬思ったりしながら、酒酔運転で家路につくのが木曜日の夜というもの。
したがって、ロンドンを始めとして英国の主要都市では、木金土日のホテル客数が月火水といちじるしく変化をきたす。 週明け満員だったホテルも、木曜日となるとガラガラという訳だ。
商売である以上、ホテルとしても客を確保したいのは当然で、ビジネスマン以外を対象として、格安レートを設定して集客を図っている。 名付けてウイークエンドバーゲンなどがそれで、うまく利用するとビックリする値段で一流ホテルに宿泊出来るし、勿論、出かける前に日本で予約が出来る。
例えば、1泊シングルでロンドンの一流クラスとなると70ポンドぐらいする。 ところが、木曜日から4泊して月曜日の朝チェックアウトするウイークエンドバーゲンでは合計120ポンド、つまり1泊30ポンドである。 そのうえに英国式の朝食が毎日つき、目覚ましのコーヒーまでサービスしてくれて、土曜日の黄昏時には、支配人からシャンバンの振舞いまであった。
日本から年聞50万人ちかい人々が訪英するが、その中には多くの個人ビジネスマンもいるはずで、ロンドンのホテルの高いのに困っていると思うのだが、ほとんどこの格安レートは知らない様で、泊りあわせた日本人は1日70ポンドを払って、週末のロンドンでわびしく過ごしている。
団体客については当然割引レートがあり、また無理な事であるが、日本からの個人客を見ていると、全て会社まかせの人と、ホテルのパンフレットなどに興味を持たず、幹旋業者の言いなりで予約している人だらけで、日本人は裕福だと感心する。
その点、アメリカをはじめとして欧州の人々は、ショッピングのバーゲンだけではなく、ホテルの格安料金などについてもよく研究して旅行している。 そして1泊半の金額で4泊出来るならと、ゆとりのある旅程を組むのが一般である。 ビジネスだからといって1泊基調の日本人型は、そろそろ終りにして--同胞諸君--。 たまにはゆったりロンドン見物といこうではないか。
ちなみにこの週末バーゲンは最近の事ではなく、知る限りにおいて何10年と続いているサービスで、詳細なパンフレットは英文ながら日本でも手にいれる事が出来る。
また、英国におけるビジネスとは、月曜日から木曜日までと理解して以来、こちら側も英国流にアポイントがスムーズに採れるようになった事は云うまでもないが、余暇の利用で英国の見聞を深めることに大いに役立っている。 さらに、ホテルはビジネス客が少ないせいか、ボーイなどまでが顔馴染みとなって、安い料金の時の方がサービスもよい。 バーのピアニストは既に小生の好きな曲も憶えてくれた。
先般、ロンドンのヒースロー空港で、日本人のトランクを専門にねらった窃盗犯のグループが、約70人逮捕された新聞記事を見掛けたが、さようにまで日本人がねらわれる原因はなにか。 年間400万人以上の海外旅行者がいるのであるから研究してよいのではないか。
まず一番にあげられるのが同一スタイル、同一サイズのトランクである。 色こそ違っていても、空港でも判別がしにくいものが多く、自分のトランクを捜し回る日本人が目につく。 その上始末におえないのが、団体旅行に見られるグループツアー会社のドでかい名礼である。 本来ツアー会社が、自分の受持つ団体の荷物の認識の為に付けているのであるが、窃盗する側にすれば、これは盗み易いトランクの目印でもある。
日本の成田空港は設備最新で、荷物を返すベルトコンベアーの距離が短い点で最高。 中間で積みかえなどの必要がなく、人為による中間窃取が出来ない。 しかし、ロンドン・ヒースローの様な拡張、拡張の繰返しで肥大したターミナルでは、航空機から下ろしてから、何度もベルトコンベアーを中継して乗客の待つロビーに出てくる。 その為に中継地点では安易に、グループ化した窃盗犯の暗躍を許す事に繋がっている。
薄暗いベルトコンベアーに乗って運ばれてくる多くの荷物の中で、金目のトランクとして検知しやすいのは、当然大きい名礼と鍵のしっかり付いた日本人の荷物で、最大の目標となるのは当然。 彼らは、日本人が鍵と錠に対して異常なまでに信頼を托していて、貴重品や現金までトランクに入れてしまう弱点を先刻承知で、連中にかかれば電子ロックでも平気で解錠してしまう。
元来、欧米の人々が旅具に施錠するのは、蓋が開かない様にする事と、私物にさわるなといった意思表示でしかなく、錠を信頼していない。
東京新橋にあるホリ鍵店の権威の言だが、日本人ほど錠と鍵の区別が出来ない民族は世界で珍しいそうだ。 ちょっとした錠ひとつに全幅の信頼をおいて安全と思い込む。 しかし錠と鍵は開かなければ意味がない事に、以外と無頓着だそうだ。
過去10余年にわたり、ヒースロー空港に幾度となく世話になっているが、この間、一度も盗難や航空会社に預けた荷物で被害を受けた経験はないが、若干逆手を取った工夫をして、窃盗にあわない方法をとっている。
まず、絶対にハードトランクを使わない。 素材の柔らかいソフトトランクを利用する。 邦人でソフト利用者は少なく、万一荷抜きなどがあればふくらみなどが変わるので、地上職員に即刻通報出来る。
ジャルパックなどの団体旅行らしき名札は全て除去し、逆に空港で手に入る2〜3社の航空会社名だけのタグをハンドルなどに付けて、回数旅行者の荷物と印象ずけをする。 錠は出来るだけ付けないで、カバンにある簡易錠前程度しかしない。 間違ってもトランク業者が推薦するベルトなど別につけてはいけない。 預ける荷物は、できれば日本製以外のものを使うと被害が少ない様で、ツルのマークや日章旗のシールなどはダメ。 さらに予防として、ハワイやグアムのシールを貼って英国入りはやめた方が得策。 英国のドロボーは、一目で日本人の旅具と判別する。 ハワイの米国人はJALではこない。
絶対多数として団体旅行人数が多い日本の現状を直視する時、ツアー会社は新しい識別手段を配慮すべきで、即刻、マーク入りの名札ケースはやめてほしいし、添乗員は、不用の際は出来る限り名札をトランクなどからはずす事期を指導すべきではないか。
最近ではロンドンなどでもさすがにJALのマークのショルダーバッグを背員った一団に出会わなくなってきているが、ホテルのロビーでも、店のショーケースの上でも、日本人はやたら手荷物を置いたまま悠然としている。 さらにバッグのチャックが開いたままの風景をよく見掛けるが、なんど教えても直らない。
ルックやジャルパックのバッジをやたら胸につけ、両手に買物袋で、チャックを開けたままでは泥棒を誘発するはずで、日本語だけで海外旅行が出来る制度が定着してきて、ピカデリーを歩いていても用心は筑波万博と同じ感覚とはなさけない。
ロンドンではターミナル駅がそれぞれの目的地向けに別れている。 地方からロンドンにつくとまず、タクシーの世話になるケースが普通で、乗り場は行列となる。 どこからくるのか悪ガキが数人、必ず行列の先頭付近にたむろしていて、タクシーに乗り込むひとの荷物を持ってやったり、ドアを開閉してなにがしかのチップを得ている。 よく見ているとこの連中、全部の人々に同じ様にはしておらず、チップを呉れそうな客をボスらしきガキが選別している。
イギリス人にはまず何もしないが、スコットランドあたりからの田舎者と判るとサービス開始、日本人や韓国人、そして子供連れなどは絶好のカモで、チップが確実らしい。 反対に米国人と中国人は以外とケチと判別してか、米国からの旅行者とみると、よそ見などして知らんふり。 次第に小生の順番が近ずき、ボスガキがカバンを一瞥して子分によそ見を指示した。 カバンには英国航空以外の名礼はなく、ロンドン在住の中国人と聞違えられたらしい。
逆説めくが、今や日本人に見られないことが安全の秘訣?。
王制をしく英国では、日本の宮内庁が設定している御用達と同様の制度があり、歴代のロイヤルファミリーが幅広く指定している。 まずエリザベス女王、エジンバラ公、女王陛下の母君、チャールズ皇太子がそれぞれ各分野で任命される。 昔は王家のファミリー全てが御用達の指定が出来たが、現在では正式に業者ご用指定はこの4名で、女王の姉妹とか子供は指名していない。 ダイアナ妃も同様で、チャールズ皇太子の指定業者を中心に利用されていて、個別指定は出来ない。
呼称ながら、英国では全ての公官庁は女王陛下の何がしと云う。 つまり陛下の政府とか陛下の省庁で、ロンドンに着いて最初にパスポートを確認するのは女王陛下の法務省所轄で、荷物の検査は女王陛下の税関である。
日本にある英国大使館からの手紙などにも、名称は陛下の大使館と印刷されている。 実在していると感違いしそうな程有名な007ことジェームス・ボンドも、英文の著書では、全て陛下の007と記されている。
さて、英国の御用達では、納入する種別により業者が指定される。 日本では宮内庁御用達の看板はあまり効力が無くなったのか、近年、あまり積極的に業者は宜伝していないし、また、宮内庁でも広告などに使用する事はいやがる様だ。 この点英国では、御用達の指定は名誉であると共に、商業宜伝などにフルに活用してよい事になっているので、当該御用達の商品には、王室ファミリー個々の紋章を印刷したり刻印出来、全ての人々が同じ商品を購入してよい。 ただし日本と違うところは、宮内庁のように不特定ではなく、あくまで個人であり、陛下などが逝去されると同時にこの権利は失効してしまう。 また、皇太子が王様になれば、その段階で皇太子御用達は終了し、新たに王からの指定を受けることになる。
英国では、女王陛下が、いうなれば家付きなので、エジンバラ公に比べると数倍の業者を御用達として指定している。 カーペットから家具、台所用品、風呂場に便所、庭園具などの住については全て主人である女王陛下の指定範囲となり、トイレットペーパーまでが女王陛下の紋章を印刷出来る対象である。
さらにカーペットの選択、御用達銀行、時計の修理、クリーニング、写真家、ペンキ屋にはじまる宮殿の保守・管理に関するものも、そのほとんどが女王陸下から指定を受ける。 ほかには2社の煙突掃除会社も勿論含まれる。 女王陛下の煙突掃除といえばハクがつくのかしら?。
衣については、各自が異なる業者を指定するケースも多く、男性と女性の違いもあり、実に多様化していて面白い。 床屋に始まり、パジャマまで業者があるエジンバラ公などの男性用、香水から宝石、妊婦服、そして下着類までの女王用、と限りない程である。
乗馬を始めとして、スポーツ一家の英王室では、釣り具、銃砲、テニスなどの運動用具は、歴代の王室ファミリーからの指定。 中には乗馬服を300年余にわたり納めているロンドンのテーラーも含まれ、この店の中は紋章だらけ。
食の分野となると、御用達の肉屋を筆頭に、紅茶、コーヒー、ビスケット、野菜類、チーズなどの食糧、タバコに酒類、そして忘れてならないものにマッチと爪楊枝の業者といった案配。 その指定範囲のあまりの広さと、人間とはかくも多面と関係があるのかと驚ろかされる。
一国のトップとして君臨する為に多くの外交や交流があり、その為の各種の接待が付随する。 宮殿で催される晩餐会の盛り花を御用達としている者もいるし、その場で演奏される音楽の為のピアノの調律師も歴代指定されている。 勿論、贈り物取り揃え業者も存在している。
変り種として、第一次世界大戦後から戦没兵士の墓にポピーの造花を棒げる風習が生れたが、この為に王室では造花製造業者を御用達にし、今日に至っている。 また、クリスマス用品については、通常の指定業者のほかにクリスマス専用の用品業者が用意されている。
以前にも書いたが、国家予算に計上されるミルクと粥材料の納入専門業者がいるが、これはヴィクトリア女王が設定したもので、その頃から質素をむねとした女王が、贅沢をいましめる意味から、特に朝食用の材料に限り、御用達業者を分離している為とも云われる。 この為にデイリーフードであるソーセージ、マーマレード、パン、バター、蜂蜜、そして鶏卵は、それぞれ御用達業者が別で、この指定制度はエリザベス時代も踏襲されている。
毎年ロンドンにおいて、女王主催の園遊会が開かれ、各界の人々が招待される。 その中に御用達業者も交代で招かれ、女王から丁重なお礼がある。 さらに御用達の業者だけの組織があり、時に応じてパーティーなどを催して意見交換や懇親を図っている。 御用達は約99%英国の業者であるが、唯ひとつ、あまり英国国民が好きでない国のフランスからの輸入品がある。 ブランデーとワインがそれで、この2種のラベルに英国王室のマークが堂々と表示されるのがジョンブル魂としてはなんとも腹立たしい事なのである。 しかし、世界の上流階級や国賓を迎えてのパーティーに自国製のワインともいかず、女王陸下のブランデーはその地位が変らない。
引越の準備の経験は多くの人が持っているが、日本では家財の整理を了えると最後の仕事として表礼を入口に掲げ、やれやれと一息いれる。 日本とは異り英国では、家具付きのアパートやフラット、一軒屋に移転することも多いので、衣類や日用品だけを持って、さっさと引越をすます例もある。 日本の団地のような高層住宅は少なく、日本人と英国人の共通の希望は、猫のひたい程でも庭が欲しいと思うことでかたずけが終ると、早速バラや露地野菜の種を蒔く。
彼らの様子を見ていると、日本のように表礼を準備する気配がなく、その代り長屋では庭や通りに面したウィンドに懸けるカーテンを買う為に、夫帰揃ってデパートなどに出かける事だ。 あれこれ品定めの後、好みのカーテンを購入し、ウインドを飾ると引越は完了となる。 酔って帰った亭主族は、自分で選んだカーテンで我が家を判別する。
次に準備するのは、よほどの貧乏でなければ新しい便箋と封筒である。 ロンドンの有名な文具店で名入りのセットが注文出来れは最高。 ところが出来上がったセットを見ると、住所と電話番号が印刷されているが名前はない。 折角印刷しているのにこれでは手落ちではないか、といぶかるのであるが、その辺が我々と思考感覚がまるで違うのである。 さらに、封筒にいたっては、まったくの無地で、シャレている点は便箋と同じ紙を使って仕上げてある事。 また、ひっそりと裏側に紋章などを刷りこむ事もあるが、住所などの表記はない。
ロンドンなどの都会の片偶のアパートなどに居を構える一般人には使われていないが、ちょっと郊外などに住む人の住所となると、番地の前に不思議な名称が1行書かれている。 これがまともなものばかりではなく、時には「暗夜のカラス亭」とか「とうなすの館」などといった類のものまで存在する。 つまり、日本で「仁左工門」とか「峠酒屋」などと昔呼称した屋号に相当するもので、英国ではいまだに郊外では番地より通りが良いのである。
英国ばかりではないが、欧州では各自のプライバシーをまもる手段として、自分の居場所は、不必要には他人に教えない。 自分の所在は、関係のある人々、友人、そして銀行などに知らせておけばよいのであって、不特定に知られたくないのである。 ロンドンのタクシーが番地と通りの名をいえば、確実にその門前まで行ってくれるが、郵便などについても番地がきちんと書かれていれば確実に届くのは、番地と屋号優先制度のなせるわざで、局側としては宛先人は二の次であり、棲む方の人間は変わるが、番地と建物の屋号は変らないからだ。 番地不完全郵便物は局保管で、一定期間名宛人が局内に掲示されるが、局側から日本のように名宛人を捜さない。
屋号と番地入りの便箋で引越の案内を受けとると、そこに書かれた文面と署名で、誰がどこに移転したのか関係者はすぐに判るのだから、氏名の印刷は不要で、かつプライバシーが守れる。 封筒に差出人の表示がないのは、保安上の問題と、相手にちょっぴり誰からの手紙かしらと思わせるエスプリと思われる。
日本人とは異なり個人小切手を多用する英国ては、商店などへの支払いを郵便で送達することが多い。 少額なので書留などにはいちいちしない。 名宛人式なので一応は安全だが、郵送途上での詐取の危険もあり、有名になればなるほど差出し元は、他人に知られない方が安全策なのである。 思わぬ嬉しい便り、封筒を開ける瞬間の興奮、手紙好きの英国の人々の小さな楽しみは、長い年月の経験から、封書の表記をプレーンにしていったようである。
受話器の向こうでツー、ツーと相手を呼出している。 相手が受話器をはずす音とともに、英国ではモシモシもいわずに自分の電話番号、住所の番地または屋号を云って電話をうける。 けっして会社や団体以外では自分の名前を先には云わないのが普通である。 したがって、自分に関係のない相手や不都合の際は、本人が堂々と居留守を便える。
こんな状況だから、65番地の人が69番地の家に誰が住んでいるのか知らないケースがよくある。 とくに中産階級クラスの都会では、前述のとおり、小さな庭付きに住んでいると、鍵つきの共同庭を使う事もないので隣人との付き合いがない。 新聞などの宅配も少ないので、一人住まいの人が寂しく死に至っても、長い間誰にも判らなかったなどというニュースにも出会う。
新宿付近のマンションに住んでいると聞いてある英国人が、この日本人はどのくらいの富豪かと、おそるおそる訪ねたら、6量2部屋だったという話があるが、英国でのマンションクラスともなると、門を入って芝生の丘陵を越え、池の鴨に見惚れながら車寄せに着く。 執事の出迎えをうけ、30余室のひとつで一服していると、主人がガウンの前をなおしながら、飲み物をすすめてくれる。
これほどの屋敷でも表礼ひとつ無く、名付けられた屋号が「三羽の自鳥邸」などといった案配で、自らマンションなどとは名乗らない。
昔、日本のザレ歌に「郵便ポストの赤いのも、お猿の尻が赤いのも…」などと云った文句があったが、ロンドンにきてふと思い出した。 なにしろ、街中に赤の色彩が多用されているからだ。 まず、ユニオンジャックのあか、ごぞんじのとおりイングランドの十文字のアカ、北アイルランドのXラインあか、そしてスコットランドの青地に自抜きXラィン組合わせで出来ているのであるが赤色の面積が多い。 官公庁をはじめとしてオミヤゲ屋までがこの旗を掲げており、やたらアカ色好き国民である。 公衆電話ボックスも、一部の国際電話ボックスを除いて全部が赤。 日本の郵政省が明治以来真似ている郵便ポストは両国ともアカ色が基準である。
ロンドンをはじめとして、主要英国都市の交通機関のバスは、そのほとんどが赤色に塗装されている。 郊外行きのものはグリーンなどがあるが、町中を走るものは広告を抱いた赤バスである。 地下鉄のシンボマークもアカで出来ていて、何処が地下鉄の入口なのか、遠くからも判別出来る。
緑の国とも呼ばれる英国は、春から秋にいたる期間、国中がみどりに染まる。 公園の樹木はむせかえる程のみどりを作りだす。 郊外の丘陵地帯は、グラスの絨毯を敷詰めた様に輝く。 そんな風景の中に現れるアカ色の美しさの認識度合は、他の色にくらべると格段上で、英国のデザイナーやプランナーの赤色採用の尺度を知らされる。
赤色の効用は、長い冬の期間についても明瞭度に変りなく、明確に判別出来る。 日照時間が極度にかわり、どんよりとした日中が終日支配する。 建造物なども古色蒼然としている中を、唯一ブライトレッドのバスがアクセントをつける。
衛兵交代で有名なバッキンガム宮殿やセント・ジェームス宮殿などの衛兵たちも10月の声を聞くと、春までグレイのオーバーコートと熊の毛の帽子の制服にかわりアカくなる。 夕暮れなどは、なんとなくドブネズミ色で生気にかける。 冬が近づくと狩猟のシーズンで、郊外で多くの狩りに出会う。
この乗馬服がブライトレッドが多く、周辺や自然のカラーとそぐわないし、獲物に警戒を与えてしまうのではないかと心配するのは間違いで、もともとキツネ狩りなどは猟大などに追跡させ、本人は後方から追うので、ア力色のジャケットは猟犬に主人の位置を知らせる認織色としての度合が強く、また、他の狩人に獲物と間違えて誤射されないよう保護する為のものである。
かつて世界の七つの海を制覇した大英帝国は、多くの退役軍人を生んだ。 当時第二次世界大戦の従軍兵士であった人々も、今は年金で暮すのが大半。 しかし、老人パワーは中々のもので、昔の活躍ぶりを今も誇っているかのごとく、機会をみてはパレードなどに参加してくる。
これが又、真っ赤の上着に勲章を胸一杯にさげ、退役時の階級腕章、襟章などを並べ立てる。 遠くから見ていても目立つアカだから、その人数にびっくりしてパレードに近づいてみると、なかには入れ歯のないフガフガじいさんや、赤い制服も実はシミだらけであったりして、アカは遠くから見るに限るなぁと感じたりもする。
反対にセント・ジェームス公園やリージェント公園での軍楽隊のコンサートには必ず最前列に退役軍人の姿がみられ、写真愛好家の為に、緑の中でひときわすばらしい被写体の役目をはたしてくれる貴重な存在でもあるのだが。
本来、警戒の色として赤は多方面で使われてきており、また、情熱をあらわす色彩として評価されているが、英国人ほど一般に上手にこなしている国民は少ないのではあるまいか。
我が国の国旗は赤と白で構成されており、紅白の引き幕などは、このカラーコーディネートを採用している感じを持つが、英国でも同じようにデザインの基礎に赤とスコットランドブルーを念頭におく。 だがイングランドの優勢作用のせいか、やたらアカの色彩が目立つようだ。
英国の中でスコットランドは北に位置すろ。神の水とも呼ばれる清水や湧き水と、自然の冷気と湿度が世界に知られるウィスキーを生み出しているのは有名で、あとはタータンチェックや、ハリスツイード、カシミヤセーターなどがあげられる。 カシミヤセーターなどは本来、アジアのカシミール高原の羊毛で、英国産ではない。 現に、中国の国華商業公司なども中国産のカシミヤセーターを、香港などで販売しているが、染色がまるで下手で、毛質のツヤまでなくしてしまっている。
その点、赤色にかけては何10種と染め分けられるスコットランドの技術は、タータンを始めとして、カシミヤの染色を見事なまでに仕上げる。 ウィスキーを作りだす神水が、湯のしにはじまり、脱脂作業、染色、すすぎの全工程に微妙な役目を果たす。
現実に世界の服飾界において、カシミヤの赤色について最高の色合いを出せるのは、スコットランドだけといわれる。 英国の有名なアカ嫌いは、首相のサッチャーさんで、国鉄赤字、予算赤字、へリコプター会社の赤字が原因の閣僚とのトラブルなど、おそらく女王陸下のアカいバラも、しゃくの種やもしれぬ。
何と云ってもロンドン名物をあげるとバッキンガム宮殿、ウィンザー城、そしてセントジェームス宮殿での衛兵交代の儀式である。 春から秋までは毎日、冬は隔日、午前11時30分から、女王陛下がいれば実行される。 ロンドンの観光協会名誉総裁?としてよい程で、女王陛下をはじめとして王室の人々の協力は、少なくとも20%、ポンド通貨下落の防止の役にたっているともいわれる。
凋落の途を続ける今日の英国にとって、米国をはじめとする観光客の落としてゆく歳入は大きな部分を示す。 女王陛下は出来る限り保有する財産を公開しており、また供用に付しておられる。 公園しかり、城内の部分もそうだ。 さらに一部の近衛兵についても観光者の為に作業をふりわけ、ロンドンを訪れる人々の楽しい思い出作りに配慮されている。
例えば、バッキンガム宮殿から1キロあまり離れて騎馬連隊の本部があり、交代式には1個師団が制服着用で騎馬によるパレードを行う。 彼らの着用する制服はリボンなどの装飾品一式で19ポンド(22kg)にもなる。 同時に騎馬連隊本都の門前に同じ服装で乗馬した2名の衛兵を1時間交代で職務につける。
これが観光客の為のロイヤルサービスで、客の中には馬にさわる者あり、リボンをひっぱる子供、衛兵と並んで記念写真をとる者ありで、衛兵にとっては戦以上の激務となる。 さらに数名の他の衛兵を庭先に配置して、旅の思い出作りのサービスとしている。
騎馬連隊は赤ぶさ付きの金属へルメット、黒色ジャケットに純自ズボン、金属裂防弾チョッキにホワイトたすき、サーベルに長靴の制服で、カッコよさでは衛兵の中ではダントッである。 平均22〜25歳の隊員のほとんどは世襲でしめられており、一般の子息は入隊の可能性がないといわれるエリート集団である。 これに対して、熊の帽子に真っ赤ジャケットの衛兵は、歩兵師団から構成されている。
英国はご承知のとおり連邦なので、警護にあたる歩兵師団は、交代毎に派遺してくる師団が異なる。 基本の制服は同じであるが、現在王室を警護している連隊は、5方面からの派遺隊である。 しかし、よく制服をみると、前面の金ボタンの配列が微妙に異なり、出身地方が識別出来る。
まず、グレナディアーとよばれる近衛兵第一連隊で、専ら王室警護の為に組織された師団であり、フロントボタンの配列は8個を均等につけてある。 コールドストリーム師団は、イングランド隊で、ボタンは10個、ふたつづつを5段に配列してある。 スコットランドの衛兵は3個づつの3段で合計9個のボタン、北アイルラン師団は、4個2段で8個の金ボタン。 ウェールズ派遺隊の制服は、中間にすきをとった5個2段になっていて判りやすい。
衛兵交代式自体は、バッキンガム宮殿の表庭で挙行されるが、その前後には宮殿までの歩兵パレードがあり、軍楽隊が先導する。 イングランド、ウェールズそして北アイルランド軍は、離れていると吹奏楽で奏でられる曲名が判らないと判別しにくい。 彼らの演奏する曲目のなかには、必ず出身地の民謡、童謡が編曲されているからだ。
それにひきかえ、スコットランドの軍楽隊は絢爛豪華である。 数10人のバグパイパーを先頭に、全員が古式ゆかしいキルトを着用してのパレードで、スコットランド隊の先導を勤める。 日本人の多くが文部省唱歌として口吟んできたメロディーが一番よく演奏されるのもこの軍楽隊の時で、中にはテッキリ日本の唱歌とおもっていたものが、実はかの地の民謡であったことを知る機会でもある。
宮殿の衛兵は不動の姿勢で警護にあたると聞かされているが、彼らも人の子。 ある機会に長時間にわたり観察してみた。 不動に近い姿勢を保持しているのは、実は数分単位で、疲れてくると捧げ銃のスタイルで門前を歩行して、また元に戻ることを練り返して疲れをとる。 約1時間で次の衛兵と交代して休憩にはいる。
この状態は午前8時から午後9時までで、その前後と深夜は鉄砲担いで宮殿周辺をぶらぶらして、警官などとも立ち話しにふけっており、けっして24時間不動の姿勢ではないことが判ったときは妙にうれしかった。
あるパレードの際、警護にあたっていた衛兵が疲労からバッタリ倒れた。 交通整理にあたっている巡査数人の脇での事だ。 しかし、警察の連中は誰も助けず素知らぬ顔。 しばらくして同僚の衛兵がきずき、やっと救助された。 あとで聞いた話だが、警官と衛兵の間は所轄が異なり、軍隊に対して地方自沿体からは要請がない限り、援助をしてはいけないのだそうで、どうやら石頭はどこの国にもいることを知らされた。
国家非常事態宜言中以外、女王陸下が絶対宮殿から外出できない時間がある。 それは衛兵交代式の行なわれている間で、なぜならこの間は衛兵が女王を警護出来ないから。
ロンドンには最高から最低まであるので、どこかに人生の楽しみを見出す事が出来、ロンドンに厭きたものは人生に厭きた事と云われる。 他人から見れば実に奇妙なことであっても、本人がそこに人生への共感があれば良いとの根本理念を知らされるものに、ロンドンではよく出会す。
ペチコートレーン、ポートベロー通りなど、ストリートマーケットと呼ばれる露天市があちこちに立つ。 日本と違い歩行者天国の規制がない場所もあるので、混雑する雑踏の中を車が乗り込んできて、露店の2~3軒がつぶされたりする事があるが、喧嘩になるのは当事者だけで、はたから見ればこれもストリートパーフォーマンスにすぎない。 露天市でまず目につくものは、やたら骨董らしき物件で、商品の内容となるとピンからキリまでと多種多様。 中には皆目見当がつかぬ珍なるものも含まれる。
そして日用品に古着であるが、近年この古着については、やたら日本人が買いあさるという。 原宿族を相手の店などが買付けにきて、まとめ買いをする。 相当の数を買っても古着の単価などしれたものなので、別送品とか自己衣類として持帰ってくれば、成田税関でも課税の対象にならない。 ロンドンの最新ファッションを見聞して、パンク族の情報も得て、持帰った古着を原宿、六本木でさばけば、旅費はほとんど取り返せる。
さて、市の店には果物屋も多い。 アフリカやヨーロッパ各地から輪入されたフルーツが山積みされる。 ダンボールの口を開けただけのものも沢山あって、ケニアとかスペインとか原産地が判る。 そんな混雑のなかでバスカーと呼ばれる芸術家が街頭でいろいろな芸を披露して、なにがしかの金銭を得る。
ハーモニカの演奏、バイオリン、ギター、アコーディオン、ほとんどの連中が数種の楽器をひとりで弾きこなす。 この連中の演奏程度がまた非常に高度なもので、そんじょそこらのオーケストラの団員以上の腕前も沢山いるので驚かされる。 一部ではあるが、レコードやテープを吹き込んだ経験者もいたりして、そんな連中の集金函にはコインも多い。
ロンドン市民の耳の方も中々の評論家で、へたな演秦などにはビタ1文出さぬし、リンゴを噛りながら耳をすます。 コンサートホールの演奏会でロンドンフィルなどでも演奉中にごうごうとブーを出し、演奏を止めさせてしまう実力をもつ市民であれば当然かもしれないが。
バスカーたちの公演会場はストリートマーケットだけではなく、地下鉄乗り換え通路、公園などでもあり、裏辻などもステージとなる。 バイオリンを取り出したあとのケースが集金函で、バイオリンにはロンドンコックニーのシンボルボタンを張り付けてある。 見事にブラームスのハンガリアン舞曲を弾きながら、20ペンスコインを入れたらウィンクを返してきた。
日本では街頭で露天の店を開くには警察の許可やら、ヤーさんの島割りを取ってからなど、ややこしいそうだが、ロンドンでは誰もとがめない様で、警察官でさえバスカーの演奏に聞き惚れている事がある。 どうやら私有地以外ならどこでも店開きが出来る様子で、観光客が集りそうな処では必ずこの連中に出会う。 但し、女王領地は一切バスカーには使用させない。
著名なミュージカルのマイフェアレディーのシーンにロンドンの青果市場が出てくるイライザとヒギンス教授、ピッカリング大佐のはじめての出会いの場所、コベント・ガーデンは、レスタースクェアーやピカデリーに程近い繁華街にある。 勿論、イライザがスペインの雨を習った時代はよかったのだが、今では市中のど真ん中の市場は不便きわまりないし、周辺への異臭問題もあり、ロンドン市では都市計画にもとずき、先年市場を移転した。
日本であれば移転終了と共に建物を壊し近代ガラスビルを建てるのだろうがそこは古さを尊ぶロンドン子、巨大な市場ビルの外壁をプラスター補強し、古色蒼然のまま磨きあげた。 中は全面改修するとともに区割りをして、新しいショッピングモールに生れ変った。 その上、露天空間をバスカーや街頭芸人の公演広場として開放した。
今や、ロンドンにおける新名所のひとつとして観光バスの経由ルートになっているが、ここでは、パントマイム、ストリートオルガンなどのほか、大道芸の典型でもある火吹き男とか、クサリはずし、ジャンピング・ジャックなどの古芸までが再現されている。
露天広場の片隅に、毎日きまって腕前を披露しているチョーク画家がいる。 数百本のカラーチョークが絵の具で絵筆。 まずコイン集めの函をセットして得意のチョークで路上をキャンバスに見立てて作画を始める。
1時間もすると、数10点の作品が仕上がり、まるで彼の個展会場となる。 作品には、風景、花、モザイク風アブストライトなど、見る者が厭きないように実に見事に変化を持たせている。
無情にも、仕上げを待っていたかのように、驟雨が広場を襲い、チョーク絵画は瞬時にして消える。 大道画家は「グランド・フィナーレ!」とどなりながら、観衆の目の前に集金函を突き出した。 ほかのパフォーマンスも大自然が幕を引いたので暫時休憩となった。
英国の人々は普段、ヨーロッパ大陸の言語の異る人との交流が頻繁であったり、片言であっても、けっして礼を欠く様なそぶりは見せないし、かみくだく様にゆっくり話をあわせてくれるなどの配慮を示す。
ところが、相手がアメリカン言語を多用すると、極端に不快感を示したり、後になってあれはカーボーイよ、と耳打ちしたりする。 そこには誇り高き英語を、勝手に作り換えた異端者の言語にたいしての所作を許さない一面が現存する。
基本的にヨーロッパ人は、米国人を見下す素質を心のどこかに持っていて、何かにつけてはアメリカを小馬鹿にしたり、話題の種にする。 我々日本人が、一般に米語にふれる様になったのは、そのほとんどが戦後の進駐軍にはじまるもので、それ以前はなかったといえる。
明治政府は開国とともに、日本の政府高官などを英国に派遺して、以来第二次世界大戦までは、英国からの影響を受けた英語が輪入されたのである。 ところが進駐軍にはじまる戦後の英語は、じつは米語であって、けっして正当英語ではなかったので、以後40年、2ケ国を機軸とする言語が、混乱使用するはめとなった。 自分では気がついていないのであるが、英国人の耳には、米語と英語をミックスして使用している現在の日本人をどう見ているのか、気にかかる昨今である。
いったい、英語と米話はどこが違うのか。 ロンドンの著名書店に出向き、資料でもと思ったら、ピカデリー通りの土産店で、すごい小冊子をみつけた。 ポケットにはいる小さなもので、英語/スコットランド語、英語/ウェールズ語、そして英語/米語の辞書である。
英国々内でも言語が異なる国であるので当然なのであろうが、日本で東京語/九州語、関西語/東北語の辞典なんてものを金田一先生も作っていないので、早連、英語/米語の辞書を買ってみた。 宿に戻って数頁をみてゆくうちに、英国人が瞬時にしてアメリカ人と見抜く事をあらためて納得するとともに、英話と米語ではこんなにも単語や使いかたが違うのかと唖然とした。
さらに、わが日本人が教え、使い、信じている言葉が、なんともめちゃくちゃに米、英語をミックスしており、平然と行使している現状は、後年禍根を残すのではと懸念する程である。
言葉の乱れは世界中で問題にされている。 さらに、外来単語を転用、自国語にしてしまう傾向が近年さかんでフランスのミッテランが国内の看板、広告などに、英語の使用を禁じる法律を施行したが、効果の方はいまいちである。 日本ではさらに悪のりして、新聞、雑誌などが外来語を短縮してしまう。 マスコミとかテレビとかもそうで、軽率人間は、逆に英国でも通用すると思ってしまうので、余計始末に困る。
アメリカで使われる単語で、アパートメント(貸部屋)、バッゲージ(小荷物)、キャンデーショップ(菓子屋)、フレンチフライ(ポテトプライ)、ガス(ガソリン)、パッケージ(小包)、メール(郵便)、リザーべーション(予約)、ムービーシアター(映画館)、ワン・ウェイ・ティケット(片道切符)などは、英国では、フラット、ラゲージ、スイートショップかコンフェクショナー、チップス、ペトロ、パーセル、ポスト、ブック、シネマ、シングルティケットという具合になる。
英国で通常使用されている単話から例をとると、バンクノート(紙幣)、シティーセンター(繁華街)、ダイナモ(自動車用の発電器)、フーバー(電気掃除器)、テレフォーンキオスク(電話ボックス)、ニート(ウィスキーなどの飲み方)、スパナー(工具)、スイスロール(ケーキ)、バン(自動車の1種類)などがあるが、これが大西洋のかなたではビル、ダウンタウン、ジェネレーター、バキュームクリーナー、テレフォンブース、ストレイト、モンキーレンチ、ジェリーロール、デリバリートラックとなるのである。
これだけの単語の中でも判る様に、英語または米語ではまったく違うものが存在し、日本では単に英話として両方の単語を混乱使用している事がわかる。 面白いのは郵便ポストという日本語で、英国では郵便の意をポストと云うから、直訳するとポストポストという事になる。 米語と英語という範囲のなかでさえ敵視するのだから、もし日本の英語化が現状のまま進んでいくと、ミックス、短縮した日本英語は、混乱言語第三世代を創造する危険を感じる。
英国のヒースローの入国審査で、旅券をだして許可を受けるのだが、滞在日数と目的の質問がある。 日本からの団体旅行客を、近年大手の旅行会社では、現地の日本人ガイドを到着ゲートまで出迎えさせる様にしている。 日本からの出発前にレクチャーしても17時間の疲れが、暗記した英語の答えを忘れさすので、到着後、しかるべき模範回答をインスタント講義で入国審査前にやっている。
目的はホリディー(観光休暇)、滞在はワンウイーク(1週間)と暗記させる。 10日であっても、面倒なのでほとんどワンウィークで統一。 これがハワイのホノルルの入国審査の時は、目的はバケーション、つまりホリディーが英語で、バケーションは米語である。
英国の国教として独自のキリスト教があり、マザーグースなどの幼児誌などでも、日曜日には教会に出かけて祈りを捧げると思っている人が日本ではいまでも多い。 ところが、実際に英国にいってみて判るのであるが、特別な日とかクリスマスをのぞいてはまず、教会に出かける人などほとんどいない。 充分に朝寝を楽しみサンヨーかトシバ(東芝)製のコーヒーメーカーで、ベッドサイドでコーヒーを沸かして、ベッドの中でゆっくりと味わう。 核家族化している家庭では老若を問わずカップル単位の生活なので、日曜日の朝食はまずカットしてしまう。
普段は11時半から開く昼のパブは、日曜日に限って11時、と開店が早目。 ホテルのレストランも同様で、朝食と昼食を兼ねたブランチを提供する。 ロンドンなどの有名なホテルでも日曜日となると、家族中でブランチをとりにくる客の為に、泊り客の数の数倍の量を用意する。 ベッドでコーヒーを飲んだだけなので客の食欲も旺盛で、ビュッフェスタイルの料理が見るみるうちになくなってゆく。
日本やホンコンなど日曜日に商店が開いていて、ショッピングが出来るのならいいのだが、英国の主婦にとって日曜日の朝・昼の台所仕事は、ネバー・オン・サンデーと云う訳だ。 日曜営業労働法案を国会に提出したら、サッチャーさんが先頭に立って廃案にしてしまった国柄ゆえに、台所雑務がない日曜日のブランチの満腹を消化するのには、当然乍ら代案が必要となる。
観光客でもっている都市ロンドンとも云われるのに、日曜日は博物館や美術館は、そのほとんどが午後だけ開館するので不思議に思われるが、市民にすれば、月曜日から土曜日まで観光客はいつでも来られるのであるから、日曜日ぐらいは自分達の生活にあわせてオープンして当然と考えている。
つまり、館側の人も市民も、ブランチのあとに楽しんだり、管理したりできる時間帯にセットして腹ごなしをしている訳で、観光客はネバー・オン・サンデーといったところ。
公園の催し物も同様に午後からの開催で、午前中は老人とハトが支配する。 国鉄やロンドンの地下鉄なども日曜日の午前は運転回数が激減して、10分以上も次の電車を待つのが普通。
ロンドンの状況に驚いていては英国にはとてもついてゆけない。 イングランドでは規制がないが、スコットランドでは、なんと日曜日には釣りが法律で禁止されている。 休息日には殺生したりせずにゆっくり休めというのか、ゆとりある日曜日の釣りはご法度である。
英国第二のスポーツと云われる釣りではあるが、その中でもサーモンフィッシングはフライ釣りが主流である。 英国の代表的なサーモンリバー「テイ川」での典型的なスケジュールを紹介すると、日曜日に目的地の釣り宿に投宿して、主人のアレンジしてくれたギリー(助手)に紹介される。 釣具を持ってこなければ手配を頼み、翌朝の出発時間や最近の釣り場での釣果などを聞いてその日はやすむ。 まだ夏なのに木枯しの様な風の音が気になって、羊を数えたくなる。
月曜日から金曜日までは、ただひたすらに釣りに明け暮れる。 一日に何度となく変化するスコットランドの天候もめげず、立ちこみ、ボート、岸辺からのキャストなどサーモンへの挑戦である。 ギリーは最良の釣りが楽しめる様に、フライのセットからバックラッシュの糸解きまで注意を怠らない。 その上、ランチバスケットを開ける前に、ジントニックを主人好みにサービス出来ないと一人前として評価されない厳しさだ。
金曜日の午後、釣れたサーモンを好みの方法に宿に注文する。 スモークにして持帰る者、ハクセイに仕上げる者、宿屋に売却してしまう者などで、売った代金はギリーヘのチップの足しにもする。 季節の再会を約してギリーに1杯のビターを振舞い、自分でもジントニックのおかわりをする頃には疲れがドットでる。
土曜日の昼前、遅い朝会をすませて宿をあとにする。 トランクにはスモークされたサーモンが土産。 日曜日は釣りが出来ないスコットランドとのお別れとなる。 ひつじに注意の交通標識を見ながら、いくつかの山越えを了えるとエジンバラが近い。 さらにドライブで南下すること2時間、スコットランドとイングランドの国境を示す看板に出会い、ツイード川を渡りきると丘陵地帯のイングランドとなる。
英国の暗黒の歴史は毒殺の歴史といわれる。 これは多くの河川をもちながら、飲み水に不足した為で、領主は自分の領地に貯水池を作り、水の安全を知る手段として魚を放ち水を管理した。 魚が浮きあがる事態となれば、水に毒をもられた証拠となった。
山のないイングランドの夕方ともなると、今でも貯水他にはエサ釣りの人々でにぎあう。 イングランドでは日曜にも釣りが出来るので、黄昏時、しばし釣り糸をたれてと思っても、釣具屋が休みでエサも買えず、結局、フリのビジターは簡単には釣りも楽しめない。 やはりここでもネバー・オン・サンデーである
なにしろ、台湾やバンコックあたりを目指す日本人の航空旅客の中には、その道の斬り込み決死隊みたいな連中が必ずいて、団体の添乗員は、この手配の案配が大変らしい。 わが同胞が陽とすると、英国紳士は陰で、表面はネクタイの吊しモデル然だが、その道のつわ者でもある。
さて、世界で一番古い職業といわれる娼婦については、このロンドンでも、現在も立派に存在する。 パリやアメリカとの比較は出来ないが、英国では数段階に分類されるこの手の女性が存在する。
代表として上玉は、例のブロビューム事件に発展したロンドンの、アメリカや日本大使館付近メイフェアー地区に居住している娼婦で、1回のお相手代金何100ポンドのくち。 接触には、人ずての紹介でないとむずかしく、上流階級の社交術にも精通しており、王室のパーティーに同伴してもひけをとらない美貌と、とんがり鼻を武器としているモデルくずれも混じる。 つまりいい女の見本でもある。
その下となると、午後5時を過ぎると、ロンドンの一流ホテルのロビーに陣をとり、団体客のあいだをぬって交渉をはじめる定食型娼婦。 客の部屋でも、近くのホテルあたりでも、交渉次第で業務をいとなむ。
やたらに客の部屋で接触を要求する娼帰は要注意で、あとで持ち金全部が無くなったりする。 ホテルの中でも、バーで接近してくるのは、ロビーにくらべるとしつこいので困る。 うまく断るには、適当な酒を1杯おごって、今夜は駄目と逃げるのがコツで、アラブのおじさんのしつこくて下手な値切り交渉のように罵声を受けないで済む。
同じメイフェアー地区の娼婦でも不精組がいて、一流連中が住んでいる中に、女名前の表礼を出している連中がそれで、普通女名の表札などない町なので目立つ。 聞くところによると、この手の女性は昼間客をとり、夜には別の仕事をしたり、プレイボーイクラブなどのバーガールなどが含まれるそうで、淫乱の部類が混じる。 さらにさがってコベントガーデンの街娼なども商売繁昌とのこと。
日本でも大人のおもちゃ屋などが流行っているが、ロンドンでもこの手の商売がすごい。 ポルノ雑誌をはじめ、まか不思議な器具、薬品、衛生具など、はでな着板とネオンの中は昼下がりから沢山の客で賑わう。
日本人サイズとは格段なので実感にとぼしく、腕が入りそうなコンドームには吹き出したくなる。 客の方も、ひやかしや、一寸見がおもで、実際にはそんなに買わない。 商品?を見ていると英国製品は以外に少なく、米国、日本、韓国、西独、香港など、セックス産業の国際協調に驚くのであるが、どんな顔をして税関や業者が通関手続きをしているのか興味をひく。
ホラーショー、ロックなど、若者に人気の女装傾倒族やパンク族が、資金欲しさのシビヤーな売春ルートが存在している。 ディスコなどで取り引きがされ、相棒が鶏冠へアーの女を一時の金の為に売る。 女の方も、パンクでいい顔の彼氏にあいそをつかされない為に、他人との一夜を平然と共にする。 こんな事態を見ていながら素知らぬ顔をしていなければならない事情の一端に、2ケタの失業率がある。 この現状は、ビートルズ発祥の地リバプールではさらにひどいと云われる。
これらの事は実は表面の事で、水面下にこそロンドンの好色横綱の面目がある。 たとえば無数に存在する会員制のクラブなどでは色事にこと欠かない。 バーやレストランでは当然のごとくライブショーが全裸で上演され、セックスインターコースの実演など、観光客にはまったく知られずに楽しめるロンドンの夜である。 その上公然と、登録会員であればギャンブルも公認されていて、カジノでは毎夜ポンドやドルが飛び交い、灰色のロンドンのビル群の中は実はピンクに染まる。
女性の下着は紳士の為にデザインされると云われるが、長い年月にわたりアンダーウエアーの分野では、英国が世界の冠たる地位を守り続けている。 新素材の採用、カッティング、セクシャル感覚など、総合的に他国は太刀打ち出来ない程だ。 日本でも近年、シルバーローズなど一部のブランドが知られてきたが、輪入されるのは商品ではなくカタログが主で、スケベ紳士にとってはカタログの商品は買わず、スケスケランジェリーのモデルを鑑賞する為とかで、メーカーはぼやきっぱなし。 でも6畳2間のアパートではとてもカミさんには着せられる下着ではないみたい。
JTBかジャルパックの日本人が数名、ドイツの出稼ぎアンチャンやロンドンさえ出てきたスコッチなど数10名が、目を輝かして待つロンドンのレイモンドレビューバー。 バーと云っても飲み屋ではなく有名なストリップ。 全てが観音様御開帳で、男女組合せのショーも含まれる。
ポールレイモンドは英国のヘフナーで、ポルノ誌をはじめセックス産業で巨大な富を得た。 彼と話をする機会があって聞いたのだが、日本人は彼にとって重要な顧客だと云う。 ちなみに、このストリップ小屋は、英、仏、独、そして日本語で開演、休息などの案内がある。 さすが東の横綱と敬服。
昔から英国の街の写真などで、紳士が山高帽子に黒背広、そして右手にこうもりは定番とされた。 現実にロンドンのシティーあたりの銀行員、金融業者、そしてスローンレンジャーなどは、今日でもこのスタイルを踏襲しているが、ひと昔前に比べると大幅に減っている。
英国のイングランドを例にとると、平均して、1日に1回雨が降る勘定になる。 しかし、1日中降り続く様な雨ではなく、シャワーと呼ばれる一時雨で、デパートの中にでも逃げ込んで、ミルクたっぷりの紅茶でも味わっていれば、いつの間にか雨は終演となる。
家庭の主婦なども買物に出る時には、傘は買物袋と共に必ず用意して出かける。 驚くかもしれないが、折たたみ式のこうもりが英国に出回ったのはまだ近年のことで、それまでは主人の中古などをとくとくと使用していた。 最近でこそ買物袋に財布とこうもりを入れ、いそいそと出かける主婦が多くなったが、それでも老婦人は絶対に折たたみ式を悦ばず、男性用大型洋傘を徴用している様である。
これには実用として一理あって、買物袋など重くなると、こうもりの納にひょいとひっかけて一休みしたり、ステッキの代用とすることが出来る。 女物の洋傘は荷物のハンガーにはならないので、男物の方が便利で丈夫という訳で、老人の知恵である。
ロンドンに着いて、ピカデリー通りの有名な傘屋で、1本の気にいった洋傘を見つけた。 早速買い込んで雨を待ったが、困果な事に、6月末の好天でその日は雨は降らず、翌日まで持ち越した。 翌朝朝食の後、一服していると、雲と太陽が入り混じる中で雨が降りだした。 新品の洋傘を持って飛出そうとすると、友人が、この雨は傘をさす雨ではないと云う。 辺りを見ると、傘をさして人々が往来している。 さらに友人は、人々を指差しながら、観光客や貧乏人は、やたら少々の雨でも安物傘をさすのであって、貴君の持つような高級英国傘は、やたらさしてはならぬものだと決め付けられた。
英国紳士たるもの一着におよぶ背広なら、サビルローの仕立屋が、カシミヤの素材で入念に仕上げてあり、カシミヤの持つ素質は少々の雨ははじき返す。 その上、戦場の雨にも耐えたバーバリー防水のコートなどは、スぺインの雨だって平気。
ではなんでこうもりを持つのかと尋ねると、これがはっきりせずに、究極の答えは身だしなみ。 つまり、紳士のアクセサリーという事だ。 さらに杖との違いを尋ねると、ステッキはつくものであり、傘は持つものであって、正確にはついてはならぬとキッパリ。 なるほどシティーなどで見かける紳士諸公は、傘の柄を腕にひっかける様にして持っている。
洋傘も最近ではナイロン地が大半で、木綿素材地は激減した。 理由はいろいろあろうが、10年程前までは、ロンドンの地下鉄の構内などに、こうもりの巻き屋がいて、何がしかの日銭でさし了えた傘をきれいに巻いてくれた。 英国には執事(バトラー)スクールがいまでもあって、ここを卒業すると、世界中に就職先があるといわれるが、授業科目の中にも、こうもりの巻き方が必須料目で存在する。 木綿のこうもりをきれいに巻き込むには技術が必要な訳で、日本人には想像もし得ない事である。 逆に「何であるアイデアル」式のスプリング開閉洋傘は彼らには想像出来ぬ事柄と言える。
経験不足ながら、英国と日本の雨には、降り方に微妙な違いがあるようで、英国の雨は縦に降りそそぐ感じで、日本の雨は若干横なぐりが多い様だ。 カラ傘、蛇の目の踏襲からか、日本の洋傘は開いた時の骨組はほとんど水平で、まさしく傘の字の形。 さす時には、雨の来る方角に合わせて使用するのが普通だが、英国の方は、開くと骨組が内側に湾曲する。 スーパーマリオのキノコ型になり、高価な傘ほど電気スタンドのかさを想像させる。 ロートレックやルノアールの絵画に、或る婦人のさす傘を見て、その伝統の違いを発見した思い。
ロールスロイスが雨のクラリッジホテルの正面に着いた。 通転手が急いで洋傘をさしかけて、後部ドアーを開け、主人を玄関までの数歩を送り込む。 運転手が戻ってくる間、ドアーの中を垣間見ると、素敵な彫り物をした柄の傘が座席にあった。 あの傘はいったいいつ使うのだろうか、と疑念を抱いてしまう。
備えあれば憂いなしという言葉があるが、英国での洋傘を見続けてきて、英国紳士の信条のしるしとして、ささない傘が存在する事を知ったのは、ずいぶん後の事であった。
シティーの昼下がりの事だ。 雨になった道路にひとつの車椅子。 ひとりの紳士がビルから出てきて、見事に巻かれた傘を開くと、車椅子の少年に差出した。 開いた傘を見てびっくりしたのは、これまた見事な折りしわで、地が透けている。
自分では1度もさしたことが無い傘に違いない。 見ず知らずの身体障害者の為ならと、この傘を開いた英国紳士、あっぱれな1シーンに胸をうたれた。
日本の労働基準法でも、年次有給休暇の定めがあり、1年を通じて6日を最低初年とし、20日間まで設定されている。 現実には週休2日制が普及しつつあり、休暇全部の消化は中々難しいので、多くの企業などでは翌年に繰越して、それでも消化できない分については、日給ベースで買上げ処理しているのが普通。 ところが、英国では、10年も勤めると、年間の有給休暇が1ヶ月以上あり、日本のように繰越買上げなどあり得ないので、なにがなんでも休暇を消化せねばならぬ。
英国とのビジネスで、最初の時は様子が判らないので、やみくもにコンタクトするが、商用で相手を訪れて判る事は、こちらがバイヤーであっても、重役全員と会える事はまず無い。 必ず誰かはホリデーをとっていて、数回にわたって訪問しても、一度も面接する事がないなどたびたびである。
勿論、大臣でも連れて行けばそんな事はないのだろうが。 日本政府でも、首脳会談の打ち合わせでも相手の休暇日程を聞いて日程を組む程で、日本人の様に、オレが日本からわざわざ出向くのだから待っていて当然、などと考えるのは日本儀礼で、国際慣習では通用しない。
逆に付き合いも深くなると、先方から自分の休暇日程を知らせてきて、その前後にビジネスを、と希望してくる。 相手と家族ぐるみの付き合いともなると、接待を合めてプランをたててくれる。 例えば5日間をビジネス訪問期間とすると、最初の3日間を会社の所在する町に滞在、仕事をすませる。 残りの2日間は、彼らの予定したホリデーの場所に同行して、休息をとりながらビジネスの残りもかたずける。 6日目にこちらはロンドンに戻るが、彼らはその日からフルにホリデーを満喫出来るという訳で、こちらが同道中は仕事であり、彼らのホリデーには含まれない。
英国では夏と冬の日照時間が極端に違う為に、夏の太陽をこよなく愛す。 夏のホリデーの為の準備は、最低半年前に始めて、海外などに出かける場合には、ホテルや飛行機の予約もすましてしまう。 国内旅行ではキャラバン(トレーラーハウスの車で、自家用車に連結してゆく1LK)に装備を整え、キャンプ地などに出かけてしまう。 動物愛護のお国柄ゆえに、犬、猫なども後都座席を占拠するのは当然。 まごまごしているとこちらの席が確保出来ない。
海外などに出かける際にも、犬、猫、馬などのエサの世話役を確保するか、日数分のエサを予めセットして出かける。 ところが、亭主が旅先でホリデーをエンジョイしていても、カミさんは犬猫を見る度に自分のぺットを案じるので頭痛の種だ。
優秀な会社社長及び重役の秘書とは、その条件に、休暇中の彼らに替わっていかに事務処理をするかにかかっており、休暇期間は社長を代行して決済まで行う権限を持たすところが多い。 また、儀礼的には女王陛下でも、休暇中の臣下を追跡することはないとされる。
休暇先から朝晩電話で連絡をとったり、号令ひとつで休暇を繰り上げて、いそいそと職場に戻ってしまう日本人とはまったく違うし、故に日本人はエコノミックアニマルの称号を受けたのではあるまいか。 また、秘書の方も休暇先の上司に助けを求めたり、ホリデー先を他人に漏らす様な行為は、無能と判定されて職場を失う要因となる。 つまり、日本人から見ると高慢で付き合いにくい秘書は、彼らにとっては有能と相成る。 最もそれ以上となると、愛嬌や態度はこの上なくよくてチャーミングな秘書もいて、丸めこまれるのであるが。
日本では通勤定期券、住宅手当補助、昼食補助など、本来の労働に支払う賃金にサブ的な援助が通例となっていて、定期券などは、通用期間中に休暇が入っていても、3ヶ月とか6ヶ月分の纏め買いをする。 どっちにしても会社が払うのであるから構わない訳だ。 ところが英国ではそんな制度はほとんどなく、全て自己負担が普通で、その上通勤定期の割引率が少ない。 ホリデーを取るのにもこの辺を計算に入れて、定期券の通用切れをホリデーの初日にしたりして抜け目がない。
会社でも商店でも、マネージャーの最も煩雑な仕事は、従業負から申請されるホリデーの配分で、どこのマネージャーオフィスでも大きなカレンダーを壁にはり、従業員のホリデー割り付けを書き込んである。 日本の様に、仕事の具合をみて休暇を取ろうなどという愛社精神は存在せず、申告された日程は、極力希望日に許可せねばならないしくみなので、調整には苦労が付きまとう。 その上、1年分の休暇申請を出されるので、年中誰かがホリデーを取っている緒果になってしまう。
産業革命に始まる英国の歴史は、常に先進を目指しているが、技術の進歩は抜群でも、オートメーション化とベルトコンベアーシステムにおいては、採用している企業が他国にくらべて極端に低率である。 これはホリデー優先の従業員をシステム化配置しても、休まれては全作業が止まって非能率。 ホリデーが多いのに更に買物や医者通いなどで欠勤率は非常に高く、経営者はお手あげなのだ
婚礼の衣裳に大枚を払い、キャバレーのショーみたいな豪華な披露宴、そして英語の出来ない2人の海外へのハネムーン。 定着化してしまった日本式結婚儀式は海外にも知られていて、英国でもときどき質問を受ける。 一応の説明をすると、なぜそこまで両親が面倒を見なくてはいけないのか、引出物とはどういう意味なのか、など設問をあびる結果となる。
英国では高校に相当する学校が終るのが18歳で、一応親の教育義務が解かれ、大学進学などは本人の意向で両親の援助を受ける。 日本ほど大学進学率は高くなく、就職したり親元を離れて独立の道を歩きだす。 つまり核家族化のスタートとなる訳で、自立出来ればとんと親元には寄り付かない。
英国の青年には歴史に培われた独立心が強いのか、失業率が高い現実の為か、昨今、海外に出稼ぎに出る者が増えている。 昔の植民地である現在の連邦国へ、多数の若者は流出して職に就いている。 さらに、荒んだ英国の大都会より環境もよいので、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどへ渡った後、移民してしまうケースも多い。 そして愛に芽生え、恋に育つのが彼らのプログラムである。
英国に住んでいても海外にいても、緒婚式は両親に立ち合って貰いたいのはいずれも同じ。 教会での式をすませてから、友人、親族、親戚などを呼んで披露宴を取りおこなう。 箪笥、冷蔵庫など所帯道具1式をトラックで新居に、などといった慣習はなく、披露宴も会費制か、新郎新婦の負担でささやかにすます。 参列した者は、披露宴の食事代金程度の金品を彼らにプレゼントするだけ。 親威など近しいものが、花束や陶器のひとつも添える程度である。
両親が贈る新婚家庭へのプレゼントとしては、一番ポピュラーなものが陶器皿2枚、コーヒーカップ2組。 彼らにあらかじめほしい柄や、メーカーを聞いて用意する。 英国では著名な陶器としてボーンチャイナと呼ばれるものがあり、歴史をもつ多くの業者がある。 たとえばロイヤルドルトンなど、100年を越える同一柄を商っている。
皿とコーヒーカップでスタートした新婚カップルは、自分の必要範囲で同一柄の陶器を買い足して、家族が増えるにつれて陶器も増えてゆく。 勿論破損もするので補充も必要になるが、何年先でもメーカーが同じデザィンの物を揃えているので調達できる。 食器戸棚に陶器が増えてゆくのは、新婚以来の彼らの歴史の証でもある。
生きることの本来の悦びはまず自分たちが作る---。 英国伝来の継承を強く知らされた。
鎮守様の祭みたいな風習は洋の東西を問わず行われる。 わた飴などの祭特有の露店菓子なども同じで、子供たちの行列ができる。 神輿はないが、パレードや古式に則ったコスチュームに着飾った行列など、英国の祭は飽きることがない。 特に感じるのは、祭の時の人々の生きる悦び、そして親切さである。 普段はとっつきにくい連中までが、外来の日本人に対して歓迎してくれる。
東洋人に対する英国の人々は、例の不幸な戦争後の一時期をのぞいては、他の国の人々より寛容に感ずるが、これは香港などでの植民地での付き合いが継承されているのかもしれない。
実年から老年への1年は早い。 家財に囲まれて充実した生活の或る日、突然に神の加護に見放される時が訪れる。 友人の1人が、定年を待たずに退職した後床に伏した。 回復する事なくある日、地に帰った。 英国からテレックスで連絡をうけ、早速、弔電と花を届けた。 しばらくしてから夫人から丁重な返礼の手紙をいただいた。 後日英国を訪れた際、葬儀の様子を聞く機会があり、あまりの簡潔さに驚いた。
日本の通夜に相当するものはなく、医節の死亡の確認後納棺され、家族の手で教会に安置された。 教会での葬儀の後墓地に移され埋葬、参列した者はそのまま帰宅して終り。 その後は、夫人が日曜毎に墓地へ花を棒げる程度で、親戚などもほとんど見舞う事をせず、逆に、夫人が追悼に専念出来る様に、周りでは関知しないようにつとめている感じ。 葬儀も近親者などで、日本のように隣近所などの参列はほとんどない。 日本からの弔電、献花は、ことのほか夫人に感激を与えた。
残された者にとって一番先に手掛ける事は、今住んでいる場所を維持できるや否やで、家族がいる間に協議する。 ほとんど核家族なので、主人が逝去すれば残されるのは夫人1人。 子供の誰かに引き取られるか、そのまま現住居に残るか、または適当な場所に移転するかである。
郊外や地方では買物なども車で出かけなければならないので、老人にとっては不便で、大きな家は維持費用も馬鹿にならない。 近親者にも知らせる事なく、ひっそりと移転してしまい、以後消息知れずといったケースも多いそうだ。 小生の経験ケースでは、半年近く経ってから1枚のカードが届いて、住居移転の知らせを受けた。 従兄弟にあたる英国の友人がそれを聞いて、我々の過去の交友の深さに驚いた。 因みに、我々の間は単にビジネスの友。 普通では夫人から以後の住所など知らせてこないのがあたりまえ。
英国人の根底をのぞいて生きている事、生きていく時の悦びへの賛歌、反対に死に対しての黙視の礼など。
英国をやぶにらんで10年の足跡は、日本の慣習との大きな違いを知る事が出来た。
(おわリ)
この新聞(注:「釣具界」のこと)が発刊される頃は新東京国際空港がごったがえする筈で、誰でも同じ思いをもっている場所として、出国や帰国に際していかに早く手短に税関を抜けるか考えるもので、何も禁制品や違反物件を持たなくても寸時ながら愉快な気分が壊される。
そこで長い行列をしながらここ10年来、税関吏などの調べ方をみているうちに、各国によってなんとなくスムーズに通過する方法をいくつか見付けて、以来、独断と偏見でこれを用いているが、その結果、小生は1度のトラブルもない。 ただ出迎えが来ないうちにロビーに出てしまって相手を戸惑わせる事もあるのが難点でもあるのだが。 自宅が千棄の為に成田空港に到着してから、入国審査、荷物検査を受けて45分後に自宅でお茶を飲んだのが目下の記録。
さて、米国についていえば日本以上に厳しい審査が待っていて、最近でこそロスアンゼルスの空港が若干、日本人については簡単にすませてくれる事が多いが、平均して時間がかかる。 最近ではニューヨークやシカゴ、そしてサンフランシスコなどほとんどがノンストップの直行便でフライト時間が長いし、規則により入国審査は国際旅客については最初の米国内寄港空港で行われる。
あのでかい国であるアメリカでも国際空港となると日本からの便はいくつかの空港に限られ、東南アジアや中近東、そして日本人が一ヶ所に集中することになる。 外国からの入国に対して未だにビザを要求していながら米国では、さらに到着時、ブラックリストの照合などで1人1人確認している為に、最低でもバスポートに判を貰うのに1時間程度はざらで、行列に慣れない日本人には苦痛である。
米国でもヨーロッパでも同じだが、中東印度、東南アジア系の女性の後に並んだら悲劇で、いつ自分の番がくるかわからない。
国内接続便や日本からのフライト機がさらに国内に連絡している場合でも、航空会社では2時間以上入国審査、税関空港では休憩するのが常で、彼らも米国税関のスローぶりを承知している。 それでも慣れない多くの旅行者は接続便に乗り遅れる事が多い。 米国では、時間がくれば客を待たず出発するのが普通で、航空王国アメリカは意味のない出発遅れは管制などに嫌われ、シカゴやニューヨークでは飛べなくなってしまうからだ。
解決策としては、多少行列が長くてもヨーロッパの人らしい連中か日本人だけの後にならぶのが結局、早く順番がくる。
問題は誰がヨーロッパ人か見分ける必要がある訳だが、これは意外と簡単で、カバンなどについている航空会社のタグや、ついているチッキ札が欧州の航空会社であれば、まず間違いない。 第一、アメリカ人審査デスクが別なので我々の列にまぎれこむ事は無い。
まれだが、審査場内に先任の事務官がいて、日本人と判ると誰もいなくなったアメリカ国籍カウンターに回してくれる事がある。 期待は出来ないが、判りやすくパスポートをちらつかせているのが意外とコツ。
ロスアンゼルスの税関が少し早くなった理由は、オリンピックを契機に空港の施設拡張をおこない、人別審査に税関が入国審査官との連携プレーが具体化した為と思われる。
最近の経験だが、以前は税関申告書類を入国審査官が見せろと要求する事はなく、入国後、税関吏に提出したのだが、審査を受けて簡単な質問の後、審査官が税関申告書に何か記入し入国許可となった。 税関申告書を受け取り、ターンテーブルから荷物を持って税関カウンターにいったところ、書類を一瞥しただけでフリーパス。 持ち物の検査もない。
ところが、ひとつ脇のカウンターではヤーサン風のお兄さんがトランクの中をひっくりかえして調べられている。 どうも入国審査官が書類上に何か暗号めいたものを書き付けてリレーしているようで、隣の列ではサリーを一着に及んだ女性が別室につれていかれた。
米国の外地でも、本土の税関と入国審査は同様だが、日本人に寛大で早いのはグアムとハワイで、こと邦人に限っては本土の半分以下の時間ですむ。 特に個人ででかけても審査の際にはルックなどの団体の尻か、その前に飛び込む。 しやべれる英語は何を質問されても『バケーション・ワン・ウィーク』としかいわない団体を数こなしている審査官や税関吏は菊のご紋章のパスポートを見て擦印の上、そのまま返してよこすし、ゴロゴロサムソナイトのトランクご一行様を入国させてしまう。
最近では、英語をしやべる日本人も多いが、経済不況などもあって飛行機利用についても割り引き運賃の航空券を購入して旅をするビジネスマンも多い。
ところが、この割り引き切符はもともと団体航空券の切り売りだから、到着までは本来の団体客と呉越同舟なので、添乗員の旗についていけば、面倒もかからずに米国の土を踏める。 一旦空港を出れば、もう団体バッジは不要となる。 その上、日本に戻る分の航空券はその場でくれるので、帰国の際には個々に空港でチェックインするだけの簡単さ。
ただ、恐れいるのは、ポーターではなく航空会社の連中までがタクシーなどをおりた空港カウンターの外で預ける荷物の取り扱いにチップを要求する。 1ドル紙幣をちらつかせていると、手早くチェックイン出来るがなんとなく腹立たしい。 勿論、中まで持ち込んで搭乗券と引換る際に預ければチップは不要なのだが。
商品の見本など、日本人ビジネスマンは欧米のセールスマンの様に小振りに梱包するのが苦手で、つい大きなトランクを使用するので、とかく税関でトラブルとなる。
ところが団体の場合は、ほとんど帰りの土産用スペースを用意して出掛けるのでみんなデカいトランクが普通。 税関だってついついお目こぼしといった例が多い。
そんな訳で、米国本土に行かれる時には、時間の余裕があれば、ハワイで入国手続を済ませてしまうのが一番で、税関の連中もカタことながら日本語を理解する人が多く、ラクラク検査で済む。 以後の旅程は全て国内線となるので勿論、税関もない。
旅行を終えると、入国した際にパスポートにつけられた半券を米国から出発の際、航空会社がチェックインと同時に回収して税関に送付してくれるので、出国に際しては税関吏も姿を見せぬ。
ただし、免税品を機内に持ち込む前に、待合室などで開けてチェックなどしていると、免税店の職員が血相をかえて飛んできて、ホチキスで封印し直し怒られる。 酒類なども、各搭乗ゲートの脇で手渡す以外は、旅客の搭乗機に直前に搭載されて、成田など日本の空港で初めて受け取れる。
米国空港では、到着旅客については国内、国際と分けられているが、出発にはまったく区分がなくJAL東京行きの隣のゲートからシカゴやホノルル行きも飛び立つので、国内の旅客が免税品を手中に出来ない様に免税店職員が必死の監視を続けている。
欧州のなかでは空港の税関は簡単で、入国審査で時間がかかる事もあるが、アメリカ同様にインド人や焼きすぎたトーストの様な色をした顔の人々の列に紛れ混まなければ、預けた荷物を受け取り、矢印に沿って歩いて行くと税関は気がつかぬまま外に出てしまう。
英国などでは、自己申告制度として、赤(要申告)と緑(申告物件なし)の2ヶ所の通路が有り、該当する通路を抜ける。 挙動不審などがあれば税関吏によびとめられるが、日本人はほとんどフリーパスである。
日本では考えられないが、英国での日本からの団体旅行者は現地案内ガイドがポーターを呼んで全員の荷物を一括運搬して税関通路を通過してしまう。 税関の方も又、買い物客が高額輸入品をもっている訳はないので無言。 団体トランク引っ張りノイズが無いだけましと言うものである。
欧州でも、個人旅行でのコツは、俺は日本人である、と税関を抜けるまではわかる様にしておくと、質間を受けない。 だから税関通路を出るまでの間、パスポートを片手に持っているのが一番。 そのかわり税関を出たらすぐしまう事。 そのまま持っていると自タクやへんな客引きの餌食になってしまう。
フランスでは昨年のテロ事件の横行が原因で外国からの入国者についてビザの取得を義務づけたが、査証さえ得ていれば、審査はさほど問題ではない。 官吏はフランス語で質間してくるが、例によって『ホリディー・ワンウィーク』で判ってくれる。 この方法はホンコンでも通用する。
近年流入する東南アジアからの出稼ぎなどの防止の意味もあって、ホンコンへの観光入国者は帰りの航空券を携行することが必須条件とされている。 さらに滞在許可以内にフラィトが予約されている事が必要である。
ここでも日本からの団体については盛大歓迎で他のアジア諸国の国民よりは審査も簡単である。 ただ、1人づつブラックリストと照合されるので気分は上々とはいかないが。
荷物が戻ってくる間、ターン・テーブル越しに税関の検査の様子を見ていると、何となくうるさそうな官吏とチョロそうなのがわかる。 荷物を受けとってから、とにかくそのうるさそうなカウンターにゆくのがコツで、見え易い様にパスポートを差し出しながら、「こんにちわ、わたしは日本人、申告なし」と一気に言う。 ホンコンでは、入国審査や税関の役人に女性も多いが、出来る限り女性とチョロそうな男性職員をさけるのが得策のようだ。
絶対にトランクなどは下におかず、税関吏の目の前にドスンとおくのがテクニック。 ほとんどがホンコンなまリの『OK,OK』でパスとなる。 立ち去る前に、持っていたパスポートをカバンなどにきちんとその場で仕舞ってから堂々と出ればオシマイ。
ホンコンのお隣、マカオにいたってはさらに簡略で、ホンコンから高速船で到着すると、桟橋の端で入国審査があり、黙ってパスポートをだせば、ポンとスタンプしておわり。 日本人と香港人は95%以上が日帰り賭博にきたのであるから、税関などあって無いがごとし。 ホンコンに戻っての税関は酒類、タバコの2点を持っていなければ、トコロテン式にそのまま通り抜けて一件落着。
スイスのチューリッヒ空港では、EC諸国の人々は日本の国鉄の改礼口で定期券を見せる感じで入国審査を終わる。 日本人などは一応、パスポートをみて、かたことの日本語であいさつまでしてくれてスタンプも押さない。 つまり、後日、パスポートをみたってスイスに行ってきた事を証明が出来ないことになる。
デンマークでは、EC以外からの旅行者については捺印してくれるが、最近、英国でも出国スタンプは省略され一瞥するだけ。
同じ東南アジアでもシンガポールは、ホンコン、グアムと並ぶ自由港で、一部のものをのぞいては全て免税。 市内でも同じなので、買い物天国である。
飛行機がチャンギ空港に着いて、入国審査場にゆくまでの間に、世界でも少ない免税店があり、ウイスキーやタバコが購入出来る。
通常出国のみ免税店がある国が多いので、東京を発つ時に免税タバコを買ったりするが、シンガポールについては機内持ち込みなどせずに着いてから買えばよい。
日本人については入国審査官はまず質間もせずに、スタンプを押して返してくれる。 インド社会が強いこの国では、審査官の中にもターバンをしている官吏もいて、着いた途端からエスニックな気分に浸れる。 英国文化の残るお国柄ゆえか、税関も英国式でカウンターもなく自動ドアーを進んだらもう外で、出迎えの人が溢れる。
さて、日本の成田であるが、以前の羽田時代に比べれば格段スマートとなり、スピードも速くなっている。 出掛ける時に2000円もふんだくる空港だから、当然といえば当然だが、日本人の帰国審査は平均1分以内、預けた荷物が戻りだすのが15分以内と世界の空港でも最も速い。 ところが、税関の審査の行列は運が悪いと30分はかかる。
世界に年間400万人以上が旅に出るが、その多くが成田を通過するのだから、混むのは当然なのであるが、税関にくるといつも日本人の姑息さを見る思いで腹立たしくなる。
旅行者は何とか税関をごまかして通り抜けようと考えるらしく、税関吏と一戦となるケースが多すぎるのである。
ひどい例では、Tシャツの上に毛皮のコートを着用して、日本から持っていったふりで税関を通り抜けようとする女性までいる。 税関でなくったって、ハワイからの旅行者の衣類に毛皮など不要と判るのに、女の大胆さというか、馬鹿さかげんに果れてしまう。 多額の費用を掛けて外国を旅して、土産も充分に買い込んだのなら何故、きちんと税金を払おうとしないのだろか。
現在日本国が容認している免税額は、成人1人について酒類3本、タバコ200本、香水2オンス、そしてそのほかに10万円までの商品購入について無税で持ち込める。 これは世界中でも破格の高額で、米国では酒類1リットルとタバコ、個人使用分の香水少量と100ドル以内の買い物である。
外国を離れると、機内の乗客に対して税関申告書が配布される。 免税以内の所持者については日本の税関ではロ頭でも申告出来、記載の必要はない。
例によって回りの乗客の中にはごまかし作業をする者もいて、ひどいのになるとスチュワーデスなどに脱税の知恵を求めたりする馬鹿までいる。
その他、禁制品であるポルノ雑誌などの処分にそわそわしている客もいて、日本への到着2時間前ごろの機内の雰囲気は一時的にすこぶる悪い。
ジャンボ機に残されるボルノ雑誌は平均数10冊で、座席と機内の隙間や、トイレットの紙タオルを措てる箱で、ひどい時には便器の中に投げ込む例もある。
新人類の新婚フライトには特に大量の置き捨てポルノが有り、JALの1機内から200冊近いピンク本が出たこともある。
スチュワーデスの報告によると、これらの雑誌を機内に持ち込んでくるのは新婚組の男性ではなく女性に多いというが、確認はしていない。
大安から6日後の日本航空ホノルル発の便に一度乗り合わせてみると判るのだが、通路という通路には土産がはみだして歩行困難直前の状態。 これ以外に下の賃物室にもコンテナーぎっしりの土産物。新婦はポルノでためいきついて、新郎はアメリカ横断ウルトラクイズのぺーパーテストのごとき税関申告、まずどうみても通常な雰囲気ではない。
性格からか小生は、日本に帰国の際には免税枠内であっても、必ず申告書を書き提出する事にしている。 貰い物を含めて全て書き込む。 数100円程度のものでも記載して、合計額の欄には1物品1万円以内のものは加算しない。 日本の免税の鷹揚さには驚く程で、種別が異なるもので購入価格が1万円以内であれば10万円の枠に加える必要がない。
つまり、異なる物品で9000円の物を20種購入しても、課税対象金額はゼロであり、1銭も税金を払う必要がないのである。 書き込んだ申告書、パスポート、そして1万円以上の買い物の領収書を添えて、毎回、税関職員に挨拶をしながら渡す。 彼らはプロであり、虚偽については一瞬にして見抜く。 過去開港いらい5年余り成田の空港の税関をいくたびも通過したが、正しい申告をしていることが判ってもらえるのか、一度も所持品の検査をされていない。 一部の国の税関や入国審査を経験して、日本の税関をスマートに通過出来ない者はどこの国でもスマートにはゆかないのではないかと思う。 言葉に不自由な国では、なんとか無事に済まそうと祈る気持の邦人なのに、言葉が判る自国では、なんとか脱税をと思案にくれる人種を世界はどう受け止めるのだろうか。
子供の頃、すぐ裏に三遊亭という寄席があり、三才の頃から木戸御免で通いつめた。 当時からやじ馬根性丸出しだったそうで、東京っ子の持つそそっかしさもいまだに変わらない。 寄席が英国に変わっただけで、裏を返す程通いつめた結果、観光ガイドブックや定食式回遊コースなどにはとんと興味がわかず、逆にやじ馬魂が居残り左平次の布団部屋的な見聞を得る機会となった。 したがって英国の話となると、一般のレポートとは違ってくる為、それなりに書き残したメモがこの英国やぶにらみである。 ある人を介して釣具界の林さんの目に触れることとなり、同紙に掲載される事になった。 そそっかしいからハジも顧みずいつの間にか一年半の長期連載となって、我ながらよく書いたと唖然としている。
私書版上梓に機会を与えて下さった釣具界社長松本様、そして機械植字をしていただいた中沢様、ロンドンでの安居を長年提供してくれたミラー会長、励ましを下さったツネミ会長の常見様、そしてご支援いただいた多くの各位に哀心よりお礼を申し上げたい。
十志庵にて 荒井利治